「パウロのイスラエルへの愛⑨」
聖書:ローマ9章1節~5節
牧師:佐藤勝徳
【はじめに】
神さまがBC13世紀ごろ、エジプトから解放され荒野を放浪させられたイスラエルに、シナイ山でモーセを通して律法を与えられた事は、イスラエルにとっては特別な恵みであり特権だとパウロは教えています。モーセ律法は、神の愛と正義と聖さと謙遜さを背景に、神が完全な知恵を尽くして与えられた、最高に喜ばしき、最高最善の律法でした。その律法を守れば、神さまの豊かな祝福が約束されています。しかし、同時に、逆らえば神の正義によって厳しく裁かれる事も教えられています。パウロがイスラエル愛する理由の一つは、アブラハム契約に従って、イスラエルが世界を祝福する民族となる為に、神さまが彼らに「モーセ律法」を授けられた事でした。
1、613か条のモーセ律法
その律法は、ユダヤ教の伝統では全部で613か条から成り立っていると教えられています。ルカによる福音書において、キリストがご自身の力でなされた奇跡の一つに、12年間長血で苦しんでいた女性を癒された出来事が教えられています(ルカ8:43~48)。その時、その女性はキリストの衣の房に触り、癒された事が教えられています。実は、キリストは律法に従って4隅に房がつている衣を着ておられたのです(民15:38~39)。房を付ける理由は、律法の全てを覚えて律法は行う為だと教えられています。その房はヘブル語で(ツイ-ツイト)ですが、ユダヤ教の旧約聖書の注解書ミシュナーでは(ヨッド)を一つ加え(ツイ-ツイ-ト)にしていると言われています。その理由は、伝統的なモーセ律法613か条に合わせる為だと思われます。ヘブル語はアルファベットが数字を兼ねていますので、それによればは600になります。房は8本を束ねた糸を5つの紐で括っていると言われています。その8+5=13の13を足すと613になります。 2、モーセ律法の価値 イスラエルの人々は、神がお与え下さった律法の価値をどれほど高いものとして認めていたのでしょうか。
①全世界の金銀よりも優る
イスラエルの人々は、モーセ律法の教えを「幾千の金銀よりも優る」と、この地上のどんな高価な物資とも比較できない価値あるものだと諭されていたのです。
◆「詩 119:72 あなたの御口のみおしえは私にとって幾千もの金銀にまさります。」
②蜜よりも蜂蜜よりも甘い
イスラエルの人々は、モーセ律法の教えを神さまがあらゆる事で祝福する為に与えて下さった愛の手紙だと諭されていたので、モーセ律法は「蜜よりも蜂蜜よりも甘い」霊的食物として喜びに満ちて受け入れ、甘い蜜や蜂蜜を楽しむ以上に楽しんでいたのです。
③日々、神の御心に叶った歩みをするための光
イスラエルの人々は、モーセ律法は人間作り出した単なる宗教的教えとしてでなく、絶対者の創造主が与えて下さった絶対的な神のみ言葉として諭されていましたので、闇の世において、日々の生活が神の御心に叶ったものとなる為の光として喜んで受け入れていました。 ◆「詩 119:105 あなたのみことばは私の足のともしび私の道の光です。
3、モーセ律法の区分
①祭儀律法
モーセ律法は祭儀律法と生活律法とに分ける事が出来ます。レビ記では、1章から10章まで、罪が赦される為の祭儀を中心として、神への献身を表す「全焼の捧げ物」、神との愛の交わりを深める為の「和解の捧げ物」等が詳細に教えられています。祭儀律法には、イスラエルの人々が犯す日々の罪が神さまによって赦され、神さまとの和解の中に平安と喜びをもって歩んで行く為になくてならない非常重要な祭儀が詳細に教えられています。レビ記16章と23章では、日々の贖罪の祭儀以外に、毎年秋の贖罪日7月(太陽暦9月~10月)の10日の「贖罪日(ヨム・キプール)」が定められています。その日、大祭司が傷の無い犠牲の動物の血を携えて、至聖所に入って、民の1年間の罪を贖う為の祭儀がなされます。この贖罪日に、イスラエルの人達は、自分たちの過去1年間の罪を深く悲しみ悔い改めつつ、祭儀を行います。このヨムキプールの祭儀は、やがてキリストが大祭司としてご自身の血を十字架で捧げてイスラエルと全人類の為に流される贖罪の御業を予型的に預言していたとヘブル書は教えています。 ◆「ヘブル 9:22 律法によれば、ほとんどすべてのものは血によってきよめられます。血を流すことがなければ、罪の赦しはありません。」
