「エルサレムの平和の為に祈れ」
聖書:詩篇122篇6節
牧師:佐 藤 勝 徳

【はじめに】
 1948年5月14日に、パレスチナの地に「イスラエル国家」が約2000年ぶりに復興を遂げましたが、その後、4回の中東戦争が起こり、現在もガザ地区での戦闘があり、ヨルダン川西岸地区においても度々アラブの人たちのとの小競り合いが起きています。そうした、争いの中にあるイスラエルの首都「エルサレム」の平和を祈り求める事が創造主の神の御心だと聖書は教えています。

1、エルサレムの平和の為に祈れと命じる詩篇
 詩篇122篇6節で「エルサレムの平和の為に祈れ」と創造主の神は、全人類に命じられています。、私達は、その命令を神の絶対命令として、毎日、エルサレムの平和の為に祈らなければなりません。エルサレムの平和の為に「祈っても祈らなくてもどっちでも良い」という事ではないのです。私達を創造された偉大な創造主の神は私達が日々の祈りの中で、あらゆる機会に、「エルサレムの平和のため祈る」事を求めておられます。何故でしょうか。その理由を知るには、先ず、エルサレムについて聖書を通し、正しく認識をしておくことが必要です。

2、エルサレムとは
 エルサレムの「エル」と言うのは、神を意味する「エル」ではありません。それはビジョンを意味する「エレ」と言う言葉が使用されています。サレムは「平和」と言う意味です。ビジョンと平和の合成語が「エルサレム」です。、モアブの山のある地域が「エルサレム」と呼ばれるようになりました。モアブの山は、ご存知の方もあると思いますが、アブラハムがイサクを捧げた山であり、ソロモン王が神殿を建てた山でした。イスラエルが、エルサレムを支配するまでは、エブス人が住んでいましたが、ユダ族やベニヤミン族は、約束の地に定住生活をはじめるに当たって彼らをすぐに追い出すことをしませんでした。やがて、約束の地にイスラエル国家ができ、ダビデが2番目の王となりました。その時、エルサレムのエブス人は、ダビデを嘲笑したので、ダビデは神の名によってエブス人を打ち倒し、エルサレムをダビデの町にしたのです。神さまは、世界の祝福の為にイスラエル民族と「アブラハムと契約」を交わし、アブラハムとその子孫を通して、世界を祝福するという契約をされました。神さまが、イスラエルを通して世界を祝福する事の第1番目の重要な祝福は、罪に堕落した人間が、罪赦されて、神との生きた交わりを持ち、その結果、罪びとが失った神の似姿と言う道徳性を回復させ、平和な人間にする事でした。その為に、神さまは、エルサレムをモリヤの山に築かれたのです。その創造主の神さまのビジョンが、アブラハム、イサク、ヤコブ、そしてイスラエルの民族を通して実現する為に、創造主の神は人類の歴史を全力の愛をもって統治され導かれています。その為に、ダビデを選び、エブス人の住んでいたエルサレムを先ず攻略させられました。その時の出来事が次のように聖書に記録されています。

「Ⅱサム 5:6 王とその部下がエルサレムに来て、その地の住民エブス人のところに行ったとき、彼らはダビデに言った。「あなたはここに来ることはできない。目の見えない者、足のなえた者でさえ、あなたを追い出せる。」彼らは、ダビデがここに来ることができない、と考えていたからであった。 5:7 しかし、ダビデはシオンの要害を攻め取った。これが、ダビデの町である。 5:8 その日ダビデは、「だれでもエブス人を打とうとする者は、水汲みの地下道を抜けて、ダビデが憎む、目の見えない者、足のなえた者を打て」と言った。このため、「目の見えない者、足のなえた者は宮に入ってはならない」と言われている。 5:9 こうしてダビデはこの要害を住まいとして、これをダビデの町と呼んだ。ダビデはミロから内側にかけて、回りに城壁を建てた。 5:10 ダビデはますます大いなる者となり、万軍の神、【主】が彼とともにおられた。」

