「あなたの両親を敬い従え」
聖書:エペソ6章1節~3節
牧師:佐 藤 勝 徳
「エペ6:1 子どもたちよ。主にあって両親に従いなさい。これは正しいことだからです。 6:2 「あなたの父と母を敬え。」これは第一の戒めであり、約束を伴ったものです。すなわち、 6:3 「そうしたら、あなたはしあわせになり、地上で長生きする」という約束です。」
【はじめに】
今年も、母の日に因んで礼拝を創造主の天の父なる神さまにお捧げ出来る事を感謝します。 モーセの十戒に基いて、パウロはエペソ6章1節~3節の教えを語りました。「エペ6:1 子どもたちよ。主にあって両親に従いなさい。これは正しいことだからです。 6:2 「あなたの父と母を敬え。」これは第一の戒めであり、約束を伴ったものです。すなわち、 6:3 「そうしたら、あなたはしあわせになり、地上で長生きする」という約束です。」
1、モーセの十戒とアブラハム契約と近づく終末
モーセの十戒の第5番目の戒めに、「出20:12 あなたの父と母を敬え。あなたの神、【主】が与えようとしておられる地で、あなたの齢が長くなるためである。」と戒められています。モーセの十戒は、約400年間奴隷として苦しめられていたイスラエルの人たちが神によってエジプトから解放され、その彼らへの神の愛の戒めとなっています。ですからその戒めを守れば、神さまが与えようとしておられる約束の地であるカナンにおいて、長生きが出来ると、幸福と祝福を約束されています。その土地は、神さまがアブラハムと結ばれたアブラハム契約で約束された土地です。アブラハム契約はアブラハムからその子イサクに受け継がれ、イサクからその子ヤコブに受け継がれ、ヤコブからをその子孫である12部族で構成されるイスラエルに受け継がれていきました。アブラハム契約は創世記において11回啓示されていますが、アブラハム契約の条項は、第1にアブラハムが歩いた範囲のカナンの土地を与えるという約束です。第2に子孫の増大です。第3に、世界を祝福する民となる事です。第4にメ、アブラハムの子孫からメシヤが来臨するという約束です。その約束は無条件契約ですので、神さまは必ずそれを実現させられます。アブラハム契約によって、アブラハムが歩いた範囲のカナンの土地である、北はユーフラテス川から南はエジプトとの境界線にあるエジプト川までの所有権がアブラハム、イサク、ヤコブとその子孫イスラエルの人たちに既に与えられました。その所有権は昔から今のイスラルにも継続的に与えられています。イスラエルが過去においてその1部を実際に所有した事があり、又、現在において1部を実際に所有しています。しかし、全部を実際に所有した事は一度もありません。それはイスラエルの不従順の故です。モーセの十戒において、アブラハム契約に基づくイスラエルに約束されている土地について言及をしている事は、モーセの十戒も終末におけるイスラエルの祝福を念頭に与えられていると理解ができます。十戒の「汝の父と母を敬え」という、愛の戒めの中に、必ず約束の土地を所有する時が来る事が知らされていたのです。それは、キリストが地上に再臨されて初めて実現する約束となっています。その時に、アブラハム、イサク、ヤコブは甦って、約束の地を実際に手に入れてその土地に神からの喜びと平安に満たされて生きるのです。それが、ナザレのイエス・キリストによって実現する事については、現代の多くのイスラエルの人たちは知りません。それは、ナザレのイエス・キリストを救い主だと認めて受け入れていない事によります。
ユダヤのベツレヘムに生まれ、ナザレの村で育ち、罪なき生涯を歩み、十字架でイスラエルと全人類の罪を背負って身代わりの刑罰を受け、死なれ、葬られ、三日目に甦られたナザレのイエス・キリストは、アブラハム契約に基づいて誕生し、出現したイスラエルと人類の救い主です。イスラエルは1958年5月14日に約2000年間失われていた約束の地に再び国家を復興する事が出来ました。正に、終わりの日に、世界に離散したイスラエルを帰還させるという旧約聖書の多くの預言が成就した瞬間でした。その時は、偉大な神の時でした。