「ヘブル書のキリスト①」〜天使に優るキリスト〜
聖書箇所: ヘブル人への手紙1章:1~4節
牧師:佐藤勝徳
「へブル1:1 神は、むかし父祖たちに、預言者たちを通して、多くの部分に分け、また、いろいろな方法で語られましたが、 1:2 この終わりの時には、御子によって、私たちに語られました。神は、御子を万物の相続者とし、また御子によって世界を造られました。 1:3 御子は神の栄光の輝き、また神の本質の完全な現れであり、その力あるみことばによって万物を保っておられます。また、罪のきよめを成し遂げて、すぐれて高い所の大能者の右の座に着かれました。 1:4 御子は、御使いたちよりもさらにすぐれた御名を相続されたように、それだけ御使いよりもまさるものとなられました。
【はじめに】
ヘブル書の1章において、キリストがどのようなお方として教えられているのかを学びたいと思います。 このヘブル書は誰が書いたのか、パウロか、ペテロか、アポロなのか定かではありませんが、旧約聖書に深く通じていた初代教会の指導者であった事は間違いありません。その証拠は、第1に旧約聖書の教えられている、モーセ律法の祭儀を詳細に論じている事です。第2に創世記に登場する大祭司メルキゼデクについて詳しく教えている事です。第3に、旧約聖書と旧約外典に登場する多くの信仰者の事を取り上げ教えている事です。第4に、ダビデ王を通してイスラエルと結ばれた無条件契約の「ダビデ契約」、預言者エレミヤによってイスラエルと結ばれた無条件契約の「新しい契約」のみ言葉を引用している事です。第5に、旧約聖書に記録されている不信仰な滅ぼされた荒野のユダヤ人の歴史を教えている事です。第6に、旧約聖書のメシヤ預言等の聖句を多く引用している事です。そうした事から、ヘブル書を書いたのは、旧約聖書に良く通じていたユダヤ人キリスト者の指導者であった事が分かります。又、そのあて先は、旧約聖書を良く知っているユダヤ人キリスト者であったと言えます。ヘブル人とはユダヤ人の事を意味しています。初代教会時代は、迫害が厳しい時代でしたので、キリストを信じる信仰を捨てようとするユダヤ人キリスト者や、また、キリストは天使だと天使礼拝に移行しようとするユダヤ人んキリス者など、キリストに対する正しい信仰が動揺し始めたユダヤ人キリスト者が多く出始めたようです。そのような彼らを励まし、キリストを正しく信じて、迫害と言う厳しい試練を忍耐をもって耐える信仰をしっかりと保つ事を願って書かれたのがヘブル書です。書かれた年代も定かではありませんが、AD70年にローマによって滅びた「エルサレム」に関しての記述が無いので、それ以前の67年~69年頃ではないかと一般的に神学者の間で推測されています。
以上の事を証拠付ける聖句は以下の通りです。
◆「ヘブル 3:12 兄弟たち。あなたがたの中では、だれも悪い不信仰の心になって生ける神から離れる者がないように気をつけなさい。」
◆「ヘブル10:23 約束された方は真実な方ですから、私たちは動揺しないで、しっかりと希望を告白しようではありませんか。」
◆「ヘブル10:34 あなたがたは、捕らえられている人々を思いやり、また、もっとすぐれた、いつまでも残る財産を持っていることを知っていたので、自分の財産が奪われても、喜んで忍びました。 10:35 ですから、あなたがたの確信を投げ捨ててはなりません。それは大きな報いをもたらすものなのです。 10:36 あなたがたが神のみこころを行って、約束のものを手に入れるために必要なのは忍耐です。」
1、キリスト天神論の否定
ヘブル書の著者は、厳しい迫害時代にあって、ユダヤ人キリスト者が、キリストを信じる信仰をしっかりと保持して、キリストの為に、殉教を辞さないで信仰を忍耐をもって守り通すには、キリストに対する正しい認識の基づく信仰が絶対に不可欠だと確信し、正しいキリスト論を伝える事に心血を注ぎました。その手始めに、取り組んだのが、キリストを神に創造された天使だとする、キリスト天神論と言う間違ったキリスト論を否定する必要がありました。間違ったキリスト天使論によって、キリストに祈っても、聖霊は働かれませんので、キリスト天神論の信仰では迫害を耐え抜くことはできません。初代の教会時代には、天使崇拝と言う偶像崇拝が教会の中に入り込んで、キリスト者を惑わしていたようです。それは悪魔の罠でした。キリスト天使論は、初代のユダヤ人キリスト者が陥りかけていた深刻な霊的問題でした。
①聖書が教える天使たち
