岡山英雄牧師著
「小羊の王国」の問題点1」
(黙示録7章のイスラエル12部族の14万4千人の解釈について)

 

【はじめに】

岡山英雄牧師の著書「小羊の王国」(2018年改訂版いのちのことば社発行)において教えられている黙示録の解釈に基づく「終末論」は、理解を助けるために図式や表を駆使して挿入し、使徒信条やニケヤ信条をはじめ、又、多くの聖書の言葉を引用され、独自の神学的見解として纏めておられます。しかし、黙示録の新天新地の理解や、その新天新地に至るまでの、終末的世界観は聖書の本来の教えとは全く異なっているのです。その問題点を聖書によって一つ一つチェックしていきますが、問題点の分かりやすい項目を一つ一つ取り上げて論じて行きたいと思います。浅学な者が、学識の深い岡山英雄先生の著書「小羊の王国」を批判する僭越さをご容赦下さい。

最初に黙示録7章に啓示されているイスラエル14万4千人を「神の民の全体(教会)」だと解釈されている問題をを論じたいと思います。

 Ⅰ 黙示録7章の14万4千人をイスラエル民族でなく「神の民全体(教会)」だと解釈する理由
 「黙7:4 それから私が、印を押された人々の数を聞くと、イスラエルの子孫のあらゆる部族の者が印を押されていて、十四万四千人であった。 7:5 ユダの部族で印を押された者が一万二千人、ルベンの部族で一万二千人、ガドの部族で一万二千人、 7:6 アセルの部族で一万二千人、ナフタリの部族で一万二千人、マナセの部族で一万二千人、7:7 シメオンの部族で一万二千人、レビの部族で一万二千人、イッサカルの部族で一万二千人、 7:8 ゼブルンの部族で一万二千人、ヨセフの部族で一万二千人、ベニヤミンの部族で一万二千人、印を押された者がいた。」

岡山英雄牧師の「小羊の王国」の中で、以上の黙示録7章に教えられているイスラエル12部族の「14万4千人」について、以下の様に解釈されています。

「この十四万四千人の『イスラエル』は何を意味するのだろうか。これを文字通りの十二部族として終末時代に残されている『イスラエル民族』であることはできない。なぜなら、この十二部族のリストは、旧約聖書のどのリストとも異なる、きわめて異例なものである」(小羊の王国P231)

以上の様に岡山英雄牧師が、黙示録7章のイスラエル12部族14万4千人を文字通り字義通りにイスラエルだと解釈せず、神の民全体(ユダヤ人と異邦人のキリストを信じる者全体)を意味していると象徴的解釈されている理由はただ一つ、それは黙示録7章のイスラエル12部族の列記(リスト)が旧約聖書にはない異例なものだという事です。その理由付けが正しいのか間違っているのかを検証をしていきたいと思います。先ず旧約聖書と新約聖書において、イスラエル12部族がどのように列記(リスト)されているのか、その列記の仕方を学びたいと思いま

Ⅱイスラエル12部族の列記(リスト)順
1、ヤコブの子ども達の列記順(創世記49:1~28)
「創世記49:28これらすべてはイスラエルの部族で、十二であった」
①ルベン ②シメオン ③レビ ④ユダ ⑤ゼブルン ⑥イッサカル ⑦ダン ⑧ガド ⑨アシェル⑩ナフタリ ⑪ヨセフ ⑫ベニヤミン イスラエルの12部族は、ヤコブが生んだ12人の子ども達がその先祖です。創世記では生まれた順番で列記されています。
2、出エジプト記のヤコブの子どもたちの列記順
「出1:2 ルベン、シメオン、レビ、ユダ。 1:3 イッサカル、ゼブルンと、ベニヤミン。 1:4 ダンとナフタリ。ガドとアシェル。‥1:5ヨセフ」出エジプト記1章においてのヤコブの子どもたちの列記順は、創世記49章とは異なり、生まれた順になっていません。
3、申命記27章の12部族列記の順番(27:11~13)
申命記27章のイスラエル12部族列記の順番が創世記と出エジプト記のヤコブの子どもたちの順番と異なっています。その理由は教えられていません。
①シメオン ②レビ ③ユダ ④イッサカル ⑤ヨセフ ⑥ベニヤミン ⑦ルベン ⑧ガド ⑨アシェル ⑩ゼブルン ⑪ダン ⑫ナフタリ
4、申命記33章の12部族列記の順番(33:1~29)
申命記33章のイスラエル12部族の列記の順番は創世記49章とも申命記27章とも異なっています。
①ルベン ②ユダ ③レビ ④ベニヤミン ⑤⑥ヨセフ(エフライムとマナセ) ⑦ゼブルン ⑧イッサカル ⑨ガド ⑩ダン ⑪ナフタリ ⑫アセル
ここでの12部族の列記の特徴は、シメオン部族が省かれて、ヨセフ部族を半部族の「エフライムとマナセ」の両部族をそれぞれ一部族として列記されている事です。
※参照:「ヨシ 14:4 ヨセフの子孫が、マナセとエフライムの二部族になっていたからである。」