歴史を愛と正義とご計画と目的をもって統治されている創造主の神は、現在、アラブの人たちと所有権争いをしている約束のカナンの土地(パレスチナ)を、全て実際にイスラエルの所有の土地とされます。それは復活された主イエス・キリストを再びこの地上に遣わされる事によって実現されます。創造主の神は、アブラハム契約によりイスラエルに既に所有権を与えておられるその土地を、全面的にイスラエルに実際に永遠に所有させられます。その時が確実に近づいています。現在、創造主は正に歴史の終末時計を動かされているのです。私達は、自分が歴史のどの位置に立っているのか、聖書を通して正しく知っておく必要があります。
2、主にあって
ですから、パウロは、モーセの十戒の「汝の父と母を敬え」と言う教えを説くにあたり、「子どもたちよ、主にあって両親に従いなさい」と教え、モーセの十戒には無かった「主にあって」を特別に付け加えています。主にあって両親に従う人には、神さまの祝福があるのです。只、両親を敬い従うだけでは祝福は無いのです。ですから子どもたちは先ず「主にあって」という事を正しく理解して、自分が主にある者となっておく必要があるのです。それは、イスラエルの人も異邦人の私達も同様です。現在の私達は、旧約時代のモーセ律法に生きる者でなく、新約時代に付与されたキリストの律法に生きるものとされているのです。キリストの律法では「主にあってあなたの両親を敬いつつ従え」と教えられているのです。
「主」と言うのは、もちろんナザレのイエス・キリストの事をさしています。ナザレのイエス・キリストが主という事は、ナザレのイエス・キリストが創造主であり、救い主だという事を意味しています。ナザレのイエス・キリストを主と告白させるのは聖霊の働きによるとパウロは教えています。
◆「Ⅰコリ 12:3 そこで、あなたがたに言っておくが、神の霊によって語る者はだれも『イエスはのろわれよ』とは言わないし、また、聖霊によらなければ、だれも『イエスは主である』と言うことができない。」
ナザレのイエス・キリストを自分の創造主であり救い主だと信じることによって、誰もが「主にある」者となるのです。「主にあってと言うのは、ギリシャ語の原語では「エン クリオー」です。ギリシャ語のエンは英語ではINになります。日本語では直訳をすれば「中」という事です。ですから、「主にあって」と言うのは、キリストを信じたあなたが主であるキリストの中に置かれた事を意味しています。それは同時に、主であるキリストがあなたの中に置かれた事でもあるのです。つまり、キリストを信じたあなたは永遠に偉大なナザレのイエス・キリストと絶対に切り離されない一体の関係の中に置かれた事を意味しているのです。とてつもない大きな恵みです。
キリストをわが創造主、わがメシヤ、わが救い主だと信じて、キリストにある者となったキリスト者には、11の福音の恵みが与えられています。①永遠の罪の赦しと信仰義認の恵み ②永遠に神の子とされた恵み ③永遠に三位一体の神が霊に内住された恵み ④永遠に朽ちない栄光の体が与えられる恵み ⑤人格がキリストの如く聖化され栄化される恵み ⑥天にある全ての霊の祝福に既に与っている恵み ⑦天に国籍を持つ者となった恵み ⑧父なる神と、キリスト共に万物の所有者となった恵み ⑨キリストの御体なる教会(花嫁なる教会)の一員となった恵み ➉メシヤ的千年王国の住民となる恵み ⑪黙示録の新天新地の住民となる恵み。 私達は、キリストを信じる信仰だけで、キリストにある者となり、以上の11の恵みの福音に与ったのです。キリストにある者となったという事は、とてつもない偉大な恵みの中に置かれている事を意味しています。
3、11の福音の恵みを心に刻印せよ
両親を敬い、従う前に、先ず、キリストを信じている自分が11の福音の恵みの中に生かされている事を覚えて、神さまの愛と恵みへの感謝に溢れ、神さまをたたえる喜びに溢れておくことが重要です。「主にあって」と言うのはそういう意味です。11の福音を心の奥底に、潜在意識の中に是非刻印してください。その人に、必ず聖霊が働き、その11の福音に実際に生きる力を与えて下さるのです。神さまから福音の恵みに与る資格がない罪深い者である自分が、父なる神さまの一方的な恵みにより、キリストを信じる信仰にあずかり、その結果、とてつもない11の福音の恵みに与っている事を心から喜び感謝しながら、お母さんのこれまでの愛の労苦の全てに感謝しましょう。そして、お母さんを敬いながら従いましょう。それが「主にある」子どもたちに求められているのです。
