「祈りは聞かれる」
聖書:マタイによる福音書 7章7節~11節
牧師:佐 藤 勝 徳
【はじめに】
今朝は、「求めよさ、さらば与えられん。尋ねよ、さらば見出ださん。門を叩け、さらば開かれん」というキリストの有名な祈りの教えから「祈りは聞かれる」と言うメッセージをお伝えしたいと思います。「祈りは聞かれる」、なんという嬉しいメッセ―ジでしょうか。聖書の教える祈りは「お題目」や「念仏」や「お経」を唱える事とは全く違います。神社仏閣で祈る事ととも全く違います。イエス様は「求めよ、さらば与えられん」と、創造主の天の父なる神さまが祈りをお聞きになってお答え下さる事を約束されました。キリストが教えられた祈りは、天にいます唯一の創造主の生ける父なる神さまへの祈りです。そのキリストの教えは旧約聖書の教えとご自身の体験に基づいて語られた「祈り」の教えです。その旧約聖書のいくつかの聖句をお伝えしたいと思います。
1、苦難の日の祈りに答えて下さる天地万物の創造主の神
◆「詩121:1 私は山に向かって目を上げる。私の助けは、どこから来るのだろうか。 121:2 私の助けは、天地を造られた【主】から来る。」
詩篇121篇では、天と地を造られた創造主の神が、いつも必要な助けを与えようとされている慈しみ深いお方だと信じている作者が「私は山に向かって目を上げる。私の助けは、どこから来るのだろうか。 121:2 私の助けは、天地を造られた【主】から来る。」と、確信をもって告白しました。祈りとは、いつも必要な助けを与えようと心を熱くされている慈しみ深い唯一の天と地の創造主の生ける神さまに向かって祈る事なのです。祈りは、神の僕として創造された人間が、神の僕としてその使命を果たして生きて行く上での必要について慈しみ深い創造主に向かって、助けを祈り求める事です。いつも、私達を助けようと心を燃やされている慈しみ深い創造主が確かにおられるのです。生ける創造主の天の父は必要な助けを与えようと心を熱くしながら、私達の祈りを喜んでお聞き下さるのです。その事は、戦いの多い悩みの多いこの世に生きる者にとってとても感謝な事です。正に、創造主は私達の避けどころです。創造主の神さまは私達の祈りに答える事を約束されています。以下の通りです。
◆「詩50:15 苦難の日にはわたしを呼び求めよ。わたしはあなたを助け出そう。あなたはわたしをあがめよう。」
詩篇50篇では、神さまが直接詩篇の作者に向かって「苦難の日にはわたしを呼び求めよ。わたしはあなたを助け出そう。あなたはわたしをあがめよう。」と呼びかけられ、苦難の日、悩みの日の祈りに応答して下さる事を約束されました。その約束を信じて祈った詩篇の作者は、約束通り神さまが祈りに答えて助けて下さった事を証しています。
◆「詩 59:16 しかし、この私は、あなたの力を歌います。まことに、朝明けには、あなたの恵みを喜び歌います。それは、私の苦しみの日に、あなたは私のとりで、また、私の逃げ場であられたからです。」。
詩篇の作者、全知全能の慈しみ深い創造主の神さまによって、祈りが答えられて助けられたので、更に深く、創造主に祈るようになったことを証しています。
◆「詩86:5 主よ。まことにあなたはいつくしみ深く、赦しに富み、あなたを呼び求めるすべての者に、恵み豊かであられます。 86:6 【主】よ。私の祈りを耳に入れ、私の願いの声を心に留めてください。 86:7 私は苦難の日にあなたを呼び求めます。あなたが答えてくださるからです。」
2、苦難のイスラエルを助けた創造主の神