ダビデが攻略したエルサレムは「ダビデの町」とも言われるようになりましたが、神さまは、ダビデの子孫からやがてメシヤをこの世界に遣わす為の場所として、エルサレムを特別に選び、ご自分の名を置く聖なる町とされました。つまり、永遠に神の栄光を顕す場所として特別に所有されたのです。それ故に、エルサレムは「聖なる都」と呼ばれるようになりました。エルサレムを「聖なる都」だと旧新約聖書全体で11回言及されています。
◆「Ⅰ列王 11:13 ただし、王国のすべてを引き裂くのではなく、わたしのしもべダビデと、わたしが選んだエルサレムのために、一つの部族だけをあなたの子に与える。」
◆「Ⅰ列王 11:32 ただし、ソロモンには一つの部族だけ残る。それは、わたしのしもべダビデと、わたしがイスラエルの全部族の中から選んだ都、エルサレムに免じてのことである。」
◆「Ⅰ列王 11:36 彼の子には一つの部族を与える。それは、わたしの名を置くために選んだ都エルサレムで、わたしのしもべダビデが、わたしの前にいつも一つのともしびを保つためである。」
◆「Ⅱ列王 21:4 こうして彼は、【主】がかつて「エルサレムにわたしの名を置く」と言われた【主】の宮に、いくつもの祭壇を築いた。」
◆「Ⅱ列王 21:7 彼はまた、自分が造ったアシェラの彫像を宮に安置した。【主】はかつてこの宮について、ダビデとその子ソロモンに言われた。「わたしは、この宮に、そしてわたしがイスラエルの全部族の中から選んだエルサレムに、わたしの名をとこしえに置く。」
罪に堕落した人類が失った、神の似姿である聖なる道徳性を人類に回復させるというビジョン達成の為に、神はビジョン意味するヘブル語の「エル」と平和を意味する「サレム」との合成語である「エルサレム」を特別にお選びになったのです。それ故に、神の目は永遠にいつもイスラエルの都エルサレムに注がれているのです。申命記には、神がイスラエルと約束された約束の地に永遠に目をとめておられる事が約束されています。
◆「申11:11 しかし、あなたがたが、渡って行って、所有しようとしている地は、山と谷の地であり、天の雨で潤っている。 11:12 そこはあなたの神、【主】が求められる地で、年の初めから年の終わりまで、あなたの神、【主】が、絶えずその上に目を留めておられる地である」。
神はイスラエルに約束された「約束の地」に絶えず目をとめておられるという事は、特別に選ばれた「エルサレム」にも特別に目をとめておられる事が分かります。
エルサレムの平和の為に祈らなければならない理由は、エルサレムを通して、罪に堕落した人類の失った創造主の聖なる道徳性、神の似姿を回復させる為に、神が特別にお選びになり、神の所有とされた聖なる都とされた事にあります。神のビジョン、神のご計画は、神お一人で達成をされて行きません。神のビジョンとご計画を喜んで共有する神の僕たちのひたすらな祈りの積み重ねを神が使って達成されて行きます。
エルサレムの平和を祈るのは、イスラエルの祝福を祈る事をも意味しています。それはエルサレムの住民はイスラエルの民であるからです。エルサレムとイスラエル民族は切っても切り離す事が出来ない一体の関係の中にあります。神さまはエルサレムに住むイスラエル、或はエルサレムを首都とするイスラエルを通して世界を祝福し、罪に堕落した人類が失った神の似姿の回復と言うビジョンを達成されていくのです。
3、エルサレム神殿
神さまは、御自身のビジョンを達成する為に、神の家であるエルサレム神殿を建てるビジョンを持つ事をダビデに許されました。ダビデは、エルサレム神殿の具体的な建設について、その為の細かい仕様書を神さまから直接御霊によって示されていたのです。驚くべきことです。しかし、ダビデは戦争で多くの血を流したという理由で神殿を建てる事が許されず、建設は息子ソロモンの手に委ねられました。以下のように教えられています。