4、創造主の愛を示す木々の緑と青草等の緑
これまで、わたしは母の日の礼拝等で何回か証をしてきましたが、わたしに最初に愛とか善意と言う、心に感じる嬉しさ、喜ばしさ、楽しさを体験をさせてくれたのが、母親でした。母親を通して愛される喜び、優しくされる喜び、大事される喜びを体験的に知りました。その体験が土台となって、天地万物を創造された創造主の目に見えない愛を信じる事が出来るようになりました。創造主がお造り下さった美しい自然を通して、その背後にある神さまの心の内を知り、創造主の愛を信じるようになったのです。今の季節は、若葉が薫る美しい新緑の季節です。深い慰めを感じます。わたしは、美しい自然を創造された創造主の愛を信じるまでは、美しい自然を見ても何の感動もなく眺める心寂しい少年でした。しかし、創造主の愛を知った事で、その寂しい心から解放されたのです。10代のある時、美しい木々の緑の葉っぱや青草の存在について少し考えてみました。緑の葉っぱの役割を考えてみたのです。先ず緑は目に美しく目にとって大変良い事を再認識しました。又、心に安らぎを与えるものだと改めて思いました。次に、光合成作用で、人間や生物が生きて行く上で絶対に欠かせない酸素を沢山放出し、有害な二酸化炭素を吸収してくれるという、学校で習った事を思い出しました。光合成作用を思い出し、木々や青草の緑は人間や動物が幸福に、健康に生きて行く為に欠かせないものだと改めて確信出来ました。しかし、残念な事に、人間の貪欲で現在の世界は自然破壊が進んでいる事も思いました。その為に、木々の美しい葉っぱや青草は、昔に比べれば随分減ったと思い、もし、自然破壊がなければ地球はもっともっと美しい緑にかこまれ、どれだけ幸いな事であったかと思ったのです。そのような、美しい木々の緑の葉っぱや青草を創造された神さまは、愛の神さまだなあと感じるようになりました。私は、木々の緑と青草の存在で、創造主の愛を信じる信仰を私は私なりに深めていきました。創造主の存在は、いつしか私にとっては絶対となり、いつでもどこでもどんな時でも創造主に向かって祈りを捧げるようになったのです。その創造主が天の父であり、同時に、イエス・キリスだと後に聖書を通して知ったのです。神の子であるキリストは、天の父の愛の設計と御心に従って、天地万物を創造され、また、十字架でイスラエルと全人類の罪を取り除くという救いの御業をなされました。今はご復活をされ天におられますが、天におられながらも、偏在の神として万物を全力の愛で熱心に保持しつつ、動植物や1人ひとりの人間を愛して個性豊かに神の形に似せて尊く創造されているのです。あなたやわたしを心込めて愛情込めて設計されたのは天の父ですが、その天の父の設計に基づいて母の胎内で愛をもって創造して下さったのが、救い主であるナザレのイエス・キリストなのです。イエス・キリストは言葉に表せないすごいお方です。あなたの創造主であり、救い主なのです。
5、母の胎内で創造主の愛によって創造された
詩篇139篇には、創造主が人間を母の胎内で創造された事が教えられています。「詩139:13 それはあなたが私の内臓を造り、母の胎のうちで私を組み立てられたからです。 139:14 私は感謝します。あなたは私に、奇しいことをなさって恐ろしいほどです。私のたましいは、それをよく知っています。」人は胎内で創造主によって創造された事は詩篇139篇以外においても教えられています。
◆「ヨブ 31:15 私を胎内で造られた方は、彼らをも造られたのではないか。同じ方が、私たちを母の胎内に形造られたのではないか。」
ヨブは自分が創造主によって母の胎内で創造された事を知っていました。
◆「イザ 44:2 あなたを造り、あなたを母の胎内にいるときから形造り、あなたを助ける【主】はこう言う。恐れるな。わたしのしもべヤコブ、わたしの選んだエシュルンよ。」