昔、今から約3500年前、BC1491年にイスラエル民族は奴隷として苦しめられていたエジプトからモーセによって脱出しました。奴隷としてどれほど苦しめられていたか計り知れません。とうとうその苦しみに耐えかねて、イスラエルの人々は深い呻きと叫び声を上げました。創造主の神はさまは、その彼らの絶叫をお聞きになり、イスラエル民族と結ばれた「アブラハム契約」を思い出されたのです。神さまは、アブラハムとその息子イサクと、イサクの息子のヤコブとその3人と直接に永遠の無条件契約である「アブラハム契約」を結ばれていました。それは第1に約束の土地を与える事、第2に子孫を増大させる事、第3に世界を祝福する民族となる事、第4にメシヤを遣わす事の4つが永遠の無条件契約であるアブラハム契約の条項でした。イスラエルの苦悩の絶叫をお聞きになり神さまはその永遠の無条件契約条項を思い出して、彼らを助ける決断をされたのです。聖書に次のように教えられています。出エジプト記2章23節~25節です。
◆ 「2:23 それから何年もたって、エジプトの王は死んだ。イスラエル人は労役にうめき、わめいた。彼らの労役の叫びは神に届いた。2:24 神は彼らの嘆きを聞かれ、アブラハム、イサク、ヤコブとの契約を思い起こされた。2:25 神はイスラエル人をご覧になった。神はみこころを留められた。」
私は、創造主の神さまが、エジプトにおいて奴隷とされて、その酷な労働で苦しんでいるイスラエルの叫びをお聞きになって、彼らをエジプトから解放された事を知った時に、神は私達の叫び声に耳を傾けてお答え下さるお方だと初めて信じたのです。また、ローマ10章13節の「主の御名を呼び求める者はだれでも救われる」と言う御言葉によって、私は、苦しい時はいつも神さまに向かって叫ぶように助けを祈り求めるようになりました。牧師になった私は、会堂で、幾度叫び声をあげて祈ってきた事か計り知れません。その為に、しょっちゅう声をからしていました。説教する時に声がガラガラになる事も度々でした。苦しい時、悩みの時に、叫び求める祈りは、創造主の耳に必ず届いているのです。もちろん、いつでも答えがあった分けではありませんが、神さまの耳に確実に届いている事は間違いありませんでした。創造主の神さまは喜んで私達乏しい者の祈りに耳を傾けておられるのです。詩篇に次のように約束されています。
「【口語訳】詩 102:17 乏しい者の祈をかえりみ、彼らの願いをかろしめられないからです。」
この聖句は私の好きな聖句です。
3、忍耐深く祝福を求めたヤコブ
私の祈りの生活を変えたもう一つの出来事があります。イスラエル民族の先祖ヤコブのヤボクの渡しで祝福を求めて神さまと格闘して勝ったという出来事です。ヤコブは若くて力持ちでしたので、天使となって人の姿を取って顕れて下さった神さまと格闘をして勝ったのですが、ヤコブがその力の為に傲慢にならないように、神さまは彼の腿番を外され、足を不自由にされたのです。それでも、ヤコブは執拗に祝福を求めたのです。そして、彼の祈りは答えられ祝福されます。その祝福は、彼の名が「ヤコブ」から「イスラエル」に変えられた事です。イスラエルとは「神の皇太子」とか「神に勝った者」と言う意味があると言われています。ヤコブのヤボクの渡しでの出来事は、これまで多くの牧師がたが、神さまの祝福を求めて忍耐をもって祈り求める事が必要だとメッセージをされてきました。そのとおりですので、私は、とにかく祈る事を最優先しながら、牧師の務めをしてきました。