旧約聖書の中には、ケリビム、セラピム、と呼ばれる位の高い天使が登場しています。サタンは元々ケリビムの仲間でした。その次の位の天使は、ガブリエルとかミカエルと呼ばれる天使長が登場します。キリストの母マリヤに顕れたのが天使長「ガブリエル」です。ガブリエルは主に神のメッセージを伝える「メッセンジャー」の役割を担っています。彼は、マリヤに受胎告知を行っています。又、ダニエルに終末に関するメッセージを伝えています。ミカエルは、黙示録では悪魔を天から追放する大変力のあり天使長として教えられています。ミカエルは、イスラエル民族の守護天使だとダニエル書で教えられています。天使長の下には「無数の天使」が仕えています。以上の事を証拠付ける聖句は以下の通りです。
◆「ルカ1:26 ところで、その六か月目に、御使いガブリエルが、神から遣わされてガリラヤのナザレという町のひとりの処女のところに来た。」
◆「ダニ 8:16 私は、ウライ川の中ほどから、「ガブリエルよ。この人に、その幻を悟らせよ」と呼びかけて言っている人の声を聞いた。 8:17 彼は私の立っている所に来た。彼が来たとき、私は恐れて、ひれ伏した。すると彼は私に言った。「悟れ。人の子よ。その幻は、終わりの時のことである。」
◆「ダニ 12:1 その時、あなたの国の人々を守る大いなる君ミカエルが立ち上がる。国が始まって以来その時まで、かつてなかったほどの苦難の時が来る。しかしその時、あなたの民で、あの書に記されている者はみな救われる。」
◆「黙 12:7 さて、天に戦いが起こって、ミカエルとその御使いたちは竜と戦った。竜とその使いたちも戦ったが、12:8 勝つことができず、天にはもはや彼らのいる場所がなくなった。」
◆「黙 5:11 また私は見た。そして御座と生き物と長老たちの周りに、多くの御使いたちの声を聞いた。その数は万の数万倍、千の数千倍であった。」
旧約聖書を信じるユダヤ人達は、神の使いとして多くの天使が活躍している事を知っていました。ヘブル書の著者は12章22節で、天には「無数の天使達の大祝会」があると教えています。キリストは、罪びとが地上で罪を悔い改めてキリストを信じるとみ使いは爆破的に喜ぶものだとも教えられています。イエス様は、幼子には守護天使があてがわれている事を教えておられます。ヘブル書の著者は、キリスト者一人ひとりに、守護天使が複数あてがわれ、仕えていると教えています。キリストが40日40夜の断食を終えられた時に、御使いたちがやって来てキリストに仕えた事、キリストが三日目にご復活をされた時、御使いが墓にやって来た女性たちにキリストの復活を告げた事、終末時代にディアスポラの選民イスラエルを約束の地に導く役割を御使いが担う事、キリストの地上再臨の時は全てのみ使いが同伴すると福音書は教えています。主の空中再臨の時(教会携挙の時)に、み使いは神のラッパを吹き、号令をかける奉仕をすることをパウロは教えています。以上の事を証拠付ける聖句は以下の通りです。
◆「ヘブル12:22 しかし、あなたがたは、シオンの山、生ける神の都、天にあるエルサレム、無数の御使いたちの大祝会に近づいているのです。」
◆「ルカ 15:10 あなたがたに言います。それと同じように、一人の罪人が悔い改めるなら、神の御使いたちの前には喜びがあるのです。」
◆「マタ 18:10 あなたがたは、この小さい者たちの一人を軽んじたりしないように気をつけなさい。あなたがたに言いますが、天にいる、彼らの御使いたちは、天におられるわたしの父の御顔をいつも見ているからです。」
◆「マタ4:11 すると悪魔はイエスを離れて行き、見よ、御使いたちが近づいて来て仕えた。」
◆マタ 28:5 御使いは女たちに言った。「あなたがたは、恐れることはありません。十字架につけられたイエスを捜しているのは分かっています。28:6 ここにはおられません。前から言っておられたように、よみがえられたからです。来て、納めてあった場所を見てごらんなさい。」
◆マル 13:27 そのとき、人の子は御使いたちを遣わし、地の果てから天の果てまで、選ばれた者たちを四方から集めます」
◆「マタ 16:27 人の子は、やがて父の栄光を帯びて御使いたちとともに来ます。そしてそのときには、それぞれその行いに応じて報います。」
◆「マタ 25:31 人の子は、その栄光を帯びてすべての御使いたちを伴って来るとき、その栄光の座に着きます。」
◆「Ⅰテサ 4:16 主は、号令と、御使いのかしらの声と、神のラッパの響きのうちに、ご自身天から下って来られます。」
②なぜ初代のユダヤ人キリスト者がキリストを天使の一人と考えたのか