◆「イザ 44:24 あなたを贖い、あなたを母の胎内で形造った方、【主】はこう言われる。「わたしは万物を造った【主】である。わたしはひとりで天を延べ広げ、ただ、わたしだけで、地を押し広げた。」
◆「イザ 49:5 今、【主】は言われる。ヤコブをご自分のもとに帰らせ、イスラエルをご自分のもとに集めるために、母の胎内で私をご自分のしもべとして形造った方が言われる。私は【主】の御目に重んじられ、私の神は私の力となられた。」
イザヤは、イスラエルの人たちと自分が「神の僕」として特別に母の胎内で創造された事を知っていました。
◆「エレ 1:5 「わたしは、あなたを胎内に形造る前からあなたを知り、あなたが母の胎を出る前からあなたを聖別し、国々への預言者と定めていた。」
エレミヤは自分が母の胎内で創造された事を、直接神さまから教えられていました。
6、奇跡によって誕生した人たち
①アブラハムの息子イサク
むかし、アブラハムが100歳の時、サラが90歳の時、彼ら夫婦は「イサク」を出産しました。サラは、若い時から子どもが産めない体でした。しかし、創造主の神さまは彼らに、子孫を夜空の星のように、海辺の砂のように沢山与えると約束されました。それから30年近く経ち、、アブラハムはとうとう100歳になり、体は死んでいるように弱り果て、子どもを産む力は「ゼロ」になったのです。ローマ書でパウロが次のように教えています。「ロマ4:19 アブラハムは、およそ百歳になって、自分のからだが死んだも同然であることと、サラの胎の死んでいることとを認めても、その信仰は弱りませんでした。」と。ヘブル書でも次のように教えられています。「 11:11 信仰によって、サラも、すでにその年を過ぎた身であるのに、子を宿す力を与えられました。彼女は約束してくださった方を真実な方と考えたからです。 11:12 そこで、ひとりの、しかも死んだも同様のアブラハムから、天の星のように、また海べの数えきれない砂のように数多い子孫が生まれたのです。」
イサクは、正に神さまの約束と奇跡によって母サラの胎内で創造されました。
②ハンナの息子サムエル
もう一人、神さまの奇跡で誕生した人物を御紹介します。それは、サムエルです。サムエルの母となったハンナは元々神さまによって、子どもを産むことが出来ないように、その胎は閉ざされていました。
◆「Ⅰサム1:4 その日になると、エルカナはいけにえをささげ、妻のペニンナ、彼女のすべての息子、娘たちに、それぞれの受ける分を与えた。 1:5 しかしハンナには特別の受け分を与えていた。【主】は彼女の胎を閉じておられたが、彼がハンナを愛していたからである。」
古代のイスラエルの既婚の女性にとって、子どもが生まれないというのが、何よりも悲しい事、不幸な事、つらい事、屈辱的な事だと思われていました。その為に色々と蔑まれたり、侮辱された事があったようです。エルカナの妻ハンナはそのような女性でした。彼女は、子どもが生まれないつらさ、屈辱に耐えかねて、シロにあった神殿に行って、神さまに涙を注ぎながら必死に祈りました。どれほど祈ったか分かりませんが、ふらふらになるほどに必死に熱心に叫びをあげて祈ったのです。祭司のエリが、祈りで疲れてふらふらになっているその有様を見て、まるで酒に酔っているかのように見えたので、ハンナを戒めました。しかし、彼女は、酒に酔っているのでなく、子を授けて下さるように神さまに必死に祈っているんですと、証しました。それを聞いたエリは、何故か、ハンナの祈りを神がお聞き下さった事を確信しましたので、「もう祈らなくても良い、神はお聞き下さった」と告げたのです。ハンナも、エリの信仰の言葉を聞いて、子が与えられる事を確信したので祈る事を止めました。その結果、サムエルが生まれたのです。「Ⅰサム1:19 翌朝早く、彼らは【主】の前で礼拝をし、ラマにある自分たちの家へ帰って行った。エルカナは自分の妻ハンナを知った。【主】は彼女を心に留められた。」
神さまはイサクをアブラハムとの一方的な約束により、奇跡によって母サラの胎を使って創造されました。神さまはサムエルを、あえて閉ざされた母ハンナの胎を、彼女の信仰の祈りを通して奇跡的に開き、ハンナの胎の中で創造されました。