◆「Ⅰ歴代28:11 ダビデはその子ソロモンに、玄関広間、その神殿、宝物室、屋上の間、内部屋、贖いの間などの仕様書を授けた。 28:12 御霊により彼が示されていたすべてのものの仕様書であった。すなわち、【主】の宮の庭のこと、回りにあるすべての脇部屋のこと、神の宮の宝物倉のこと、聖なるささげ物の宝物倉のこと、 28:13 祭司とレビ人の組分けのこと、【主】の宮の奉仕のすべての仕事のこと、【主】の宮の奉仕に用いるすべての器具のことである。 28:14 金については、各種の奉仕に用いるすべての器具に使う金の目方が、すべての銀の器具については、各種の奉仕に用いるすべての器具の目方が示され、 28:15 金の燭台とその上にある金のともしび皿の目方は、一つ一つの燭台とその上にあるともしび皿の目方が、銀の燭台については、一つ一つの燭台の用途別に燭台とその上にあるともしび皿の目方が示されていた。 28:16 また、並べ供えるパンの机、一つ一つの机に使う金の目方、銀の机に使うその銀、 28:17 純金の、肉刺し、鉢、びん、金の杯については、それぞれの杯の目方、銀の杯について、それぞれの杯の目方、 28:18 精金の香の壇についてはその目方、【主】の契約の箱の上で翼を伸べ、防ぎ守っているケルビムの車のひな型の金のことが示されていた。 28:19 「これらすべては、私に与えられた【主】の手による書き物にある。彼は、この仕様書のすべての仕事を賢く行う。」
ソロモンの手によって7年間でエルサレム神殿が完成しました(Ⅰ列王6:37~38)。その神殿に契約の箱が収められた時、神さまが雲の中に臨在をあらわされました。雲が神の臨在の為に用いられました。神の臨在の為に用いられる物質をシェキナ―と言いますが、ソロモンが建設をしたエルサレム神殿がシェキナ―の雲でみちましたので、その場にいた祭司たちは立ったままで仕える事が出来ませんでした。以下のと通りです。
◆「Ⅰ列王8:10 祭司たちが聖所から出て来たとき、雲が【主】の宮に満ちた。8:11 祭司たちは、その雲にさえぎられ、そこに立って仕えることができなかった。【主】の栄光が【主】の宮に満ちたからである。8:12 そのとき、ソロモンは言った。「主は、暗やみの中に住む、と仰せられました。 8:13 そこで私はあなたのお治めになる宮を、あなたがとこしえにお住みになる所を確かに建てました。」
神さまは、無限のお方で、宇宙に満ち満ちているお方ですので、何処にでもおられる普遍的なお方です。しかし、神さまは、ご自身のビジョン達成の為に、特別にご臨在を表す場所として、ソロモンが建てた「エルサレム神殿」を住まいととされたのです。
エルサレムが、神の聖なる場所である理由は、その町に、世界を祝福するためのイスラエル民族と、世界を祝福する神がお住いのエルサレム神殿があった事によります。神さまが、エルサレムを通して世界を祝福する為に、イスラエル民族をその中に住まわせ、又、ご自身が臨在しお住みなるエルサレム神殿を設けられました。
4、神に反逆を繰り返してきたイスラエル民族
エルサレム神殿にお住みの神さまが、イスラエルを通して世界を祝福する為には、イスラエル民族全体が、神の似姿を回復する必要がありました。しかし、イスラエルは神に反逆し。偶像崇拝と不道徳の民となってしまったのです。 その為に、神に反逆するイスラエルの悔い改めを願って多くの真の預言者がエルサレムに遣わされ、神の愛と正義のメッセージが、裁きと希望のメッセージが預言者を通し語り続けられました。エルサレムはそのような場所であり、城壁の石垣たちは預言者の声を静かに聞いていたのです。その預言者の神のことばの中に、メシヤ預言と、メシヤ的王国の預言が多く含まれていました。
5、預言に従って遣わされたキリストによる「聖化の道」
 旧約聖書の多くの預言に従って神に遣わされたメシヤであるナザレのイエス・たキリストは、多くの預言の成就の為に十字架に向かわれました。キリストは、神が預言され決められていた過越し祭の時、エルサレムで全人類の罪を背負って十字架で罪の贖いを成し遂げ、葬られ、甦られてユダヤ人と全人類の救いの為の、御業をなされたのです。そのキリストを信じる者にもたらされるキリストの救いの御業をこれまで、11の福音の恵みで纏めてきましたが、キリストを信じる者はその福音によって、ユダヤ人を初め人類が失っていた神の似姿を回復する道筋が備えられたのです。それが聖化の道です。