旧約聖書を学んでよく知っていた初代教会のユダヤ人は間違いなく天使の存在を信じていました。しかし、問題は、十字架にかかり三日目にご復活をされた救い主イエス・キリストを天使の一人だと考えるユダヤ人キリスト者が出てきた事です。初代教会のユダヤ人キリスト者の中には、神は唯一だと誰もが確信していたのですが、その唯一の神が父・子・聖霊による三位一体の神だと確信を持てなかったユダヤ人キリスト者がいたのではないかと推測できます。
今、私達は、新約聖書がありますので、新約聖書を通して、キリストを神の子キリストだと信じる事ができていますが、このヘブル書が書かれたころは、まだ、新約聖書がありませんので、キリストに関して色々な考え方がキリスト者の間に生まれて来たのです。その、間違ったキリスト論を正す為に、新約聖書が生まれて来たのです。ヘブル書もその一つです。今の私達は聖書を手に取って読む事ができますが、それは15世紀にドイツのグーデンベルグが活版印刷を発明した事によって、可能となったのです。それまで、教会の聖書はギリシャ語とヘブル語などの原語以外ではラテン語で翻訳されたものしかなく、それは聖職者に限られて読まれ、多くのキリスト者は直接聖書を読むという事は出来なかったのです。ですから、キリスト教徒の中にキリストに関して色々な意見が出てきても、どれが本当かどうか見極める事ができなかったのです。イエス・キリストが父なる神と御霊なる神と一体の子なる神なのかどうかが、AD325年トルコのニケヤで開催されたキリスト教の公会議で議論されました。そして、AD381年の第1コンスタンチノープル公会議で最終的な決着がなされ、父なる神と御子なるキリストと聖霊なる神は三位一体の神だと公式に結論づけられたのです。コンスタンチノープルと言う場所は現在のトルコのイスタンブールに当たります。ニケヤ会議の行われたニケヤはイスタンブールの近くにある町です。いずれも、現在のトルコにあった町で、キリスト教の大事な公会議が行われ、キリストは間違いなく神だと結論づけられたのです。そうした、公会議が決定する前からヘブル書1章では、明確にキリストが創造主の神だと教えていたのです。ヘブル書1章で教えられているキリストはどのようなお方なのかを順を追って学んで行きたいと思います。
2、御子は神のメッセンジャー(預言者)である
先ず第1に御子なるキリストは父なる神のメッセージを伝えるメッセンジャー(預言者)だという事です。旧約時代においては、イスラエルの民に神のメッセージを伝えたのは多くの預言者達でした。神はご自身のメッセージに含まれている重大な真理を一度で全部をお語りになったのでなく、あちこちと要約的に部分的に語られています。私はその啓示の方法を「パズル的啓示」と呼んでいます。間違った解釈をするとそのパズルの全体像が見えなくなるのです。又、少しずつ真理の内容を漸進的に段々と明確にしていくという語り方をされてきました。それを神学者は「漸進的啓示」と呼んでいます。語り方は、直接お語りになったり、夢や幻を使って色々な方法でお語りになってきました。旧約聖書で、預言者を通して語られてきた神のメッセージは、神が実際に預言者にお語りになったのです。それは事実です。預言者たちが自分勝手に考えた神学や教えを、又、人間が生み出した神話や物語を彼らは神がお語りになったとは決して言わなかったのです。旧約聖書を読んでいる方ならお分かりになると思いますが、繰り返し預言者たちは「主が言われ。主が言われた」と、神さまから直接啓示を受けた事を証言しています。
◆「イザ1:2 天よ、聞け。地も耳を傾けよ。【主】が語られるからだ」。
しかし、旧約時代が終わり、世の終わりの時代に入った時は、預言者たちを通してではなく、御子なるキリストを通して神はメッセージをお語りになりました。それが四福音書に啓示されているキリストの言葉です。(ヘブル書が書かれた後には、黙示録がキリストを通して語られたことばだと教えられている)。キリストは、ご自分勝手にお語りになった事は一度もありませんでした。全て、父なる神が語りなさいと命じられた事だけを語られたのです。そのように、キリストは父なる神から直接的にストレートに何を教え、何を語るべきか教えられでお語りになったので、へブル書の著者は終わりの時代は父なる神はキリストを通して語られたと教えました。「終わりの時」と言うのは、御子なるキリストがベツレヘムにお生まれになった時からの時代を意味しています。キリストの誕生により世界の歴史は終りの時代を迎えたのです。終わりの時については9章でも次のように教えられています。「ヘブル9:26しかしキリストは、ただ一度、今の世の終わりに、ご自身をいけにえとして罪を取り除くために、来られたのです。」