※ヨセフの子孫マナセが半部族だと教えられている箇所
◆「民 32:33 そこでモーセは、ガド族と、ルベン族と、ヨセフの子マナセの半部族とに、エモリ人の王シホンの王国と、バシャンの王オグの王国、すなわちその町々のある国と、周辺の地の町々のある領土とを与えた」。(その他:民 34:13、14 、15、申 3:13、29:8、ヨシュア 1:12 4:12、13:7、8、29 、14:2、14:3、18:7、21:5、6、25、27、 22:1、7、9、10、11、13、15、21、Ⅰ歴代 5:18、23 、26 、6:61、70、71、12:31、37、26:32、27:20、21 )

※jバイブルで調べた結果、エフライムが半部族と呼ばれている聖書箇所はありませんでしたが、兄弟のマナセ部族が多くの箇所で半部族と呼ばれているので、当然エフライムも半部族です。しかし、エフライム部族もマナセ部族もそれぞれ一つの部族として申命記33章ではカウントされています

5、民数記1章の12部族列記の順番
①ルベン ②シメオン ③ユダ ④イッサカル ⑤ゼブルン ⑥エフライム ⑦マナセ ⑧ベニヤミン ⑨ダン ⑩アシェル ⑪ガド
⑫ナフタリ
以上は、エジプトを出たイスラエルの人口調査担当者を選ぶ際のイスラエル12部族列記の順番ですが、創世記49章とも申命記27章、33章とも異なっています。
「民1:6 ルベンからはシェデウルの子エリツル。1:6 シメオンからはツリシャダイの子シェルミエル。 1:7 ユダからはアミナダブの子ナフション。 1:8 イッサカルからはツアルの子ネタヌエル。 1:9 ゼブルンからはヘロンの子エリアブ。 1:10 ヨセフの子のうちからは、エフライムからアミフデの子エリシャマ、マナセからペダツルの子ガムリエル。 1:11 ベニヤミンからはギデオニの子アビダン。 1:12 ダンからはアミシャダイの子アヒエゼル。 1:13 アシェルからはオクランの子パグイエル。 1:14 ガドからはデウエルの子エルヤサフ。 1:15 ナフタリからはエナンの子アヒラ。・・1:44 以上がモーセとアロン、またイスラエルの族長たちが登録した登録名簿である。この族長たち十二人は、それぞれ、自分の父祖の家のための者であった。」

6、エジプトを出た時の実行調査の助手を選ぶ時のイスラエル12部族の列記(民1:5~15)
①ルベン ②シメオン ③ユダ ④イッサカル ⑤ゼブルン ⑥エフライム ⑦マナセ ⑧ベニヤミン ⑨ダン
⑩アシェル ⑪ガド ⑫ナフタリ
7、パランの荒野から約束の土地の偵察隊に選ばれた時のイスラエル12部族の列記(民13:4~15)
①ルベン ②シメオン ③ユダ④イッサカル ⑤エフライム ⑥ベニヤミン ⑦ゼブルン ⑧マナセ ⑨ダン
⑩アシェル ⑪ナフタリ ⑫ガド
8、半部族のマナセとエフライムが一部族として列記されている箇所
エゼキエル48章の相続地の分割を受けたイスラエル12部族
①ダン ②アシェル ③ナフタリ ④マナセ ⑤エフライム ⑥ルベン ⑦ユダ ⑧ベニヤミン ⑨シメオン ⑩イッサカル ⑪ゼブルン ⑫ガド
メシヤ的王国ではブラハム契約に基づく「約束の土地」の分割がイスラエル12部族で行われる事をエゼキエルは預言してますが、その時のイスラエル12部族の列記は、約束の土地の分割を北から南に向けて順番に受けた部族順に列記されています。その列記順は、創世記49章、申命記27章、申命記33章、民数記1章とも異なっています。
「エゼ48:2 ダンの地域に接して、東側から西側までがアシェルの分。 48:3 アシェルの地域に接して、東側から西側までがナフタリの分。 48:4 ナフタリの地域に接して、東側から西側までがマナセの分。 48:5 マナセの地域に接して、東側から西側までがエフライムの分。 48:6 エフライムの地域に接して、東側から西側までがルベンの分。 48:7 ルベンの地域に接して、東側から西側までがユダの分である。・・48:23 なお、残りの部族は、東側から西側までがベニヤミンの分。 48:24 ベニヤミンの地域に接して、東側から西側までがシメオンの分。 48:25 シメオンの地域に接して、東側から西側までがイッサカルの分。 48:26 イッサカルの地域に接して、東側から西側までがゼブルンの分。 48:27 ゼブルンの地域に接して、東側から西側までがガドの分。 48:28 ガドの地域に接して南側、その南の境界線はタマルからメリバテ・カデシュの水、さらに川に沿って大海に至る。