「創 32:24 ヤコブはひとりだけ、あとに残った。すると、ある人が夜明けまで彼と格闘した。 32:25 ところが、その人は、ヤコブに勝てないのを見てとって、ヤコブのもものつがいを打ったので、その人と格闘しているうちに、ヤコブのもものつがいがはずれた。 32:26 するとその人は言った。「わたしを去らせよ。夜が明けるから。」しかし、ヤコブは答えた。「私はあなたを去らせません。私を祝福してくださらなければ。」 32:27 その人は言った。「あなたの名は何というのか。」彼は答えた。「ヤコブです。」 32:28 その人は言った。「あなたの名は、もうヤコブとは呼ばれない。イスラエルだ。あなたは神と戦い、人と戦って、勝ったからだ。」 32:29 ヤコブが、「どうかあなたの名を教えてください」と尋ねると、その人は、「いったい、なぜ、あなたはわたしの名を尋ねるのか」と言って、その場で彼を祝福した。 32:30 そこでヤコブは、その所の名をペヌエルと呼んだ。「私は顔と顔とを合わせて神を見たのに、私のいのちは救われた」という意味である。 32:31 彼がペヌエルを通り過ぎたころ、太陽は彼の上に上ったが、彼はそのもものために足を引きずっていた。」
4、具体的に祈り求める
もう一つ、私の祈りの生活を大きく変えたのは韓国のチョー・ヨンギー牧師の証があります。チョー・ヨンギー牧師は元は医師を目指していた医学生でしたが、牧師の道を歩みました。その、チョー・ヨンギ―牧師が、神学校を卒業し開拓伝道を始めたのですが、貧しくて、伝道の為に自転車を買うお金がありませんでした。そこで「求めよさらば与えられん」を信じて、天の父なる神さまに「自転車を下さい」と祈り始めたのです。しかし、祈っても祈っても1年経っても自転車は与えられません。そこで、チュー・ヨンギー牧師は神さまに叫ぶように尋ねました。「求めたら与えられると約束されているのになぜ答えて下さらないのですか」と。その叫びに神様は聞いて答えて下さいました。「息子よ。私は間違いなくあなたの求めを聞いて来ました。しかし、自転車と言っても色々な種類の自転車があるではないか。どのような自転車が欲しいのか、具体的に求めなさい」と、祈りのアドバイスをされたのです。そこで、チョー・ヨンギー牧師は、具体的に祈り始めたのです。「天の父よこれまでの祈りは全てキャンセルします。父よ、アメリカ製で、黒色で、頑丈な自転車を下さい」と祈り求めたのです。すると、すぐに答えがあったのです。米国の宣教師が本国に帰国する事になり、その宣教師が使っていた自転車がプレゼントされたのです。それは、祈り求めていた通りの「アメリカ製で、黒色で、頑丈な自転車」だっというのです。その体験を通して、チョウ・ヨンギー牧師は、いつも必要を祈り求める時は具体的に祈るようになったというのです。私は、その証を聞いてから、私もただ「祝福して下さい」だけでなく、できるだけ具体的に祈るようになったのです。全てでは、ありませんが多くの具体的な祈りが答えられてきました。そのいくつかを、証させて頂きます。ある時、畑で草刈りをしてましたが、その刃が駄目になってしまいました。私は、新しい刃を持っていましたが交換方法が分かりません。そこで、主に祈りました。「主よ、刃の交換方法が分かりません。教えてくれませんか」と。その具体的な祈りを主は喜んでお聞き下さり、幻で刃の交換方法委を教えて下さったのです。主の手が草刈りに伸びてきて、主の手が工具を使って交換をはじめられたのです。私は、それをじっと見ていて主に言いました。「なるほどそうするんですね」と。私は主が幻の手で持っておられ工具を持っていましたので、それを探し出してすぐに刃を交換する事が出来たのです。不思議な体験でした。
もうひとつだけ証をさせて下さい。私は、40代前半から統一協会の青年達を脱会させる働きをしていましたが、自分に説得する自身が無くていつも不安でいっぱいでした。ある時、マンションにご両親に保護されている青年を説得する前に、その不安が増大し苦しくなりましたので、主に具体的に祈りました。「平安な心で説得が出来るようにして下さい」と、するとその具体的な祈りを主はお聞き下さりすぐに答えを下さいました。それは「全ての事に感謝しなさい」という事でした。その時から、主がその様に言われたという事で、私は徹底して全ての事に感謝しながら日々を歩むようになったのです。