◆「ヨハ 14:10 わたしが父のうちにいて、父がわたしのうちにおられることを、信じていないのですか。わたしがあなたがたに言うことばは、自分から話しているのではありません。わたしのうちにおられる父が、ご自分のわざを行っておられるのです。」
◆「黙1:1 イエス・キリストの黙示。これは、すぐに起こるはずの事をそのしもべたちに示すため、神がキリストにお与えになったものである。そしてキリストは、その御使いを遣わして、これをしもべヨハネにお告げになった。」
3、4つの区分される終わりの時
聖書は終わりの時代を、4つに区分して教えています。
①福音書の時代
第1に、キリストがお生まれになってから、十字架で死なれるまでの時代を「福音書の時代」と呼びます。その時代は終わりの時ではありますが「旧約時代」の最後の時代をも意味しています。キリストが十字架にお掛かりになった時に、エルサレム第2神殿の聖所と至聖所と隔てていた真っ二つに幕が避けました。その出来事は旧約時代の終焉を教えています(マタイ27:5)。キリストは十字架の死によりモーセ律法を終わらせられました(ローマ10:4)。モーセ律法の「安息日の戒め」、「十分の一の献げ物規定」含め、祭儀律法もその他の律法も全部終わったのです。その代わりに神は新しく「キリストの律法」を守るように今は命じられています。キリストの律法には、モーセの十戒の安息日を除いたその他の9つの律法が引き継がれています。キリストの律法はその9つの律法を土台にして教えられています。その際たる律法は「ヨハ 13:34 わたしはあなたがたに新しい戒めを与えます。互いに愛し合いなさい。わたしがあなたがたを愛したように、あなたがたも互いに愛し合いなさい。」と言うキリスト者同志の相互愛の戒めです。

②教会時代
第2に、ペンテコステの日に聖霊が約120名の弟子達に降りキリストの御体なる教会(花嫁なる教会)が誕生しました。その時から「教会時代」が始まったのです。旧約時代には「教会」存在していませんし、啓示もされていませんでした。ペンテコステから始まった教会時代は、キリストが空中に来臨されて、教会が天に携挙されて終ります。教会が天に携挙される事を神学的に「教会携挙」と呼ばれています。その時、キリストを信じて、罪赦されて心に聖霊の内住を受けた全てのキリスト者が永遠に朽ちない栄光の体に復活をしたり、変えられたりして、又、霊魂は完全にされて、天に引き上げられて行きます。教会携挙の資格は、キリストを信じて罪赦され義とされ新生し、御霊を内住させている事です。聖化は携挙の条件ではありません。しかし、主が来臨された時に、「恥じる事が無いように」、キリストにあっての聖い正しい生活に励む事は当然の事として求められています。
◆「Ⅰテサ 4:16 主は、号令と、御使いのかしらの声と、神のラッパの響きのうちに、ご自身天から下って来られます。それからキリストにある死者が、まず初めによみがえり、 4:17 次に、生き残っている私たちが、たちまち彼らといっしょに雲の中に一挙に引き上げられ、空中で主と会うのです。このようにして、私たちは、いつまでも主とともにいることになります」。
◆「Ⅰヨハ 2:28 さあ、子どもたち、キリストのうちにとどまりなさい。そうすれば、キリストが現れるとき、私たちは確信を持つことができ、来臨のときに御前で恥じることはありません。」

③教会時代以降からキリストが地上に再臨されメシヤ的王国が実現するまでの艱難時代
第3は、教会時代以降からキリストが地上に再臨されてメシヤ的王国を実現されるまでの艱難時代です。その時代の最後に7年の大艱難時代がやってきます。その7年の大艱難時代がやって来るまで、創世記3章15節の預言に従って、悪魔の息子である反キリストの到来があり、反キリストにより偽の平和な時代がやってきます。その時代にエルサレム第3神殿も建設されます。ダニエルやイザヤが預言しているようにイスラエルが反キリストと死の契約と呼ばれる7年の安全保障条約を結びますしかし、7年の安全保障条約の期間の7年の丁度半分である3年半の時に、その反キリスは約束を反故しイスラエルを裏切ります。(ダニ9:27、イザヤ28:15~20)。イスラエルを裏切った反キリストは「ユダヤ人撲滅計画」を進行し、3分の2ユダヤ人が彼によって虐殺され、3分の1が神の恵みによって生き延びます。多くはエドムにある「ボツラ」に生き延びます。ボツラは天の要塞と呼ばれる巨大な岩でできた古代都市の跡地です。そこが、反キリストからイスラエルを守る為に準備された荒野でした。「黙12:6 女は荒野に逃げた。そこには、千二百六十日の間彼女を養うために、神によって備えられた場所があった」。生き残った3分の1のユダヤ人は先祖がキリストを十字架につけ、神に反逆して来た罪を徹底して悔い改める悔い改めに導かれます。(ゼカリヤ12:9~12,13:8~9)。その彼らが、天におられるキリストに向かって「祝福あれ。主の御名によって来られる方に」と叫びます(マタ23:39)。その叫びに応じてキリストが再臨されて、ユダヤ人撲滅を図る反キリストの世界連合軍を悉く滅ぼされます。そして、メシヤ的王国を実現されるのです。