③全ての人々
しかし、奇跡的に人が誕生したのは、イサクやサムエルだけではありません。又、母の胎内で創造されたのは、ヨブや、イスラエルやイザヤやエレミヤだけではありません。実は、全ての人が、創造主の奇跡の御手によって創造された奇跡の子です。創造主の偉大な全知と言う知恵と全能と言う力と永遠の愛と計画と目的に基づいて、奇跡と呼んでも良い「奇しい御業」によって創造された神さまの愛の作品です。私達を創造する為に神さまは、母の胎を尊い器として準備し、お用いになりました。神様があなたの創造と誕生の為に、特別にあなたにとって最高最善の1人のお母さんを準備して下さったのです!! あなたのお母さんは、創造主の天の父とキリストがあなたの幸福と祝福と平安を熱く願って特別に備えて下さったお母さんだという事を、是非覚えて下さって、主にあってお母さんを敬いつつお母さんに聞き従って下さい。
詩篇139篇の作者は、古代の人です、今のように医学や科学が進歩していない時代の人です。科学が進歩した現代は、遺伝子の情報を解明するゲノム時代です。古代の人に比べれば、現代の人間は人間のからだの仕組みについての知識は計り知れないほど膨大になったと思います。しかし、それでも、人間のからだは創造主が造ったと言わず、知恵も愛もない偶然に自然によって進化によって出来たというのです。古代の詩篇の作者はそうではありません、自分の目で見える肉体の全て、また、心臓など内臓の働きや骨の見事な仕組みや働きを外から観察して、創造主の愛と知恵と力によってなんと奇しく造られている事か、その精巧さに恐れを感じたというのです。
◆「あなたは私に、奇しいことをなさって恐ろしいほどです。私のたましいは、それをよく知っています」と。
6、創造か偶然か
現代のゲノム時代のように、人間の肉体について膨大の知識があれば、それで人は人間が創造主によって奇しく創造さていると、認めるとは限らないのです。逆に、知識は乏しくても、心の素直な人は自分で観察できる僅かな知識でも、人は創造主が愛と知恵と力によって恐ろしいほど緻密に精巧にお造り下さっている事を認める事が出来るのです。父なる神とキリストと聖霊の三位一体の神は、全ての人が幸福と祝福と平和に過ごすことを願って、それぞれの母の胎内で成功に巧妙にお造りくださった創造主です。
皆さん、私達は決して偶然によってそれぞれの母の胎内に宿り育ち生まれて来たのではないのです。創造主であるキリストが父に従って、愛と知恵と全力を尽くして個性豊かに神の尊い形に似せて目的と計画性をもって創造して下さったのです。私達は、父とキリストの愛の作品なのです。父なる神もキリストも、私達がどれほど幸福と祝福と平和の内に人生を送る事を熱く願って創造された事か、その愛の深さはどれ程であったでしょうか。私達が、お母さんを大事にしなければならない最大の理由は、お母さんを、私達を創造するための尊い愛の器とされた事にあります。私達が人間として誕生する為に、神さまをそれぞれに最高最善の母を準備されました。
十字架で私達の罪を負って身代わりに刑罰を受けられたイエス・キリストが、私たちを、母の胎内の中で形作られた愛と知恵と力に満ちた創造者です!! 人間は、それぞれお母さんのおなか中で成長し、9ヶ月から10ヶ月ほどで誕生しますが、その為に幾重もの奇跡の積み重ねがあるのです。
人間の体は、自分の個性化された細胞と他人の細胞を区別するという能力があります。個性化されている為です。自分に由来しないものは免疫システムが働いて撃退するそうです。いわゆる拒絶反応です。ですから、臓器移植した方は、体の中にある他人の臓器を守るために、免疫システムを抑える薬、つまり拒絶反応を防ぐ薬を一生涯飲み続けなければなりません。ところが唯一の例外が精子なんです。女性の体内に精子が入った時、女性の体はそれをウイルスや外敵のように撃退しません。それを受け入れるように設計されているんです。そうでなければ人は誕生しない事になります。一つの命が誕生するには、一つの精子と一つの排卵された卵子が出会わなければなりません。受精においては二千万から四千万の精子が、たった一つの卵子を目指して我先にと壮絶な競争を繰り広げます。二千万倍以上の倍率を勝ち抜く精子とは何でしょうか。それは他の精子より優っているからでしょうか。その可能性もありますが、最大の理由は、父なる神が設計された通りの人間が出来るように、母の胎内に内在されているキリストがコントロールされ選ばれている事にあるのです。それは卵子も同じです。卵子も、父なる神が設計された人が誕生するように、キリストが選びコントロールされているのです。
