「パウロのイスラエルへの愛⑦」
聖書:ロマ9章1節~5節
牧師:佐藤勝徳
【はじめに】
パウロが、イスラエルを愛した理由として今日は「ダビデ契約」を学びます。もし、イスラルにダビデ契約がなければ、家臣ウリヤの妻バテシバと姦淫し、その後夫ウリヤをも殺害したダビデは、モーセ律法に従って王位から退けられていました。又、ダビデは子育てにも失敗しています。子どもたちの恐ろしい罪に対して厳格に対処しなかったので、彼の家庭の平和は崩れました。息子アムノンは、その情欲を抑える事が出来ず、母違いの妹タマルを犯しましたが、ダビデはその事を知っても、何も対処しませんでした。結果、タマルと同じ母を持つ兄アブサロムが、アムノンを殺害しました。その事を知ったダビデは嘆き悲しむだけで何もしませんでした。その結果、ダビデは息子アブサロムの反逆により、城から逃避しなければならない苦しみを負ったのです。 ◆「Ⅱサム 13:37 アブサロムは、ゲシュルの王アミフデの子タルマイのところに逃げた。ダビデは、毎日アムノンの死を嘆き悲しんでいた。」
◆「Ⅱサム 15:14 ダビデは、自分とともにエルサレムにいる家来全員に言った。さあ、逃げよう。そうでないと、アブサロムから逃れる者はいなくなるだろう。すぐ出発しよう。彼がすばやく追いついて、私たちに害を加え、剣の刃でこの都を討つといけないから。」それらの悲しい出来事は、ダビデ王の子育ての失敗の結果だったと言われています。その他、王としての重大な失敗の為に、イスラエルに疫病が望み、イスラエル国民に対して重大な苦しみをもたらしたのです。
◆「Ⅰ歴代21:14 すると、【主】はイスラエルに疫病を下されたので、イスラエルのうち七万の人が倒れた」。
また、バテシバとの間に生まれたソロモンは、若い時は良い王でしたが、やがて情欲のおぼれ数多くの妻と妾を設け、傲慢になり、イスラエルに多くの偶像をもたらしました。その結果、イスラエルを北イスラエルと南ユダ王国に分裂させたのです。もし、ダビデ契約がなければ、ダビデ王も、ソロモン王も、シナイ契約であるモーセ律法の掟では、それぞれが「死刑に処される罪」を犯したので、処刑され、ダビデの家系によるメシヤの誕生を迎える事が出来なかったのです。また、ダビデが王となるメシヤ的王国の実現をも私達は決して見ることがなかったのです。もちろん、神さまは「アブラハム契約J「モアブ契約」をイスラエルと結ばれたので、必ず何らかの方法でその約束を果たされますが、神さまのご計画は、ダビデを通してアブラハム契約、モアブ契約を実現させる事でしたので、彼が重大な失敗をする前に、「ダビデ契約」を結ばれたのです。
・ダビデ契約
ダビデ契約は預言者ナタンを通して神がダビデと結ばれた契約です。
Ⅱサムエル7章11b節~16節のダビデ契約
そこには、ダビデ自身への約束と、ダビデの子孫への約束が区別されて教えられています。その契約条項は以下の通りです。
1、ダビデへの約束
①ダビデ王朝の約束(ダビデの子孫からイスラエルの王が出現する)
②ダビデ王朝とダビデ王国とダビデの王座が永遠に続く
2、ダビデの息子ソロモンへの約束
①ダビデの死後、ソロモンによって王国を確立させる
②ソロモン王が罪を犯せば厳しく戒めるがサウル王の様に王位から退けない
ソロモン王への約束は既に全て実現しています。彼は、ソロモン神殿と呼ばれる神殿を建てました。又、彼の知恵によって、ソロモン王国はソロモンの栄華と呼ばれる程に経済的に繁栄し、平和が続きました。彼がイスラエルを治めている時は、イスラエルでは金が満ち溢れ、銀は顧みられなかったと言われました。