すれ違う人、すれ違う車、枯れた草花、電線、道路標識、信号、とにかく目に着くものを徹底して感謝するようにしたのです。その実践をはじめて、私は色々な良きもの囲まれて生かされている事を知り、少しずつ感動が多くなってきました。その実践を始めてから約3年経った時、私は自分の心の変化に気が付いたのです。万事を感謝する事で、否定的な思いや暗くなる感情を見事にコントロールして、全てを感謝に切り替えて心を明るく平安にしている自分がそこにいる事に気が付きました。また、聖霊の油塗りが始まっている事を知ったのです。わたしは、その変化をある日曜日のメッセージをしている時に、気が付いたのです。メッセージとても苦手で苦痛であった私が、平安と聖霊の油塗りによって喜んでメッセージを語っていたのです。不必要な緊張や、まるで渇き切ったのどのようなかからの心がなくなっていたのです。その時、万事を感謝する訓練をしてきて良かったと心の底からそう思いました。「主よ、平安な心で説得ができるよう」にと祈った祈りに主はきちんと答え、日曜日の礼拝メッセ―ジも、平安な心で出来るように今も助けて頂いています。平安を下さいと言う、具体的な祈りを神様は喜ばれたのです。
主は、ある時エリコの町に来られました。その時、盲人のバルテマイが、主に叫びました「ダビデの子イエスよ」と。あまりの叫びに弟子達は彼を主に近づけないようにしたのですが、主は彼を呼ばれました。その時、主は盲人の彼に「何をしてほしいのか」と尋ねられました。バルテマイは「主よ、見えるようになる事です」と、答えました。主は、彼に答えに応じて「そのとおりになるように、あなたの信仰があなたを救いました」と返答され、彼の目が見えるようになされたのです。
「マル10:46 彼らはエリコに来た。イエスが、弟子たちや多くの群衆といっしょにエリコを出られると、テマイの子のバルテマイという盲人の物ごいが、道ばたにすわっていた。 10:47 ところが、ナザレのイエスだと聞くと、「ダビデの子のイエスさま。私をあわれんでください」と叫び始めた。 10:48 そこで、彼を黙らせようと、大ぜいでたしなめたが、彼はますます、「ダビデの子よ。私をあわれんでください」と叫び立てた。 10:49 すると、イエスは立ち止まって、「あの人を呼んで来なさい」と言われた。そこで、彼らはその盲人を呼び、「心配しないでよい。さあ、立ちなさい。あなたをお呼びになっている」と言った。 10:50 すると、盲人は上着を脱ぎ捨て、すぐ立ち上がって、イエスのところに来た。 10:51 そこでイエスは、さらにこう言われた。「わたしに何をしてほしいのか。」すると、盲人は言った。「先生。目が見えるようになることです。」 10:52 するとイエスは、彼に言われた。「さあ、行きなさい。あなたの信仰があなたを救ったのです。」すると、すぐさま彼は見えるようになり、イエスの行かれる所について行った。
「あなたは、わたしに何をしてほしいのか」と主がバルテマイに言われた通りに、創造主の天の父なる神さまへの求めは出来るだけ具体的である事が神さまの良しとされるところです。具体的であれば、神さまが祈りに答えて下さったという確信がより強くなって、神さまを崇める信仰が深まって行きます。「求めと、さらば与えられん」と言う、主の約束を心から信じて、祈りが答えられると確信して出来るだけ具体的に祈り求めましょう。
5、探せよ、門を叩けよ