女性が、妊娠可能期間に排卵する卵子は、一生において約500個と言われています。その500個ほどの卵子は実は厳選された卵子なのです。受精20週目のころ、女の子の胎児の卵巣には約700万個の卵子が造られています。それが段々と減って誕生するまでに、100万から200万個に減ります。生まれてから思春期前後になるとは、30万個まで減ります。そこからだんだんと減ってたった500個になり、1個づつ放出されます。その中の1つが受精卵になります。妊娠20週目に創造された約700万個以外は、それ以後、卵巣では卵の細胞は作られないのです。生まれる前の最初700万個ほどあった卵の細胞が段々と減って、残りが保存されているだけなのです。妊娠可能な500個ほどが残されて、その中の僅かが受精卵になるのです。卵子も厳選されているのです。受精卵はたった、0,2ミリです。その中に、今のあなたやわたしになる為の全てのものが全部秘められていたのです。どうでしょうか、人間が誕生する為の、受精卵ができる仕組みとその小さな受精卵に1人の個性豊かな人間が出来る為の全ての膨大な情報が入力されること、又、その情報に従って細胞が分裂を繰り返しながら、各内臓や骨や全てを作り1人の個性豊かな人間を作り上げていきます。その精巧で巧妙な知恵に満ち溢れたシステムは果たして、知恵も愛もない計画性もない目的性もない偶然が勝手に造りあげたものでしょうか。それとも、聖書が教えるように、創造主であるイエス・キリストがその仕組みの全てを創造し、受精卵に情報を入力し、その中に介入されて、父なる神が設計された人間を個性豊かに、神の形に似せて創造されたという教えと、どっちが理にかなっているでしょうか。
もし、偶然によって出来たという事であれば、そのようにして成功に出来ている人間には生きる意味や計画性や目的がないという事になります。そうなれば、汝の父と母を敬いつつ従いなさいと言う命令も絶対の命令でなくなり、敬っても敬わなくてもどっちでも良いという事になってしまいます。
私は、私達人間やその他の動植物が日々生み出されている事が、創造主の愛と知恵と力による創造の御業か、それとも、進化論者が言うように、偶然に勝手にできているのか、どちらが本当なのかという事を、牧師になってからも繰り返し考えてきました。その中である時、自動販売機の事を参考に考えるようになりました。日本あちらこちらに、様々な自動販売機が設置されています。コーヒーやジュースやお茶の自動販売機、引き立ての美味しいコーヒーを飲ませてくれる自動販売機などは、どれも、人間の知恵によって見事に巧みにできています。お金を入れて好きな物のボタンを押せばがちゃがちゃ出てきますし、引き立ての美味しいコーヒーを自動的に作ってくれいます。教会の隣の喫茶店の裏側には、最近ラーメンの自動販売機が設置されました。その自動販売機ではいくつかの種類のラーメンが出来るようになっています。お金を入れ、自分が欲しいラーメンのボタンを押すと、冷凍ラーメンが出てきます。これもやはり、人間が知恵を尽くして力を尽くして、或は美味しいラーメンを食べてもらおうと愛情を込めて、造られたもので、決して偶然に勝手に出来たのでない事は、子どもでも分かる大変単純な事実です。もし、誰かがその自動販売機をみて、この自動販売機は偶然に勝手にできたと言えば、子どもからも「お前はあほか」と言われてしまうのが落ちでしょう。自動販売機が精巧であればあるほど、人間の知恵が必要であり、偶然に勝手にできるとは増々言えなくなります。
