「神の武具/真理の帯③」
聖書:エペソ6章10節~24節
牧師:佐藤勝徳

  【はじめに】

  これまで、悪魔とその手下である悪霊共と「闇の世の支配者たち」と呼ばれる悪霊共の親分との、戦いにおいて私たちが勝利する為に、神の武具として9つの真理の帯を心の腰に締める事、心に深く刻むことが必要だという事をお伝えしてきました。

①天地万物と人間は創造主による神の作品であるという真理の帯。

②天地の造られる前にキリスト者は神の子として選ばれていたという真理の帯。

③地上に再臨されるキリストによって1000年のメシヤ的王国が実現するという真理の帯。

④キリストの十字架の罪の赦しの福音に与るのは信仰のみによるという真理の帯。

⑤古い人がキリスト共に十字架に死に、共に甦ったという「聖めの福音」の真理の帯。

⑥日々の罪は、告白すれば「すぐに罪が赦される」という福音の真理の帯。

⑦神はいつも最善をなされているという真理の帯。

⑧霊なるキリストと聖霊の内住という真理の帯。

⑨正しい教会観という真理の帯。

以上の真理の帯の中で、7番目の「神はいつも最善をなされているという真理の帯」について、もう少し深くお知らせしておく必要がありますので、再度「「神はいつも最善をなされているという真理」について学んでおきたいと思います。

◆神様の最善とは

1、恵みとしての最善

神様の最善には、肯定的な恵みとしての最善の御業があります。それは第1に天地万物の創造の御業です。天地万物を6日間で創造された創造の御業は最善の御業でしたので、「神はお造りになったすべてのものを見られた。見よ。それは非常に良かった」(創1:31)と神さまは大喜びをされました。第2に、人類が罪に堕落した後にも肯定的な意味の恵みの善があります。それは、太陽の陽射し、恵みの雨、健康に必要な山の幸、海の幸、野の幸などをお与え下さっている事です。第3に試練という最善の御業があります。つまり、より深い幸いと祝福を与える為の恵みとしての災い・苦しみがあります。ヨブがその事を私たちに教えています。「ヨブ2: 私たちは幸いを神から受けるのだから、わざわいをも受けなければならないではなか」。神さまが許可された悪魔による天災や人災をヨブは自分をより祝福して下さる為の神の恵みとして感謝しました。私たちが体験する災いや試練の中には恵みの御業としての災いや試練があるのです。詩篇の作者も次のように教えています。「詩 119:71 苦しみにあったことは私にとって幸せでした。それにより私はあなたのおきてを学びました。」

罪びとの罪と悪魔による悪を神さまが許可されながら、キリストの十字架の死によって人類を救う御業をなされました。キリストを十字架につけたローマの総督ポンティオピラトに対して、主は次のように神の主権と支配についてお語りになっています。「ヨハ19:10 そこで、ピラトはイエスに言った。「あなたは私に話さないのですか。私にはあなたを釈放する権威があり、また十字架につける権威があることを、知らないのですか。19:11 イエスは答えられた。『もしそれが上から与えられているのでなかったら、あなたにはわたしに対して何の権威もありません。ですから、わたしをあなたに渡した者に、もっと大きい罪があるのです』」。主は、自分の主権を誇るピラトに対して、ピラトが神の主権の下にあり、神がお許しにならなければ、決してご自身を十字架につける事は出来ないと言われたのです。

ピラトの罪、ユダヤ人の罪、そして悪魔の悪を神さまが許可された結果起きた、キリストの十字架の苦しみは神様の人類を救う為という栄光の御業であったのです。その事をキリストはご存知でしたので、十字架の苦しみをご自分にとって「栄光」だと教えられました。「ヨハ 12:23 すると、イエスは彼らに答えられた。「人の子が栄光を受ける時が来ました」。イエスキリストの十字架の救いの御業は、神さまが罪びとの罪と、悪魔の悪を許可されてなされた人類に対する最善の御業であたのです。その事は、この世界に起きる様々な災いの中にも見られます。

2、悔い改めに導く災いと試練

聖書は人間の罪に対する神の愛と正義に基づく裁きとして災いや戦争などの不幸な出来事がある事を教えています。聖書は、昔、スラエルを偶像崇拝と邪悪な多くの罪の故に神様がイスラエルの悔い改めを求めて、アッシリアの王、バビロンの王の貪欲による邪悪な野望と残虐さを許可されてイスラエルを裁き滅ぼされた事を教えています。