◆「ヘブ9:11しかしキリストは、・・・やぎと子牛との血によってではなく、ご自分の血によって、ただ一度、まことの聖所に入り、永遠の贖いを成し遂げられたのです。」
②日々の生活の為の律法
1)衣食住の律法
レビ記11章からは生活律法が教えられ、食べて良い食物、食べてはいけない食物に関する規定、や、汚れに関する規定、性的関係の規定、様々の道徳規定、施し規定、身体障碍者への愛の規定、死刑に関する規定、口寄せ霊媒の禁止規定、等が細かく定められています。申命記22章では、着て良い着物、着てはいけない着物に関する服飾に関する規定が教えられています。そうした、様々な教えの中で「自分の様に隣人を愛せよ」という「隣人愛」が教えられています。モーセ律法は、イスラエルの人々が世界を祝福する民となる為に、愛と正義と聖さと謙遜に満ちた創造主の神と創造主が与えて下さった隣人を最高最善の存在として喜び愛する道を教えている「最高最善の愛と正義の書」なのです。
◆「レビ 19:18 あなたは復讐してはならない。あなたの民の人々に恨みを抱いてはならない。あなたの隣人を自分自身のように愛しなさい。わたしは【主】である。」
2)神を信じて貪欲を捨てなければ守れない二つの律法
モーセ律法の中に「7年目」には畑に種をまいてはならないという掟があります。一年間の休耕が命じられているのです。一年も休耕すれば「食料」に困るではないかという思い煩いに対して神さまは、決して食料に困らない事を約束されました。 ◆「レビ 25:20 あなたがたが、『もし、種を蒔かず、また収穫も集めないのなら、私たちは七年目に何を食べればよいのか』と言うなら、 25:21 わたしは、六年目に、あなたがたのため、わたしの祝福を命じ、三年間のための収穫を生じさせる。 25:22 あなたがたが八年目に種を蒔くときにも、古い収穫をなお食べていよう。九年目まで、その収穫があるまで、なお古いものを食べることができる。」 7年目の田畑の休耕の次に神さまは「ヨベルの年の掟」を与えられました。それは50年毎になさなければならない掟で、全ての貸した「借金」をゼロにし、奴隷を全部無償で解放しなければならないという事が戒められています。それは、まるで調子の悪くなったパソコンを初期化するかのように、イスラエル社会の不平等を無くしてイスラエル全体を元の状態に戻してスタートさせるかのような神さまの憐れみの掟です。以上の二つの掟を守るには全ては神さまのものであるという、真理に基づく信仰により、「貪欲」は全て捨てる事が求められます。また、そうすれば神さまが祝福して下さる事を信じ、自分の利益を全て神に委ねなければ実践できない掟となっています。 ◆「レビ 25:10 あなたがたは五十年目を聖別し、国中のすべての住民に解放を宣言する。これはあなたがたのヨベルの年である。あなたがたはそれぞれ自分の所有地に帰り、それぞれ自分の家族のもとに帰る。・・25:13 このヨベルの年には、あなたがたは、それぞれ自分の所有地に帰らなければならない。」
3)モーセの十戒
モーセ律法の道徳律法がモーセの十戒に集約されています。(出エジプト2:1~17)
第1戒から第4戒迄は、イスラエルをエジプトから解放された創造主の神との関係の在り方が教えられています。第5戒から第10戒迄は、隣人との関係の在り方が教えられています。十戒は見事にコンパクトに教えられている世界で最高の道徳律法となっています。この律法は、イスラエルの人たちだけでなく、安息日の戒め以外は人類全体にも与えられている律法となっています。
4)律法付与の目的