中国は現在人口減少の問題に遭遇しています。2100年には現在14億人の人口が6億3千万人程に減少すると予測されています。その為の対策として中国は人間の仕事ができるロボット開発に必死に取り組んでいる事が先日ニュースで流れていました。人間の仕事ができるロボットは決して知恵も目的も計画性もない偶然が勝手に生み出し作る事は不可能だと誰にも分り切った事です。しかし、そのロボット以上に精巧に細胞でできている人間はどうでしょうか。その他の動物や植物や木々や草花、野菜はどうでしょうか。生命あるものは、全て細胞と言う物質の巧妙な働きを基本として、作りあげられています。そうした人間には作れない精巧で巧妙な細胞は、知恵がない偶然が勝手に造ったのでしょうか。精巧さと巧妙さにおいて細胞以下の仕組みにできている機械であるロボットが人間の知恵が無いとできないであれば、人間が決して作りえ得ない精巧に巧妙にできている細胞が、知恵がなくてもできるという事はあり得ません。人間に無い偉大な知恵を持つ人格的存在である創造主が造ったとしか言いようがありません。万物は知恵もない、愛情もない、目的や計画性もない、無い無いずくし偶然により勝手にできたという事はあり得ません。人間以上に偉大な知恵と力がある創造主が愛と知恵と目的と計画性をもって造られたとしか言いようがありません。
物質は、精巧にできている多くの原子とその組み合わせの分子によって見事にできています。そうした原子や分子は果たして知恵や力や目的がない偶然により勝手にでき、勝手につながって全ての物質が出来たているのでしょうか。人間を初め、精巧にできている全ての物質が偶然に勝手にできたというのは、自動販売機やロボットが偶然に勝手にできたと言っている事と同じであり、愚かな発言なのです。しかし、現代の社会では、それが愚かでなく、賢い者の発言だと言われているのです。学校やテレビでは、見事に精巧にできている人間を含め、美しい自然や生物もみな偶然に勝手に進化して出来たと教え、人間を増々愚かにしてしまっているのです。
受精卵と言う細胞から始まり、細胞分裂を繰り替えしやがて60兆もの細胞となり、一人の個性豊かな人間が誕生するというシステムは、知恵と力と計画性と目的性に満ちたものです。知恵と目的と計画性に満ちた人間は知恵の無い遇然によって勝手に出来たのでなく、創造主であるキリストによって創造された愛の作品なのです。
子どもたちが主にあって、両親を敬い、両親に従う事は、絶対者である創造主の愛の絶対の命令ですので、子どもたちは親を、母を敬っても敬わなくてもどっちでも良い、従っても従わなくてもどっちでも良いという事にならないのです。絶対に敬い、絶対に従う必要があるのです。そうすれば、必ず神さまに祝福され、幸福になるとパウロは説いています。
7、母を敬い、聞き従う道
主にあってと言うのは、主に聞き従ってと言う意味もあります。私達キリスト者はキリストを信じて11の福音の恵みに与りました。その中に、三位一体の神の内住の恵みがあります。神さまがキリスト者の頭のてっぺんから足のつま先まで支配している霊の中に永遠に内住されている目的は、キリスト者が神御自身の知恵と力と愛に支配されて喜びと平安に満ちて日々神の栄光の為に生かされる事です。その為に、キリスト者は、いつも生まれたばかりの赤ちゃんのように、自分を無にして、自分の持てるものを神さまの御手に委ね、神さまの導きと助けを祈る事です。そうすると創造主はご自分の御手で私たちの知性や感情や意志を支えながら、それに聖霊を働かせて、御霊の実である愛、喜び、平安で満たし、又、神の知恵や力や謙遜で満たして、私達のなす事を助けて下さるのです。
お母さん敬い聞き従う事に関しても、先ず、自分を主の御手に委ね、主の知恵と助けの中で、お母さんを敬い聞き従って下さい。お母さんに聞き従う事は、お母さんの教える正しい戒めや教え喜んで守る事です。また、お母さんに、リクエストがないかをたずね、リクエストがあれば喜んでそれに応じる事です。私達は、日々祈りの中で、神さまにリクエストがないかを聞きますが、そのように、お母さんに、「何をしてほしいのか、リクエストを教えて」と、時々たずねる事が重要です。自分のしたい事をお母さんにするのでなく、お母さんがしてほしいと思う実践可能な事をするのです。