④メシヤ的1000年王国の時代
第4は、ダニエルが預言するように、再臨のキリストが75日間で、7年の大艱難時代に荒れに荒れた世界を修復し、エルサレムを世界で一番高い山にして、そこにエルサレム第4神殿を建設されます。その第4神殿の至聖所が、キリストの住まいとなり、キリストがお座りになる玉座がおかれます。それ故に、その神殿は「主の家」と呼ばれるようになります。その主の家にお住いの王なるキリストにお会いしに、世界中から大巡礼者が喜び賛美しながらやって来ます。そして、主の御教えを聞き、主のみ言葉に耳を傾けます。それによって、世界は戦争が一切ない平和な世界になるのです。それがイザヤ書2章で預言されています。その平和なメシヤ的王国が1000年続くと黙示録20章は教えています。
◆「イザ2:2 終わりの日に、【主】の家の山は、山々の頂に堅く立ち、丘々よりもそびえ立ち、すべての国々がそこに流れて来る。 2:3 多くの民が来て言う。「さあ、【主】の山、ヤコブの神の家に上ろう。主はご自分の道を、私たちに教えてくださる。私たちはその小道を歩もう。」それは、シオンからみおしえが出、エルサレムから【主】のことばが出るからだ。
2:4 主は国々の間をさばき、多くの国々の民に、判決を下す。彼らはその剣を鋤に、その槍をかまに打ち直し、国は国に向かって剣を上げず、二度と戦いのことを習わない。」
1)75日間でキリストが世界を修復される預言
再臨されたキリストはオリーブ山にお立ちになり、そして、エドムのユダヤ人を撲滅しようとしている反キリストの世界中の軍隊をエドムからエルサレムにかけて、来臨の輝きと口の息の剣で、お一人で悉く滅ぼし尽くされます。その反キリストの軍隊の兵士たちの流した血が約300㎞あるボツラからエルサレムまでに満ち溢れ、血の海になり、その深さは人間の腰が浸かるほどになります。血に飢え渇いている猛禽類の鳥たちの大祝宴となります。その後、キリストは7年の大艱難時代に荒れに荒れた世界を75日間で修復される事がダニエル書に預言されています。
◆「ダニ12:11 常供のささげ物が取り除かれ、荒らす忌むべきものが据えられる時から千二百九十日がある。 12:12 幸いなことよ。忍んで待ち、千三百三十五日に達する者は。 12:13 あなたは終わりまで歩み、休みに入れ。あなたは時の終わりに、あなたの割り当ての地に立つ。」
◆「イザ 34:6 【主】の剣は血で満ち、脂肪で肥えている。子羊とやぎの血、雄羊の腎臓の脂肪で。【主】がボツラでいけにえを屠り、エドム地で大虐殺をされるからだ。」
◆「イザ 63:1 「エドムから来るこの方はだれだろう。ボツラから深紅の衣を着て来る方は。その装いには威光があり、大いなる力をもって進んで来る。」「わたしは正義をもって語り、救いをもたらす大いなる者。」
◆「黙 14:20 都の外にあるその踏み場でぶどうが踏まれた。すると、血がその踏み場から流れ出て、馬のくつわの高さに届くほどになり、千六百スタディオンに広がった。」
※馬のくつわに届くほど→人間の腰の高さほど 1600スタディオン
◆「黙 19:15 この方の口からは諸国の民を打つために、鋭い剣が出ていた。この方は、鉄の杖をもって彼らを牧される。この方はまた、万物の支配者である神の激しい怒りの酒ぶねを踏まれる。 19:16 その着物にも、ももにも、「王の王、主の主」という名が書かれていた。 19:17 また私は、太陽の中にひとりの御使いが立っているのを見た。彼は大声で叫び、中天を飛ぶすべての鳥に言った。「さあ、神の大宴会に集まり、 19:18 王の肉、千人隊長の肉、勇者の肉、馬とそれに乗る者の肉、すべての自由人と奴隷、小さい者と大きい者の肉を食べよ。」19:19 また私は、獣と地上の王たちとその軍勢が集まり、馬に乗った方とその軍勢と戦いを交えるのを見た。 19:20 すると、獣は捕らえられた。また、獣の前でしるしを行い、それによって獣の刻印を受けた人々と獣の像を拝む人々とを惑わしたあのにせ預言者も、彼といっしょに捕らえられた。そして、このふたりは、硫黄の燃えている火の池に、生きたままで投げ込まれた。 19:21 残りの者たちも、馬に乗った方の口から出る剣によって殺され、すべての鳥が、彼らの肉を飽きるほどに食べた。」