※以上のメシヤ的王国における土地の分割では、レビ族には相続の地の割り当てはないので、レビ族の名は省かれ、半部族のマナセとエフライムがそれぞれ一部族の扱いを受けて12部族の一つの部族として列記されています。

9、黙示録7章のイスラエル十四万四千人の部族の列記順
「黙 7:4 それから私が、印を押された人々の数を聞くと、イスラエルの子孫のあらゆる部族の者が印を押されていて、十四万四千人であった。 7:5 ユダの部族で印を押された者が一万二千人、ルベンの部族で一万二千人、ガドの部族で一万二千人、 7:6 アセルの部族で一万二千人、ナフタリの部族で一万二千人、マナセの部族で一万二千人、

 7:7 シメオンの部族で一万二千人、レビの部族で一万二千人、イッサカルの部族で一万二千人、 7:8 ゼブルンの部族で一万二千人、ヨセフの部族で一万二千人、ベニヤミンの部族で一万二千人、印を押された者がいた。」

※以上黙示録7章のイスラエル12部族の列記順は、旧約聖書のいずれの列記順とも異なっています。又、ダン部族が省略され、申命記33章ではシメオン部族が省略されていますが、いずれも、列記の順番やある部族の省略の理由を説明されてません。分かる事は、ヨスフの子孫であるマナセ部族とエフライム部族を一部族としてカウントするとイスラエルは13部族になりますので、一つの部族を省略して12部族で纏める為であるという事です。聖書は、イスラエルが12部族だとすることに固執していますので、ある部族を省略して12部族として列記する事を慣習としています。申命記ではシメオン部族が省略され、エゼキエルではレビ部族が省略され、黙示録ではダン族が省略されています。エゼキエルではレビ族には割り当て地が無いので、その理由は明らかですが、他の2ヶ所においては理由が明らかではありません。

10、聖書記者がイスラエルを12部族でまとめる事に固執している箇所
聖書は、大祭司のエポデには12部族を現す宝石がはめられたり、イスラエル全部族のものとして12の献げ物が献げられたり、記念として12の石を立てたりして、聖書はイスラエル部族を常に12部族でまとめる事に固執しています。以下の通りです。