①アッシリアによて滅ぼされた北イスラエル(BC721年)

「Ⅱ列王 15:29 イスラエルの王ペカの時代に、アッシリアの王ティグラト・ピレセルが来て、イヨン、アベル・ベテ・マアカ、ヤノアハ、ケデシュ、ハツォル、ギルアデ、ガリラヤ、ナフタリの全土を占領し、その住民をアッシリアへ捕らえ移した。」

「Ⅱ列王 17:6 ホセアの第九年に、アッシリアの王はサマリアを取り、イスラエル人をアッシリアに捕らえ移し、彼らをハラフと、ゴザンの川ハボルのほとり、またメディアの町々に住まわせた。」

北イスラエルの預言者ホセアは、北イスラエルは神への背信の罪の故に、アッシリアによって滅ぼされる事を預言していました。                           

「ホセ11:5 彼はエジプトの地には帰らない。アッシリヤが彼の王となる。彼らがわたしに立ち返ることを拒んだからだ。 11:6 剣は、その町々で荒れ狂い、そのかんぬきを絶ち滅ぼし、彼らのはかりごとを食い尽くす。」

 神さまは、多くの預言者を通して、北イスラエルのイスラエル民族が、偶像崇拝と多くの罪を悔い改める事を願って、アッシリヤによって裁かれ滅ぼされる時が来るぞと警告をされましたが、北イスラエルのイスラエル民族は耳を傾けませんでした。それ故に、警告通り、神はアッシリヤのどう猛さを使って北イスラエルを滅ぼされました。

②バビロンによって滅ぼされた南ユダ王国(BC586年)

 南ユダの預言者イザヤは、南ユダ王国が神への偶像崇拝と背信の罪の故に、バビロンによって滅ぼされる事を預言していました。                   

「イザ 39:6 見よ。あなたの家にある物、あなたの父祖たちが今日まで蓄えてきた物がすべて、バビロンへ運び去られる日々が来る。何一つ残されることはない──【主】は言われる──。39:7 また、あなたが生む、あなた自身の息子たちの中には、捕らえられてバビロンの王の宮殿で宦官となる者がいる。」

「Ⅱ列王 24:13 バビロンの王は、【主】の宮の財宝と王宮の財宝をことごとく運び出し、【主】の神殿の中にあるイスラエルの王ソロモンが作ったすべての金の用具を切り裂いた。【主】が告げられたとおりであった。」

BC721年に北イスラルがアッシリアによって滅び、BC586年に南ユダがバビロンによって滅びたという、神の裁きによる災いは、後に、イスラエルの人々が神の憐れみによって再度国を再興した時から、二度と「偶像」を造って拝むという偶像崇拝はしなくなったと言われています。神さまが、彼らを「偶像崇拝」から解放するという恵みの意思をもって、アッシリヤによって北イスラエルを、バビロンによって南ユダを滅ぼすという最善の御業をなされたのです。

③試練や苦しみを通して救われた人々

創造主の神さまが、イスラエルの人々にされたように、不信仰と罪を悔い改める事を求め、より良い幸いを得させようとして多くの人々に、人の罪や悪魔の悪による災い苦しみを許可されながら体験させておられる事も最善の御業です。ベトナム戦争の時、ナパーム弾で大やけどをした少女キムフックさん、9歳の時に赤痢にかかって重度の障害者になった水野源三さん、体育の時間に首の脊椎を損傷して寝たきりになってしまった星野富弘さん、など多くの人が厳しい試練を通してキリストに出会い救われました。厳しい脊椎カリエスの病により7年間床に伏した小説家三浦綾子さんは、夫となる三浦光世さんを通してキリストの愛をより深く知り救われました。ネットで次のように紹介されています。堀田綾子は、戦争の時代を生き、敗戦によってすべてを失った日本人として、絶望と彷徨と長い闘病の中をもがきながら、ついに神に出会ってゆく道程を歩み通して、その希望を証しする者となりました。綾子には何人もの豊かな対話相手が与えられました。求道時代には幼馴染みのクリスチャン前川正、そして彼の死後は、生涯を共にする三浦光世。彼は脊椎カリエスでギプスベッドに臥す綾子を「前川正を忘れてはいけない」と励まし祈りました。三十七歳で癒やされた彼女は結婚し、三浦綾子となりました。」