2)主の家が世界で一番高い山に建つ預言
メシヤ的王国のエルサレムの山は世界で一番高い山になる事が、イザヤ書やエゼキエル書で預言されていいます。その山に再臨のキリストが王の王としてお住いになる主の家と呼ばれる第4神殿が建てられます。
◆「イザ2:1 アモツの子イザヤが、ユダとエルサレムについて示された先見のことば。 2:2 終わりの日に、【主】の家の山は、山々の頂に堅く立ち、丘々よりもそびえ立ち、すべての国々がそこに流れて来る。」
◆「エゼ 40:2 すなわち、神々しい幻のうちに、私はイスラエルの地へ連れて行かれ、非常に高い山の上に降ろされた。その南のほうに町が建てられているようであった。」
世界で一番高い山のエルサレムに建てられた神殿にお住いのキリストが王として統治される1000年続く平和なメシヤ的王国は、人類の歴史のゴールではありません。人類の歴史のゴールは、黙示録21章の新天新地の神の御国です。よって、1000年のメシヤ的王国はその手前にある、罪に堕落した人類最後の終りの時代を意味しています。
以上、聖書は終わりの時代を4つに区分して教えている事を是非覚えて下さい。この終わりの時代の区分を知れば、キリストや聖書の著者が語る終わりの時代をどの時代を指して教えているのかが理解ができ、正しい終末論が何かが分かって来るのです。

3、キリストは万物の創造主であり、万物の相続者である
キリストは、神のメッセンジャー(預言者)であり、また、キリストは万物の創造主であり保持者の神だとヘブル書の著者は教えています。
◆「神は、御子を万物の相続者とし、また御子によって世界を造られました。 1:3 御子は神の栄光の輝き、また神の本質の完全な現れであり、その力あるみことばによって万物を保っておられます。」
父なる神は、御子を通して万物を創造されましたが、その万物の相続者を御子とお定めになりました。御子が相続された万物の中に、あなたやわたしも含まれています。父なる神は、あなたやわたしを含む万物を御子に与えられたのです。私達は、自分のものでありません。御子であるキリストのもので、キリストが私達の所有者です。ですから、私達はその霊的事実を感謝し喜び、日々キリストに自分を捧げるという献身が必要となります。毎朝、私達は、主に向かって私はあなたのものですので、あなたに全てを捧げます。あなたに喜ばれる一日となりますように助けて下さいと祈って一日を始める必要があります。この献身の祈りは毎日毎日捧げるべきキリスト者の重要な祈りです。父なる神は、御子によって世界を造られました。春から美しい花が咲きはじめ、今は梅雨の季節ですので、梅雨の花がきれいに咲いています。その代表的な花が「アジサイ」だと思います。美しい花、美しい山々、美しい自然は、毎年違う美しさを醸し出しています。キリストはこの美しい世界を造り、保持されています。つまり父なる神はは毎年違った美しい自然を演出し、それに従ってキリストが父なる神の演出された自然を美しく造られているのです。キリストは、また、私たち一人一人をも母の胎内で創造されたのです。キリストは父なる神の設計に基づいて、今も全ての人をそれぞれの母の胎内で創造され生み出されているのです。キリストはあなたやわたしの創造主です。キリストはあなたの子どもや孫さんや曾孫さんの創造主なのです。それが、キリストが力ある言葉で現在の万物を保持されいるという事です。全宇宙、全世界にある万物の営みはキリストの愛のみ言葉によってなされているのです。それが「その力あるみことばによって万物を保っておられます。」と言う意味です。そのキリストの事を著者は「御子は神の栄光の輝き、また神の本質の完全な現れである」と教えました。神の栄光を輝かせている御子、神の本質を完全にあらわしている御子と言うのは、神だという事を意味しています。
4、人類を罪からきよめられたお方
その神であるお方が、人となって、人類を罪からきよめるという救いの御業をなして、優れて高いところにある大能者である父なる神の右の座に着座されたとヘブル書の著者教えています。キリストが、どのようにして人類を罪からきよめたのかその詳細は、8章から10章に渡って詳細に教えています。人類を罪からきよめたというのは、キリストが十字架で全人類の罪を背負って身代わりの刑罰を父なる神からお受けになり、それによって人類の全ての罪を完全に取り除かれたという事です。「ヘブル 9:26・・しかし今、キリストはただ一度だけ、世々の終わりに、ご自分をいけにえとして罪を取り除くために現れてくださいました。」