むさぼって人を妬んだり、恨んだり、憎んだり、腹を立てたり自尊心を傷つけ不平不満を抱く古き人は、キリストと共に十字架で死んで永遠に過ぎ去りました。その古い人はキリスト共に甦り、神の聖なる性質持ちました。その霊的事実がキリストを信じる者に与えられております。その霊的事実に立って古い人が顔を覗かせば常に否定し、わたしはキリストにあってどんな人も愛し、尊敬し、喜ぶものとされていると告白して安んじながら、日々、キリストの細き御声に聞きしたがう事です。キリストに聞き従う為には、いつも自分の知恵や知識や体験や持てるものをキリストの愛と正義と力に満ちた手に委ねて、自分をゼロにして、無にして、何事もキリストに祈って、相談して事を行う事です。その祈りに主は答えて下さって、ご自身の御手に委ねられた私達の全てをご自身の御手と共に私達に帰して下さって、ご自身の御手の中で私達が自分の知恵や知識や体験や能力を使って日々主に従って生きるようにして下さるのです。それが、神の似姿であるキリストの人格に日々漸進的に似せられていく道です。私達が、聖化の道を歩むために、キリストはエルサレムで十字架に死に葬られ、三日目に甦られたのです。

6、イスラエル民族が民族ごとキリストを信じる日がやって来る
しかし、まだ、多くの人はキリストを信じていないゆえに、地球上に神の似姿を回復した人類で満たすという神のビジョンは達成されていません。その神のビジョンの達成は間もなく実現します。その為に、まず、イスラエルが民族ごとキリストを信じて救われるという預言が成就しなければなりません。パウロはローマ書で「ユダヤ人はみな救われる」と預言しています。「ロマその奥義とは、イスラエル人の一部がかたくなになったのは異邦人の完成のなる時までであり、 11:26 こうして、イスラエルはみな救われる、ということです。以下の通りに教えられています。
◆「救う者がシオンから出て、ヤコブから不敬虔を取り払う。 11:27 これこそ、彼らに与えたわたしの契約である。それは、わたしが彼らの罪を取り除く時である。」
終末時代に、イスラエルが民族ごと罪を徹底して悔い改めてキリストを信じて救われる事について、預言者ゼカリヤも預言しています。以下の通りです
◆「ゼカ 12:9 その日、わたしは、エルサレムに攻めて来るすべての国々を捜して滅ぼそう。 12:10 わたしは、ダビデの家とエルサレムの住民の上に、恵みと哀願の霊を注ぐ。彼らは、自分たちが突き刺した者、わたしを仰ぎ見、ひとり子を失って嘆くように、その者のために嘆き、初子を失って激しく泣くように、その者のために激しく泣く。 12:11 その日、エルサレムでの嘆きは、メギドの平地のハダデ・リモンのための嘆きのように大きいであろう。 12:12 この地はあの氏族もこの氏族もひとり嘆く。ダビデの家の氏族はひとり嘆き、その妻たちもひとり嘆く。ナタンの家の氏族はひとり嘆き、その妻たちもひとり嘆く。 12:13 レビの家の氏族はひとり嘆き、その妻たちもひとり嘆く。シムイの氏族はひとり嘆き、その妻たちもひとり嘆く。 12:14 残りのすべての氏族はあの氏族もこの氏族もひとり嘆き、その妻たちもひとり嘆く。」
エルサレムの平和の為に祈るという事は、先ず、イスラエルの人々がキリストを信じて霊的に救われ、聖化の道を歩むように祈る事です。その為に、私達異邦人キリスト者が、ユダヤ人に妬みを感じさせるほど聖化されることが必要です。神さまが、ユダヤ人がキリストを信じる信仰に導く法則の一つは、ユダヤ人が異邦人キリスト者に回復されている神の似姿を見て妬みを感じさせることです。以下のように教えられています。
◆「ロマ 11:11 では、尋ねましょう。彼らがつまずいたのは倒れるためなのでしょうか。絶対にそんなことはありません。かえって、彼らの違反によって、救いが異邦人に及んだのです。それは、イスラエルにねたみを起こさせるためです。」