この世界に起きる様ざまな災いと苦難を通して、創造主の神さまに、救い主のキリストのもとに導かれたれた人が沢山おられます。その事は、罪びとの罪や悪魔の悪を許可されて起きる多くの災いの背後に、人々をキリストの救いに導き創造主の愛の懐に立ち返らせようとする創造主の最善のみ心が働いている事を私たちに教えています。それを聖書は「恵みの御業」と呼んでいます。「「詩  5:9 主よ、恵みの御業のうちにわたしを導き/まっすぐにあなたの道を歩ませてください。」

3、悔い改めを求めない裁きの災いと試練

 以上のように、神さまは、全ての人が救われて真理を悟り、神さまの祝福を受ける事を願って、忍耐の限りを尽くして罪びとに悔い改めのチャンスとしての災いや苦難を与えられます。しかし、その悔い改めのチャンスを失うと、その後、その人に待っているのは災いと苦難を与える事が目的の裁きが臨みます。それは災いと苦難が目的以外の意味の無い神の怒りとしての裁きです。それも聖書は創造主の最善の御業だと教えています。それは、ノアの時代に大洪水によりノアの8人の家族以外は全て滅びるという裁きによって示されました。また、イスラエルの人々がエジプトから解放される時、その時のパロ王とエジプトの多くの人々に臨んだ恐ろしい災いと苦難がその事を教えています。

①エジプトのパロ王のようになってはいけない

人が地上に生きている限り、救いのチャンスがあるというのは、聖書の教えではありません。神さまは、全ての人が救われて真理を悟りう事を願って、様々な災いや苦難を与えられて悔い改めのチャンスを何度も与えおられます。しかしそのチャンスを失えば、その人の生涯は、神の裁きの道具として災いと苦難の為に使われる以外は何もない人として生かされるのみです。その典型的な人が、イスラエルをエジプトから解放する事を拒んだ「パロ王」です。パロ王は、悔い改めて創造主の神に従うチャンスが何度も与えられたにも関わらず、心を頑なにして救いのチャンスを失った結果、後は、神に裁かれて心が増々頑固にされ、神のもたらす災いの為の器となったのです。「出 4:21 【主】はモーセに言われた。「あなたがエジプトに帰ったら、わたしがあなたの手に授けたすべての不思議を心に留め、それをファラオの前で行え。しかし、わたしが彼の心を頑なにするので、彼は民を去らせない。」

「出 7:3 わたしはファラオの心を頑なにし、わたしのしるしと不思議をエジプトの地で数多く行う。」

「出 9:12 しかし、【主】はファラオの心を頑なにされたので、ファラオは二人の言うことを聞き入れなかった。【主】がモーセに言われたとおりであった。」

「出 14:8 【主】がエジプトの王ファラオの心を頑なにされたので、ファラオはイスラエルの子らを追跡した。」

②荒野のイスラエルのようになってはいけない

 エジプトのパロ王のように、心を頑なにして荒野で裁かれて死んでいったのが、エジプトから解放された第1世のイスラエルの人々でした。彼らは、たびたび、神さまの愛の奇跡の御業を体験しながらも、神さまの愛を信じる事をしなかったのです。へブル書で次のように教えられています。「ヘブル 3:7 ですから、聖霊が言われるとおりです。「きょう、もし御声を聞くならば、 3:8 荒野での試みの日に御怒りを引き起こしたときのように、心をかたくなにしてはならない。 3:9 あなたがたの父祖たちは、そこでわたしを試みて証拠を求め、四十年の間、わたしのわざを見た。 3:10 だから、わたしはその時代を憤って言った。彼らは常に心が迷い、わたしの道を悟らなかった。 3:11 わたしは、怒りをもって誓ったように、決して彼らをわたしの安息に入らせない。」

③救いのチャンスを失ってはいけない

神さまは、全ての人が不信仰と罪を悔い改めて、キリストを信じて救われるチャンスを忍耐の限りを尽くして繰り返し与えられています。しかし、神さまの忍耐には限りがあるのです。それは、いつか、誰にも分かりませんので、今日という日に、不信仰と罪を悔い改め、十字架で罪の身代わりの刑罰をお受け下さったキリストを救い主だと信じて、永遠の罪の赦しという救いに与って頂きたいと思います。へブル書は次のように警告されています。「きょう、もし御声を聞くならば、3:8 荒野での試みの日に御怒りを引き起こしたときのように、心をかたくなにしてはならない。」