キリストは、2000年昔、十字架であなたやわたしが生まれてから死ぬまで犯す、思いの罪、言葉の罪、心の罪、行いの罪の全てを背負って、父なる神から厳しい怒りを受けて、身代わりに裁かれたのです。それがどれほどの痛みと苦しみを伴っていた事が私たちにはとても理解ができませんが、キリストの十字架上の絶叫がその痛みと苦しみを教えています。「マタ 27:46 三時ごろ、イエスは大声で叫ばれた。「エリ、エリ、レマ、サバクタニ。」これは、「わが神、わが神、どうしてわたしをお見捨てになったのですか」という意味である。」
5、天におけるキリストのとりなしの祈り
キリストは、十字架で全人類の罪を取り除くという、罪のきよめを成し遂げられたあと、天使が絶対に行く事ができない極めて優れたところにおられる父なる神の右の座に着かれたのです。天にも、至聖所と呼ばれる父なる神の臨在されている極めて優れたところがあり、その至聖所におられる父なる神の右の座にキリストをお着きになって、その座において、私達キリスト者の罪が赦されるようにいつもとりなしをされているのです。そのとりなしにおいて、キリストは十字架で流された血を手に携えてとりなしをされているのです。第3の天にはキリストの流された十字架の血が存在しているのです(ヘブル1224)。その天の至聖所にいます父なる神に向かって悪魔は、いつもキリスト者の犯した罪を取り上げて、「正義の神ならその罪を犯したキリスト者を裁くべきでありませんか」と厳しくしつこく訴えているのです。黙示録は、悪魔がキリスト者を父なる神に告訴する者だと教えています。次のように教えられています。「黙 12:9 こうして、この巨大な竜、すなわち、悪魔とか、サタンとか呼ばれて、全世界を惑わす、あの古い蛇は投げ落とされた。彼は地上に投げ落とされ、彼の使いどもも彼とともに投げ落とされた。 12:10 そのとき私は、天で大きな声が、こう言うのを聞いた。「今や、私たちの神の救いと力と国と、また、神のキリストの権威が現れた。私たちの兄弟たちの告発者、日夜彼らを私たちの神の御前で訴えている者が投げ落とされたからである。」
キリストは、悪魔が訴えているキリスト者が許されるように、その罪を取り除いた十字架の血をもって、父なる神にとりなしの祈りを捧げておられるのです。天には、エレサレムの都と無数の天使の大祝会と長子の教会と全うされた義人の霊と、審判者の父なる神と、人類の仲介者キリストと、キリストが流されたアベルの血よりも優れた事を語る注ぎかけの血と呼ばれる十字架の血が存在しているのです。「ヘブル 12:22 しかし、あなたがたは、シオンの山、生ける神の都、天にあるエルサレム、無数の御使いたちの大祝会に近づいているのです。 12:23 また、天に登録されている長子たちの教会、万民の審判者である神、全うされた義人たちの霊、 12:24 さらに、新しい契約の仲介者イエス、それに、アベルの血よりもすぐれたことを語る注ぎかけの血に近づいています。」
最後に著者は4節から12節を通して、キリストは天使ではなく天使に優るメシヤとなられた神だと教えていますが、このテーマについては次週で学びたいと思います。
キリストは日々導きの御声をかけつつ、必要な助けの御手を差し伸べておられる事に感謝しましょう。
【終わりに】
≪内住のキリストの御声に聞き従う≫
キリストは約33年の地上のご生涯を通して神のメッセージをお語りになりましたが、それから、約2000年が過ぎた現在においても、キリストは、キリスト者の内に住んで聖書を通して聖霊により、キリスト者にいつも神のメッセージをお語りになっています。キリストは次のように約束されました。「ヨハ10:27 わたしの羊はわたしの声を聞き分けます。またわたしは彼らを知っています。そして彼らはわたしについて来ます。」。キリストはキリスト者の魂の監督者であり羊飼いとして、毎日毎日必要な導きの御声をかけて、導かれています。私達キリスト者には、羊飼いであるキリストの御子を聞き分けることが出来る霊の耳が備えられているのです。キリストの御声、キリストのメッセージを聞き分ける為には、その霊的事実を信じて感謝して安んじる事です。その信仰により平安な心になれば、キリストの御声を聞き分ける事が深まっていくのです。