しかし、だからと言って、求めがすぐに答えられない時も多々あります。そのような時でも、あきらめないで忍耐をもって祈る事が必要です。まるで、大事な宝物を探すかのような心で祈る必要性があります。その事をキリストは「探しなさい。されば見つけ出さん」と教えられました。すぐに答えが無いからといって簡単に祈り求める事を止める事は、神さまの御心ではないのです。ある祈りは、5年先、10年先、20年先、或は、自分が死んでから答えられれる事もあるのです。ユダヤ人は、AD70年にイスラエル国家がローマによって滅ぼされ、世界に散る離散の民となりました。その離散先で、モーセ律法の戒めに従って安息日を守り、イスラエルの回復を約2000年間祈ってきたのです。その祈りが答えられ1948年5月14日に約2000年ぶりに約束の地にイスラエル国家を回復させる事が出来たのです。2000年間の祈りとは気の遠くなるような祈りですが、イスラエルの人々の中には神の約束を信じ続けた人たちがいたというのは、驚くべきことです。祈りにすぐに答えられなかった時、失った大事な大事な宝物を熱心に探し出すかのような気持ちで、神の祈りの答えを忍耐深く待って祈る事を「キリストは「探せ、されば見出ださん」と約束されました。しかし、それでも、まっても待っても祈りの答えが無い時はどうすれば良いのか。それでも、あきらめないで、門を激しくたたくかのようにして、熱心に祈り求める事が必要だとキリストは教えられました。求めよ、探せよ、門を叩けよ、そうすれば、天においてその諦めないで信じて熱心に祈るを喜んでお聞き下さっている天の父が答えて下さると主は約束されました。次のように教えられました。キリストの地上の生涯の時に、すぐに答えられない事を経験されましたが、忍耐をもって叫び祈り続けられ、その信仰の故に祈りが聞かれるという事を体験されていたのです。
◆ 「ヘブル 5:7 キリストは、肉体をもって生きている間、自分を死から救い出すことができる方に向かって、大きな叫び声と涙をもって祈りと願いをささげ、その敬虔のゆえに聞き入れられました。」
6、祈りを聞かれる善なる天の父なる神
キリストは、ご自分の祈りを天の父が聞いて下さって答えて下さるという体験もあって次のように教えられました。
「7:9 あなたがたも、自分の子がパンを下さいと言うときに、だれが石を与えるでしょう。 7:10 また、子が魚を下さいと言うのに、だれが蛇を与えるでしょう。 7:11 してみると、あなたがたは、悪い者ではあっても、自分の子どもには良い物を与えることを知っているのです。とすれば、なおのこと、天におられるあなたがたの父が、どうして、求める者たちに良いものを下さらないことがありましょう。」
私達、罪深い悪い父親であっても、自分の子どもの必要な求めに喜んで愛をもって応じます。自分の子どもがパンは欲しいという時、絶対に石を与えずパンを与えます。又、自分の子どもが魚が欲しいという時に全体に蛇を与えるような事はしません。罪深い悪い父親であっても、自分の子どもの求めには愛をもって良いものを与えてその必要を満たし喜ばせます。ましてや、愛と正義と善意と知恵と力に満ち満ち溢れた良き天の父が、私達の祈りに喜んで答えて良いものを与えて下さらないという事はありません。ハレルヤ!です。キリストは、御自分の祈りにいつも答えて下さる天の父を知っていました。キリストは朝から良く祈られ、何かあるとすぐに一人になって静かに祈り時を持たれました。キリストは、愛に満ち溢れた天の父がいつも祈りに答えて下さる事を体験的に知っていましたので、私達に、「求めなさい。探しなさい。門をたたきなさい。天の父は祈りに答えて良きものを下さる」と教えられたのです。
天とは、宇宙空間を超えたところにある第3の天の事です。聖書は鳥が飛ぶ大空を第1の天と呼び、宇宙空間を第2の天と呼び、宇宙空間を超えたところを第3の天と教えています。その第3の天に、父なる神は御座を設けておすわりになり、そこから、この地上を統治されています。キリストが生前中は、第3の天に父なる神が臨在されて、そこから地上の人間の祈りをお聞きになっていました。今の第3の天には、父なる神と父なる神の右の座にキリストが着座されています。ヘブル書1章8章10章12章マルコ16章で次のように教えられています。