◆「Ⅰ列王10:21 ソロモン王が飲み物に用いる器はみな金であった。レバノンの森の宮殿にあった器物もすべて純金であって、銀の物はなかった。銀はソロモンの時代には、価値あるものとはみなされていなかった」。しかし、彼は恐ろしい偶像崇拝の罪を犯しました。その為に、神さまから懲らしめられましたが、モーセ律法によって死刑に処せられる事もなく、サウル王のように王位から退けられる事もなく、この世の生涯を終えています。(Ⅰ列王11:1~34)
以上の、Ⅱサムエル記7章11節から14節迄の「ダビデ契約」では、ダビデ王がイスラエルの永遠の王になる事が明確に約束されていますが、メシヤについては何も約束されていません。
Ⅱ 歴代17章10b節~14節
ダビデ契約でメシヤの事が約束されるのは、Ⅰ歴代17章10b節から14節に再記述されている「ダビデ契約」においてです。
その契約条項は以下の通りです
1,ダビデへの約束
①ダビデ王朝の約束(ダビデの子孫からイスラエルの王が出現する)
②ダビデの子孫の中よりメシヤが出現する
Ⅱサムエル7章のダビデ契約では、「ダビデの子孫が」と、一人の子孫を意味するヘブル語原語「ゼラァ」が使用されており、明らかにソロモンをさしている事が後の契約条項で分かります。しかしⅠ歴代7章11節では「あなたの息子の中から」と、言われています。息子はヘブル語原語では!Be (ベン)で「息子」とか「子孫」と訳される言葉が使用されています。ダビデのどの息子の中のどの子がメシヤなのか、この時点では分かりません。なぜなら、ダビデには20人以上のたくさんの息子がいたからです。(Ⅰ歴代3:1~8)
メシヤであるイエス様が、ダビデの息子ナタンの血統から生まれたので、その息子の中からの息子はソロモンではなく、ソロモンの兄弟ナタンである事が分かります。ダビデの息子ナタンのずっと後に生まれたナタンの血統のマリヤさんが聖霊によって身ごもって生んだナザレのイエス様こそ、ダビデ契約で約束されたメシヤだという事が分かります。そのメシヤに対して神さまは次のように約束されています。
1、メシヤへの約束
1)メシヤはメシヤの王国を持つ。
それは預言者たちが繰り返し預言しているイスラエルを中心とした「メシヤ的王国」を意味しています。
2)メシヤは神の家である神殿を建てる。
それはメシヤ的王国ではメシヤが世界で一番高い山にエルサレム神殿を建てる事を意味しています。(イザヤ2:2、エゼキエル40:2)
3)メシヤ的王国のメシヤの王座はとこしえに続く。
4)父なる神はメシヤの父なり、メシヤは父なる神の子となる
5)サウル王は恵みが取り去られたが、メシヤからは父なる神の恵みが永遠に取り去られる事が無い
Ⅱサムエル7章では、ダビデの世継ぎのソロモンが罪を犯せば懲らしめられる事が約束されていますが、Ⅰ歴代17章のダビデ契約ではメシヤは罪を犯さないのでソロモンのように懲らしめられるという条項は省かれています。
6)メシヤ的王国のエルサレム神殿である神の家とイスラエル王国の中にメシヤをとこしえに立たせる
7)メシヤ的王国のメシヤの王座はとこしえに立つ。
Ⅱサムエル7章でのダビデ契約の中心は、ダビデがイスラエルの永遠の王になるという事が中心的な契約となっています。それに対して、Ⅰ歴代17章では、ダビデのナタンの血統から生まれるメシヤが、メシヤ的王国の永遠の王になるという事が中心的な契約になっています。この異なる二つのダビデ契約が、一つのダビデ契約として、イスラエルの中に受け継がれ、預言者たちによって、神が必ず成就し実現される契約として預言されてきました。
Ⅲ神によるダビデ契約実現の預言
以上のダビデ契約を必ず成就させる事を神さまが預言者たちによって繰り返し断言されています。その聖書個所は以下の通りです
1、詩篇89篇
◆「89:3 「わたしは、わたしの選んだ者と契約8を結び、わたしのしもべダビデに誓っている。89:4 わたしは、おまえのすえを、とこしえに堅く立て、おまえの王座を代々限りなく建てる。 」◆「89:34 わたしは、わたしの契約を破らない。くちびるから出たことを、わたしは変えない。89:35 わたしは、かつて、わが聖によって誓った。わたしは決してダビデに偽りを言わない。 89:36 彼の子孫はとこしえまでも続き、彼の王座は、太陽のようにわたしの前にあろう。」