以上の様々な生活規定の律法の目的は「神が聖であるから、イスラエルも聖となれ」でした。それがレビ記で4回も教えられているのです。 ◆「レビ 11:44 わたしはあなたがたの神、【主】であるからだ。あなたがたは自分の身を聖別して、聖なる者とならなければならない。わたしが聖だからである。」
◆「レビ 11:45 わたしは、あなたがたの神となるために、あなたがたをエジプトの地から導き出した【主】であるからだ。あなたがたは聖なる者とならなければならない。わたしが聖だからである。」
◆「レビ 19:2 「イスラエルの全会衆に告げよ。あなたがたは聖なる者でなければならない。あなたがたの神、【主】であるわたしが聖だからである。
レビ 20:26 あなたがたは、わたしにとって聖でなければならない。【主】であるわたしが聖だからである。わたしは、あなたがたをわたしのものにしようと、諸民族の中から選り分けたのである。』
◆「レビ 21:8 あなたは彼を聖別しなければならない。彼はあなたの神のパンを献げるからである。彼はあなたにとって聖でなければならない。あなたがたを聖別する【主】であるわたしが聖だからである。」
5)「聖」の意味
「聖」のヘブル語は(カドーシュ)ですが、その意味は二つあります。それは、第1に神のものとして聖別されるという意味です。もう一つは、神の様に道徳的に「聖」であるという事です。神は、イスラエルが律法を守れば、あらゆる事で祝福しようと、燃えるような熱い心で613か条の色々な律法を授けられました。イスラエルは、愛と正義と聖さ謙遜に満ちた創造主の神さまの専有物として愛をもって聖別された民族でしたので、その道徳的生活が、神さまの御心に叶った生活を送って、神さまに祝福され、世界を祝福する神の民となる事が期待されたのです。
4,モーセ律法に背いたイスラエルの歴史
しかし、イスラエルの歴史は、「残りの者」と呼ばれる僅かな聖徒を除いて、モーセ律法を神からの最高最善の律法として喜び受け入れず、従おうとしませんでした。多くは神への反逆を繰り返しました。パウロは、自分はモーセ律法を愛し、重んじていると自負していましたが、実際はそうではなかったのです。彼もその反逆者の一人である事を示したのは、キリストを信じるキリスト者を迫害した事です。その彼に、復活のキリストが出会って下さってやっとキリストを信じて救われたのです。
5、モーセ律法はキリストへ導く養育係
その後、パウロはエルサレムの使徒ペテロ達と会うまで3年間1人で過ごしました(ガラテヤ1:18)。その間、恐らくモーセ律法を学び直し、聖霊によってモーセ律法はキリストへ導く養育係だと諭されたのだと思います。 ◆「ガラ 3:24 こうして、律法は私たちをキリストへ導くための私たちの養育係となりました。私たちが信仰によって義と認められるためなのです。 3:25 しかし、信仰が現れた以上、私たちはもはや養育係の下にはいません」。 パウロは、キリストが十字架でイスラエルと人類の贖罪の御業をなされた時に、キリストに導く養育係のモーセ律法は終わり、今は、安息日の戒めを除いた他の十戒の道徳律法をキリストの律法として改めて神が与えられた事を聖霊によって諭されました。新約の恵みの時代である現代は、モーセ律法613か条の祭儀律法も、生活律法も、道徳律法も、安息日律法も、10分の1の捧げものの律法も終わり、キリストの律法に生きる時代となっています。
【終わりに】
パウロは、かつての自分の様に、モーセ律法がキリストへ導くための養育係だという事に関して霊的盲目状態にある同胞イスラエルの救いの為に断腸の思いで祈りました。私達もパウロの祈りに心を合わせ、モーセ律法が与えれたのは、キリストに導かれる為であった事をイスラエルの人々が聖霊によって諭されるように祈りましょう。
このメッセージをお読みになっている方々が、モーセ律法がキリストへ導く為の養育係だと神さまによって諭されて、キリストを信じて永遠の滅びから永遠の命へ導かれ救われますようにお祈りしています。