◆「ヘブル1:3 御子は神の栄光の輝き、また神の本質の完全な現れであり、その力あるみことばによって万物を保っておられます。また、罪のきよめを成し遂げて、すぐれて高い所の大能者の右の座に着かれました。」◆「ヘブル8:1bすなわち、私たちの大祭司は天におられる大能者の御座の右に着座された方であり、・・」◆「ヘブル10:12 しかし、キリストは、罪のために一つの永遠のいけにえをささげて後、神の右の座に着き、・・」
◆「ヘブル12:2 イエスは、ご自分の前に置かれた喜びのゆえに、はずかしめをものともせずに十字架を忍び、神の御座の右に着座されました。」
◆「マル16:19 主イエスは、彼らにこう話されて後、天に上げられて神の右の座に着かれた。」
宇宙空間を超えた第3の天には、私達の祈りに喜んで耳を傾けて下さっているお方がいるのです、そのお一人が天の父です、またもう一人は私達の救い主イエス・キリストです。キリストは私達の祈りを聞き、その祈り基いて私達の為にとりなしを捧げえt下さっているのです。わたしたちからすれば第3の天は大変遠いところですが、父なる神さまも主イエス様も、その空間には何の影響もなく、私達の声をお聞きになる事が出来るのです。人間の知恵が生み出した電話や携帯は電波が届けばどんなに遠く離れていても会話ができます。ましてや全知全能の神にとって、地上の私達の祈りを天においてすぐにお聞きなる事に不可能はありません。第3の天には、私達を愛して創造して下さった天の父と救い主のイエス・キリストがおられて、いつでも私達の祈りに答えようと身を乗り出して祈りをお聞き下さっている事はどれだけ嬉しい事でしょうか。私達の乏しい者の祈りと叫びを軽しめる事無く、んで喜んでお聞き下さっている方が天におられるのです。
7、使徒たちの祈りの教え
キリストの祈りの教え以外に、聖書は使徒たちも祈りについて多くの事を教えています。以下に主な教えを紹介します。
◆「エペ 6:18 あらゆる祈りと願いによって、どんなときにも御霊によって祈りなさい。そのために、目を覚ましていて、すべての聖徒のために、忍耐の限りを尽くして祈りなさい。」
キリスト者の霊の中に内住されている御霊が宿っておられ、祈りを助け導いておられますので、その御霊の導きに従って祈る時には、深い平安が心に宿ります。御霊によって祈る習慣を身につけましょう。御霊によって祈れるように祈り求めましょう。
◆「ピリ 4:6 何も思い煩わないで、あらゆる場合に、感謝をもってささげる祈りと願いによって、あなたがたの願い事を神に知っていただきなさい。」
天の父なる神さまに、御心に叶った自分の願い事の全てを感謝の内に捧げて知って頂く事はとても重要です。それは、それによって深い神からの安心感、安堵感が心に宿るのです。次のように約束されています。
◆「ピリ 4:7 そうすれば、人のすべての考えにまさる神の平安が、あなたがたの心と思いをキリスト・イエスにあって守ってくれます。」
私達は、すぐに思い煩ってしまう傾向性があります。お金の心配、、夫婦関係、親子関係、仕事の心配、職場での人間関係等、色々な事で直ぐに悩み思い煩い心配する傾向性は誰も持っているものです。そのような私たちに天の父は使徒達を通して何事も思い煩うなと命じられているのです。なぜなら、心配は神さまのお仕事だからです。ペテロが次のように教えました。
◆「Ⅰペテ 5:7 あなたがたの思い煩いを、いっさい神にゆだねなさい。神があなたがたのことを心配してくださるからです。」