2、アモス書
◆「 9:11 その日、わたしはダビデの倒れている仮庵を起こし、その破れを繕い、その廃墟を復興し、昔の日のようにこれを建て直す。」 この聖句は、ダビデの倒れている仮庵と呼ばれている、廃墟となったイスラエル国家を神さまが、ダビデ契約に従って復興される事が預言されている。このみ言葉は、キリスト在世時代のイスラエルの多くの人々がローマから解放される事に期待を寄せた希望のみ言葉でした。
3、その他参照
◆イザヤ55章3節、エレミヤ書30章9節、33章15節、エゼキエル37章22節,24節,43章5節~7節, 44章3節,45章7節, 48章21節、ホセア3章5節, Ⅳメシヤが「メシヤ的王国」でイスラエルの王となる事を預言する聖書箇所
1、創世記49章10節
◆「王権はユダを離れず、統治者の杖はその足の間を離れることはない」。
この聖句はメシヤ的王国の王はイスラエルのユダ部族から出現する事を預言している。
2、民数記24章17節
◆「私には彼が見える。しかし今のことではない。私は彼を見つめる。しかし近くのことではない。ヤコブから一つの星が進み出る」。この預言のみ言葉をダニエルから聞かされていた東方の博士たちは、不思議な星の出現を発見した時に、このみ言葉が成就し、ユダヤにメシヤである王が出現したと確信しました。彼らはその星に導かれてユダヤのベツレヘムにお生まれになった、幼子キリストを礼拝したのです。 3、詩篇
◆「2:6 しかし、わたしは、わたしの王を立てた。わたしの聖なる山、シオンに。」
このみ言葉は、メシヤである王はメシヤ的王国において、聖なるシオンの山と呼ばれるエルサレムに君臨される事が預言されています。 ◆「24:7 門よおまえたちの頭を上げよ。永遠の戸よ上がれ。栄光の王が入って来られる。24:8 栄光の王とはだれか。強く力ある【主】。戦いに力ある【主】。24:9 門よおまえたちの頭を上げよ。永遠の戸よ上がれ。栄光の王が入って来られる。24:10 栄光の王それはだれか。万軍の【主】この方こそ栄光の王。」 このみ言葉は、終わりの日に反キリストと彼に従う世界の軍隊によって絶滅に危機に瀕したイスラエルを助ける為に地上に再臨され、反キリストと世界の軍隊を悉く滅ぼされたメシヤを「戦いに勇ましい王」として、イスラエルの人たちがエルサレムに迎える事が預言されています。
4、イザヤ書
◆「2:2 終わりの日に、【主】の家の山は、山々の頂に堅く立ち、丘々よりもそびえたち、すべての国々がそこに流れて来る。・・2:5 来たれ。ヤコブの家よ。私たちも【主】の光に歩もう。」 この聖句は、メシヤ的王国において世界で一番高くなったエルサレムの山に建った神殿にお住いの王なるメシヤに対して、世界中から巡礼者がやって来る事を預言しています。 ◆「9:6 ひとりのみどりごが、私たちのために生まれる。ひとりの男の子が、私たちに与えられる。主権はその肩にあり、その名は「不思議な助言者、力ある神、永遠の父、平和の君」と呼ばれる。9:7 その主権は増し加わり、その平和は限りなく、ダビデの王座に着いて、その王国を治め、さばきと正義によってこれを堅く立て、これをささえる。今より、とこしえまで。万軍の【主】の熱心がこれを成し遂げる。」 このみ言葉はメシヤの初臨と再臨を預言し、再臨の神でもあり王でもあるメシヤがイスラエルを永遠に治めることが預言されています。 ◆「イザ11:1 エッサイの根株から新芽が生え、その根から若枝が出て実を結ぶ。 11:2 その上に【主】の霊がとどまる。それは知恵と悟りの霊、はかりごとと能力の霊、主を知る知識と主】を恐れる霊である。11:3 この方は【主】を恐れることを喜び、その目の見るところによってさばかず、その耳の聞くところによって判決を下さず、・・」 このみ言葉は、メシヤ的王国の王となるお方は、ダビデの父エッサイの子孫として密かに出現される事が預言されています。 5、エレミヤ書