キリストの御声と言うのは、この耳に聞こえるものではありません。私たちの霊的感覚にお語りになるのです。キリスト者には「霊の耳」と呼ばれる霊的感覚がるのです。それは、救われていない人には無い特別な感覚です。人間には五感と言う感覚と直感と言う感覚がありますが、それにプラス、キリスト者には霊の感覚があるのです。それが霊の耳です。キリストの細き御声を霊の感覚で聞き分けて従う時に、必ず聖霊が働きその人の心は平安と喜びが伴います。その平安と喜びによって自分が主と共に歩んでいる事を知るのです。
現在の新会堂が建っている約300坪の土地を取得する為に、主は、ある時私の霊的耳にお語りになりました。新会堂の土地の為に、競売物件を見に行きなさいと言う御声でした。私は、「主だ」と感じ、米子の裁判所に行って初めて競売物件が沢山閉じているファイルを手にしました。しかし、興味のある物件は有りませんでしたので、主ではなかったのかと思い、裁判所を出ようとしましたが、今度は主が「丁寧に見なさい」と言われました。「主だ」と思い、改めて1ページ1ページをゆっくりと丁寧に見て見ました。すると、現在の新会堂が建っている土地が競売物件として売るに出されいました。産業道路沿の一等地であり、価格も驚くほど安価でしたので、これを取得しない手はないと思い、教会で臨時総会を開いて協議し、結果、所得の為に入札する事がきまりました。新会堂の建設にあたり、主は私を含め兄弟姉妹の霊の耳にお語りになって、事を進めて下さり、2010年7月に完成し、11月3日に無事献堂式の祝福に与りました。銀行からの返済も、2025年1月をもって終了し、借金は無事完済が出来ました。兄弟姉妹方が霊の耳にお語りになる主の御声に忠実に従って下さったゆえだと感謝しています。
≪キリスト者は主と共に天の座に座する者である≫
少しヘブル書から離れますが、優れたところである天の至聖所にいます、父なる神の右の座にキリストはお着きになりましたが、私達キリスト者もその時にキリストと共に、霊的に天の優れた至聖所にいます父なる神の右の座に着いているとパウロは教えています。「エペ2:5あなたがたが救われたのは、ただ恵みによるのです── 2:6 キリスト・イエスにおいて、ともによみがえらせ、ともに天の所にすわらせてくださいました。」
私達もキリスト共に天の父なる神の右の座に座する者として、地上の肢体と呼ばれる古い人の貪欲から出てくる情欲、悪口、陰口、妬み、恨み、憎しみ、等を捨てるように殺すようにパウロは命じています。
◆「コロ3:1キリストとともによみがえらされたのなら、上にあるものを求めなさい。そこにはキリストが、神の右に座を占めておられます。 3:2 あなたがたは、地上のものを思わず、天にあるものを思いなさい。 3:3 あなたがたはすでに死んでおり、あなたがたのいのちは、キリストとともに、神のうちに隠されてあるからです。 3:4 私たちのいのちであるキリストが現れると、そのときあなたがたも、キリストとともに、栄光のうちに現れます。 3:5 ですから、地上のからだの諸部分、すなわち、不品行、汚れ、情欲、悪い欲、そしてむさぼりを殺してしまいなさい。このむさぼりが、そのまま偶像礼拝なのです。 3:6 このようなことのために、神の怒りが下るのです。 3:7 あなたがたも、以前、そのようなものの中に生きていたときは、そのような歩み方をしていました。 3:8 しかし今は、あなたがたも、すべてこれらのこと、すなわち、怒り、憤り、悪意、そしり、あなたがたの口から出る恥ずべきことばを、捨ててしまいなさい。 3:9 互いに偽りを言ってはいけません。あなたがたは、古い人をその行いといっしょに脱ぎ捨てて、 3:10 新しい人を着たのです。新しい人は、造り主のかたちに似せられてますます新しくされ、真の知識に至るのです。」
内住のキリストは、私たちに地上の肢体とも呼ばれる、古い人の貪欲から湧き出てくる一切の悪い感情などを悉く殺し、捨てて、いつも喜び、絶えず祈り、万事に感謝をするように御声をおかけになっています。主の導きに従っていつも喜びながら万事に感謝しつつ歩みましょう。その実践により、主の御声を聞き分ける霊の耳が増々鋭くされていくのです。
最後に詩篇92篇を1節~5節をお読みします。
【新共同訳】
92:1 【賛歌。歌。安息日に。】
92:2 いかに楽しいことでしょう/主に感謝をささげることは/いと高き神よ、御名をほめ歌い
92:3 朝ごとに、あなたの慈しみを/夜ごとに、あなたのまことを述べ伝えることは
92:4 十弦の琴に合わせ、竪琴に合わせ/琴の調べに合わせて。
92:5 主よ、あなたは/御業を喜び祝わせてくださいます。わたしは御手の業を喜び歌います。
92:6 主よ、御業はいかに大きく/御計らいはいかに深いことでしょう。