私達の必要なお金のことを心配されるのは神さまです。私達の仕事や奉仕の事を心配されるおは天の父のです。私達の家庭での夫婦関係、親子関係、兄弟関係、教会の人間関係、職場の人間関係を心配して下さっているのは天の父なる神さまです。私達の健康の事について、病気について心配して下さっているのは天の父なる神さまです。ですから、私達は全ての心配は神さまに委ねて安んじておく必要があるのです。その安んじるという中で、万事を感謝しながら自分が神に仕える神の僕として、神の子として何をしてほしいのか具体的に祈り求めてくることを神様は待っておられるのです。お金やそのほかの必要な事は神さまが全部満たして下さるので、私たちに必要な事は、何をしてほしいのか具体的神さまに申し上げる事です。
先日、ノルウエイのセレブの家族の事が放送されていました。島を一つ購入にしてそこに豪邸を建てて優雅に暮している家族です。どれほど豊かな財産をお持ちか分かりませんが、その子ども達3人は、お金のことは何も心配しないで、あるものを日本から輸入して「買ってもらうわ」と笑顔を一杯にしゃべっていました。私達の天の父は、無から万物を創造されたお方です。セレブの中のセレブです。神様は全知全能です。必要なお金も、知恵も、力も神様は祈り求めれば与えて下さるのです。私たちは、キリストを信じた時に、父なる神がお持ちの万物の共同所有者になったのです。知恵と力と愛に満ちたお方がいますのです。仕事の為の知恵と力と愛、奉仕のための知恵と力と愛、病気という弱さを持ちつつも必要な力が与えられ、使命ある限り生かされるのです。私達は全ての事で満ち満ちた父が天におられるので、セレブの子ども達以上に、何事も心配しないで委ねて、安心して、必要な事を具体的に祈り求めて、答えを待つという、祈りの習慣を身につけましょう。
パウロは15年間、ある病気で苦しみ、その病気のために伝道が十分にできないと悩んで、神さまに時間を特別に3回割いて祈りました。神さまの答えは、弱さを、病気を取り除く事でなく、弱さを持っているおアウロがその弱さで伝道が出来ないという事が無いように、神の力を完全に働かせるという約束を受けたのです。その体験から、パウロは自分がどんなに弱くても、神の全能の力で何でもできると告白をするようになったのです。
◆「Ⅱコリ 12:9 しかし主は、「わたしの恵みはあなたに十分である。わたしの力は弱さのうちに完全に現れるからである」と言われました。ですから私は、キリストの力が私をおおうために、むしろ大いに喜んで自分の弱さを誇りましょう。」
◆「ピリ 4:13 私を強くしてくださる方によって、私はどんなことでもできるのです。
◆「Ⅰテモ 1:12 私は、私を強くしてくださる、私たちの主キリスト・イエスに感謝しています。キリストは私を忠実な者と認めて、この務めに任命してくださったからです。
ヤコブが、キリスト者が神の僕として、仕事や奉仕や色々な使命を果たす為に、知恵が自分に無いと思う者は、知恵を神さまに求めるように教えました。
◆「ヤコブ 1:5 あなたがたの中に知恵の欠けた人がいるなら、その人は、だれにでも惜しげなく、とがめることなくお与えになる神に願いなさい。そうすればきっと与えられます。」
またヤコブは、病んでいる人は癒しを祈り求める事を教えています。
◆「ヤコブ 5:14 あなたがたのうちに病気の人がいますか。その人は教会の長老たちを招き、主の御名によって、オリーブ油を塗って祈ってもらいなさい。 5:15 信仰による祈りは、病む人を回復させます。主はその人を立たせてくださいます。」
オリーブ油は、文字通り「オリーブ油」です。もし、病んでいる人で、教会の長老と呼ばれている教会の指導者から、ヤコブ書の約束を信じて「オリーブ油」を塗って祈って欲しいと願う人があれば、是非申し出て下さい。私はこれまで、病人の為にオリーブを塗って祈る事をほとんでしてきませんでした。ヤコブ書の約束を信じていない不信仰であった事を悔い改めます。これから、ヤコブ書の約束を信じて、信仰もってオリーブ油を塗って祈らせていただきます。ヤコブ書の御言葉を信じる人は是非申し出て下さい。