◆「 23:5 見よ、その時代が来る。──【主】のことば──そのとき、わたしはダビデに一つの正しい若枝を起こす。彼は王となって治め、栄えて、この地に公正と義を行う。23:6 彼の時代にユダは救われ、イスラエルは安らかに住む。『【主】は私たちの義』。それが、彼の呼ばれる名である。」 6、ミカ書5章2節
◆「ミカ 5:2 ベツレヘム・エフラテよ、あなたはユダの氏族の中で、あまりにも小さい。だが、あなたからわたしのためにイスラエルを治める者が出る。その出現は昔から、永遠の昔から定まっている。」
【終わりに】
以上の、ダビデ契約の成就として旧約聖書が預言するメシヤ的王国のイスラエルの王として、出現されたお方が、ナザレのイエスだと新約聖書は教えています。その代表的なみ言葉がルカによる福音書1章31節~33節です。
◆「ルカ1:31 ご覧なさい。あなたはみごもって、男の子を産みます。名をイエスとつけなさい。 1:32 その子はすぐれた者となり、いと高き方の子と呼ばれます。また、神である主はにその父ダビデの王位をお与えになります。 1:33 彼はとこしえにヤコブの家を治め、その国は終わることがありません。」 以上のように、神さまがダビデと結ばれた「ダビデ契約」の中で約束された「ダビデの息子からの子孫」が、マリヤが聖霊によって身ごもって生んだナザレのイエスだという事を、パウロも長い間気が付かず、ナザレのイエスをメシヤだと信じるキリスト者たちを迫害する事に熱心になっていました。しかし、ダマスコの途上で、復活のキリストが直接彼に出会って下さって彼の間違いを正しました。彼は、聖霊によって心の目が開かれて、ナザレのイエスこそが、ダビデ契約で約束され、多くの預言者が預言してきたメシヤだという事を悟ったのです。同胞イスラエルは、自分たちが愛して待ち望んでいる「ダビデ王国の復興」である「メシヤ的王国」を実現するのが、十字架にかけたナザレのイエスだと気が付かない盲目状態になっている事に、かつての自分を重ね合わせて、断腸の思いでとりなしを捧げたのです。彼らの目が開かれて、ダビデ契約で約束され、神がどんなことがあっても実現させると誓われたメシヤ的王国のメシヤ、がナザレのイエスだとなんとしても悟ってほしいと切にパウロは祈りました。
先日、一人の姉妹が長崎の教会の巡礼の旅の写真を送って下さいましたが、その中で、殉教して行った殉教者の名前と年齢が書かれていた碑を見て、驚きました。ほとんどが20代の若いキリシタンたちでした。想像を絶する残酷な苦痛苦悩仕打ちを受けながらも、神様の愛を信じる信仰を保持して殉教して行った若者のキリシタンの事を、忘れてはならないと思いました。彼らは、殉教しながらも家族や友人知人そして多くの日本人の救いの為に祈った事でしょう。十字架にかかられたナザレのイエス・キリストこそ神がダビデ契約に基づいて遣わされた「メシヤ」であるという事実に多くのユダヤ人の目が閉ざされています。そのように、現代の多くの日本人の心の目も閉ざされています。その閉ざされた目が開かれて、キリストを心から信じる信仰に導かれるのは、パウロのように断腸の思いでとりなす祈りに働いて下さる聖霊のお力によるのです。キリストをいまだ否定している多くのユダヤ人と、多くの日本人の目が開かれて、キリストを信じる信仰に導かれるように、聖霊によって私たちも切に切に祈る祈りを捧げるものとなるように神さまの助けを祈りましょう。あなたが、ナザレのイエス様こそが、旧約聖書が預言しているメシヤ「救い主」だと信じる信仰に導かれますようにお祈りしています。