次に、イスラエルの人々が物質的に経済的に必要が満たされるように祈りつつ、実際に支援を行う事です。パウロは、それは異邦人キリスト者の絶対的義務だと教えています。「ロマ 15:25 ですが、今は、聖徒たちに奉仕するためにエルサレムへ行こうとしています。 15:26 それは、マケドニヤとアカヤでは、喜んでエルサレムの聖徒たちの中の貧しい人たちのために醵金することにしたからです。 15:27 彼らは確かに喜んでそれをしたのですが、同時にまた、その人々に対してはその義務があるのです。異邦人は霊的なことでは、その人々からもらいものをしたのですから、物質的な物をもって彼らに奉仕すべきです。
1945年5月14日にイスラエルは、約2000年間失っていた国を約束の地に復興させる事に成功しました。それは、旧約聖書が終わりの時代に、世界に散っているイスラエルを約束の地に帰還させるという多くの預言の成就であったのです。それは、エルサレムを通して、神の似姿を回復させる人たちをこの世界に満ちたすという、神のビジョン達成の為に必要な偉大な歴史的出来事でした。
 私は、イスラエルの建国記念日のお祝いは毎年5月14日に行われると思ってきたのですが、間違いでした。改めて調べて見ますと、建国記念日のお祝いは、今年は5月1日行われる予定でした。しかし。今年の4月30日にエルサレム周辺で大規模な山火事が起きて、翌日のお祝いの行事は全て中止となりました。何故山火事が起きたのか、その原因は今だはっきりと分からないようです。テロの可能性を入れて原因が調査中の様です。イスラエルの建国記念日であり独立記念日はいつ行われるのか、ネットで調べました。
「ユダヤ歴のイスラエル独立記念日は、日本のように西暦(グレゴリオ暦)固定ではなく、ユダヤ教の伝統に基づくヘブライ暦(ユダヤ暦)定められています。そのため、西暦での記念日の日付は毎年変動します。基本的にはヘブライ暦の「イヤル月5日」がイスラエル独立記念日に相当し、2025年は5月1日がその日に当たりました。ヘブライ暦は、一か月の日数が29日間または30日間です。それを西暦に当てはめると毎年違う日付になってしまいます。たとえると、太陰暦・太陽暦のような暦のズレがある、ということです。」
私達は、毎年ヘブライ暦で記念されるイスラエルの建国記念日を覚えて、建国記念日のお祝いの行事の目的が達成できるように心を合わせて祈る必要があります。その目的は以下の通りです。

◆「その目的は独立と平和を祝うこと、そして戦没者への追悼です。具体的には、戦没者の名前を読み上げたり、追悼の番組が放送されたりします。具体的な行事としては、国中で様々なイベントが開催され、人々は家族や友人と共にバーベキューやピクニックを楽しみます。また、国防軍によるパレードや花火も見られます。これらの行事を通して、イスラエルの建国記念日は、独立の達成を祝うだけでなく、国家の未来を担う子供たちにも歴史と文化を伝える大切な機会となっています。」
【終わりに】

 エルサレムの平和の為に祈らなければならない理由は、創造主の神さまが、エルサレムを通して、罪に堕落したこの世界に、神の似姿を回復した人々で満ち溢れさせるという、ビジョンをお持ちだからです。その為に、エルサレムに住むイスラエル民族が選民として選ばれました。また、神の住まいとしてエルサレム神殿が建てられました。その為に、多くの預言者を通してエルサレムで神のことばが語られてきました。その為に、キリストが救い主として、エルサレムにおいて十字架で死に、葬られ、陰府に下り、三日目に甦られ、昇天し、ユダヤ人と全人類の罪の贖いための救いの御業をなされました。その救いの御業によって神の似姿へと回復させる「聖化の道」も備えられました。しかし、神の似姿を回復した人がエルサレムを通してた世界に満ちるという神のビジョンが実現するには、メシヤの再臨とメシヤ的王国の実現が成就しなければなりません。その実現に向けて、神は、奇跡をもって1948年5月14日に、イスラエルが約2000年ぶりに国家を復興させる事に成功させました。メシヤの再臨とメシヤ的王国の実現に向けて、神さまはエルサレムに今後どのように働きかけられて行くのかは、次週にお伝えしたいと思います。