◆「Ⅲヨハ 1:2 愛する者よ。あなたのたましいが幸いを得ているように、あなたがすべての点で幸いを得、また健康であるように祈ります。」
神さまは、精神的も、経済的にも、肉体的にもあらゆる事で私達を祝福しようと心を燃やされているお方だとこの聖句は教えています。その事を信じると、必要な事は何でも祈り求める勇気が与えられますので、祈りに関して非常に重要な聖句です。
是非、キリストの「だれであれ、求める者は受け、捜す者は見つけ出し、たたく者には開かれます。」の約束を信じて、天の父に向かて祈りましょう。
8、誰でも
キリストは「誰でも」と、言われましたが、ここでの誰でもと言うのは、父なる神さまによって罪が永遠に赦された誰でもと言う事です。
キリストの祈りの教えを聞いていた弟子達は、目の前のキリストを神より遣わされた救い主、メシヤだと信じる信仰によって、彼らの罪は永遠に赦されていました。キリストが、十字架で死なれてからは、十字架のキリストが自分の全ての罪を取り除き、全ての罪から解放してくだった救い主だと信じる信仰を持った人が永遠に罪がゆるされて、父なる神さまとの生きた交わりの中に生かされています。誰でもと言うのは、今日では、キリストを罪からの救い主だと信じて永遠に罪赦され、永遠に聖なる神さまとの生きた交わりを回復した誰でもと言う事です。十字架に掛かられたナザレのイエス・キリストを救い主と信じて永遠に罪赦され、永遠の義人とされ、永遠に天の父なる神さまとの生きた交わりの中に導かれている人は、いつでも、どこでも、どんな時でも、天の父なる神さまに直接祈る資格を得ているのです。その真理をキリストは次のように教えられました。「私が道であり、真理であり、命である。誰でも私によらなければ父のみもとに行く事は出来ない」と。又ヘブル書の著者は次のように教えました。「ヘブル 10:19 こういうわけで、兄弟たち。私たちはイエスの血によって大胆に聖所に入ることができます。」
ヤコブも、罪赦された義人の祈りは神の答えを引き出す有効な祈りだと教えています。
◆「ヤコブ5:16b義人の祈りは働くと、大きな力があります。 5:17 エリヤは、私たちと同じような人でしたが、雨が降らないように熱心に祈ると、三年六か月の間、地に雨が降りませんでした。 5:18 そして、再び祈ると、天は雨を降らせ、地はその実を実らせました。」
キリストによって永遠に罪赦された義人の祈りは天候の鍵を握っておられる神さまの御手を動かすのです。
【終わりに】
私達の具体的な求め、忍耐をもって諦めずに祈り求める祈りが天におられる、慈しみ深い天の父なる神さまに届き、聞き入れられ応答をして頂く為には、先ず、十字架に掛かり、葬られ、三日目に甦られたナザレのイエス・キリストをご自分の救い主だと信じて罪が永遠に赦される事が必要です。是非、まだ、キリストを信じていない方々は、今朝、キリストを救い主だと信じて受け入れて下さい。既に、キリストを受け入れて永遠に罪が赦されている人は、キリストの祈りの約束を信じていつでも、どこでも、どんな時でも大胆に折り求めて頂き、父なる神の祈りの答えを沢山体験し、神を増々崇める霊性が整えられるようにしましょう。祈りは聞かれます。
最後にもう一度、主キリストの祈りの教えを御読みしましょう。
「マタ 7:7 求めなさい。そうすれば与えられます。捜しなさい。そうすれば見つかります。たたきなさい。そうすれば開かれます。 7:8 だれであれ、求める者は受け、捜す者は見つけ出し、たたく者には開かれます。」