私たちは明日の命も分からないものです。今日平和の中に一日過ごせたから、明日も大丈夫と言える人は一人もいないのです。私たちの人生は「たちまち消えゆく霧に過ぎない」のです。まだ、キリストを信じていない人がおられるならば、今日、不信仰と罪を悔い改め、心の中にキリストをお迎えになる事を心からお勧めします。

4、神さまの統治

神さまが、いつも最善をなされているという真理について、最後にもう一つ重要な事をお伝えしておきます。私たちの住んでいる罪に堕落した世界の多くの災いと苦しみは、人の罪と悪魔の悪によって起こっています。創造主の神さまは彼らがもたらす災いと苦しみを許可するという、許可の御業という最善をもって、罪に堕落した世界を統治されています。創造主の神さまは天地万物の創造主であり、保持者であり、イスラエルと結ばれた4つの無条件契約である「アブラハム契約」「土地の契約」「ダビデ契約」「新しい契約」の成就として「メシヤ的王国」をこの地上に実現する為に統治されています。神さまの統治についてキリストは次のように教えられました。「二羽の雀は一アサリオンで売られているではありませんか。そんな雀の一羽でさえ、あなたがたの父の許しなしに地に落ちることはありません」。神さまの世界の統治については、詩篇で次のように教えられています。

「詩 145:13 あなたの王国は永遠にわたる王国。あなたの統治は代々限りなく続きます。」

「詩 47:2 まことにいと高き方【主】は恐るべき方。全地を治める大いなる王。」

「詩 103:19 【主】は天にご自分の王座を堅く立てその王国はすべてを統べ治める」。

【おわりに】 

もし、愛と正義の創造主の神さまが、天地万物を統治されていなければ、この罪に堕落した世界はどうなるでしょうか。悪魔は世界の支配者になろうとし、その自分の邪悪な野望実現のために、無数の天使の中より3分の1を堕落させて自分の手下にすることに成功しています。又、人間を罪に堕落させて自分の味方にすることが出来ました。、悪魔は死の力を持つ者です。彼は人間を罪に堕落させて人が霊的にも肉体的にも死ぬようにさせました。正に人殺しです。彼の喜びは、人を創造主から切り離し、人が創造主の愛を信じないで、自分の欲望のままに貪欲のままに生かして、最後は滅びる事、苦しむ事で終わらせる事を喜びとしています。

人間は、貪欲を傾向とする悪魔の性質を植え込まれて誕生していますので、すぐに妬んだり、恨んだり、憎んだり、様々な邪悪な思いをもって生きています。もし、愛と正義の創造主の神の統治がなく、悪魔のしたい放題、人間の

したい放題になれば、この世界はどうなるでしょうか。あっという間に、想像を絶する恐ろしい世界、地獄の世界になってしまうでしょう。今私たちの住んでいる世界は、多くの苦しみがありますが、それでも、神さまは悪魔の全ての思い通り、人間の全ての思い通りに絶対にさせないで、いつも一人ひとりにとって最善となるように統治sれているのです。神さまの善なる統治権により、この世界の苦しみは許された範囲の苦しみで終わっているのです。神さまが、人間のしたい放題、悪魔のしたい放題にさせないように、統治されている事をはヨブ記でも教えられています。神さまは、悪魔にヨブに災いをもたらすことを許可されましたが、最初の試練ではヨブの肉体に触れてならない事を命じられ、二度目の試練ではヨブのいのちを奪ってならないと命じられています。

◆「ヨブ1:12【主】はサタンに仰せられた。「では、彼のすべての持ち物をおまえの手に任せよう。ただ彼の身に手を伸ばしてはならない。」

◆「ヨブ2:6【主】はサタンに仰せられた。「では、彼をおまえの手に任せる。ただ彼のいのちには触れるな。」

  私たちが体験する全ての事が、いつも喜ばしき最高最善の御業となるように、神さまは心を燃やし、人間、悪魔や悪霊ども、そして万物を統治されているのです。その事を深く信じ感謝しましょう。伝道の書で次のように教えられています。「伝 3:11 神のなさることは、すべて時にかなって美しい。」

 あなたも、いつも最善をなされている創造主の神を信じて、喜びと感謝の日々を送られますようにお祈りしています。