◆「出  24:4 それで、モーセは【主】のことばを、ことごとく書きしるした。そうしてモーセは、翌朝早く、山のふもとに祭壇を築き、またイスラエルの十二部族にしたがって十二の石の柱を立てた。」
◆「出  28:21 この宝石はイスラエルの子らの名によるもので、彼らの名にしたがい十二個でなければならない。十二部族のために、その印の彫り物が一つの名につき一つずつ、なければならない。」(39:14)
◆「出  39:14 これらの宝石は、イスラエルの子らの名によるもので、彼らの名にしたがい、十二個で、十二の部族のために印の彫り物が、一つの名につき一つずつあった。」
◆「レビ 24:5 あなたは小麦粉を取り、それで輪型のパン十二個を焼く。一つの輪型のパンは十分の二エパである。」
◆民 7:84 以上が祭壇に油がそそがれる日の、イスラエルの族長たちからの祭壇奉献のささげ物であった。すなわち銀の皿十二、銀の鉢十二、金のひしゃく十二。
◆「民 7:86 香を満たした十二の金のひしゃくは、聖所のシェケルでそれぞれ十シェケル。ひしゃくの金は、合わせて百二十シェケル。」
◆民 17:2 「イスラエル人に告げて、彼らから、杖を、父の家ごとに一本ずつ、彼らの父祖の家のすべての族長から十二本の杖を、取れ。その杖におのおのの名を書きしるさなければならない。
◆民 17:6 モーセがイスラエル人にこのように告げたので、彼らの族長たちはみな、父祖の家ごとに、族長ひとりに一本ずつの杖、十二本を彼に渡した。アロンの杖も彼らの杖の中にあった。
◆申 1:23 私にとってこのことは良いと思われたので、私は各部族からひとりずつ、十二人をあなたがたの中から取った。
◆ヨシ 3:12 今、部族ごとにひとりずつ、イスラエルの部族の中から十二人を選び出しなさい。」
◆ヨシ 4:2 「民の中から十二人、部族ごとにひとりずつを選び出し、」
◆「ヨシ 4:3 彼らに命じて言え。『ヨルダン川の真ん中で、祭司たちの足が堅く立ったその所から十二の石を取り、それを持って来て、あなたがたが今夜泊まる宿営地にそれを据えよ。』」
◆「ヨシ 4:4 そこで、ヨシュアはイスラエルの人々の中から、部族ごとにひとりずつ、あらかじめ用意しておいた十二人の者を召し出した。」
◆「ヨシ 4:8 イスラエルの人々は、ヨシュアが命じたとおりにした。【主】がヨシュアに告げたとおり、イスラエルの子らの部族の数に合うように、ヨルダン川の真ん中から十二の石を取り、それを宿営地に運び、そこに据えた。」
◆「ヨシ 4:9 ──ヨシュアはヨルダン川の真ん中で、契約の箱をかつぐ祭司たちの足の立っていた場所の下にあった十二の石を、立てたのである。それが今日までそこにある──」
◆「ヨシ 4:20 ヨシュアは、彼らがヨルダン川から取って来たあの十二の石をギルガルに立てて、」
◆「士 19:29 彼は自分の家に着くと、刀を取り、自分のそばめをつかんで、その死体を十二の部分に切り分けて、イスラエルの国中に送った。」
◆「Ⅰ列王 11:30 アヒヤは着ていた新しい外套をつかみ、それを十二切れに引き裂き、・・」

11、聖書記者がイスラエル12部族列記に固執する理由
ではなぜ、聖書はイスラエル民族を12部族で纏める事に固執しているのでしょうか。それは12を神の完全数としている事にあります。聖書記者は、全ての数字に象徴的意味を持たせているのではありませんが、ある数を神の完全数として使用しています。しかし、数については、聖書のその文脈や聖書全体においてどのように取り扱われているかによって判断しなければなりません。字義通り文字通りに受け止めるべき数字が圧倒的に多く、象徴的な意味合いを持たせているのは限られている事に心を止めていただきたいと思います。

最初に旧約聖書において「7」が完全数として使用されているカ所を列記します。

①「7」の旧約聖書の使用
神が創造の6日の後に休まれた7日に因んで旧約聖書記者は7を完全数と使用しています。

1)1週間を7日間とする。(創世記2:2、3、出エ20:8~11)
2)ノアの箱船に清い動物の7つがい乗った(創7:2)。
3)ノアが7日間待って鳩を放った(創 8:10)。
4)アブラハムがアビメレクとの和解の為に7匹の雌小羊を贈った(創
5)ヤコブは7年ラケルをめとる為にラバンに仕えた(創 29:20 )。
6)ヤコブは7回兄エソウに地に伏してたおじぎした(創 33:3)
7)ヨセフが見た夢に出てくる牛がそれぞれ7頭や麦の穂がそれぞれ7つ、豊作と飢饉の年数がそれぞれ7年とされている(創41:25~30)。8)過越し祭の除酵祭7日間7日目は聖会(主の祭り)とする。(出エ13:6 ~8)
9)シナイ山に上ったモーセに7日目に主が雲の中より語られた(出」24:16)
10)幕屋の聖所に使うともしび皿は7つ(出 25:37)
11)アロンの後継者の祭司は任職祭でアロンの祭服を7日間着用する(出 29:30)。
12)アロンの子らの祭司の任職祭は7日間である。(出29:35)
13)任職祭の7日間で祭壇で贖罪の儀式を行えば、祭壇を神聖なものとなる(出29:37)
14)ヘブル人の奴隷は7年目には自由の身として無償で去ることができる。(出 21:2)
15)エリコの城をヨシュアたちが陥落させたとき、7人の祭司たちが、7つの雄羊の角笛を持って、箱の前を行き、7日目には、7度町を回り、祭司たちは角笛を吹き鳴らした。(ヨシュア6:1~21)
16)罪の為にイスラエルは7年間ミデェアン人に支配された。(士 6:1)
17)サムエルは全焼ののいけにえと和解のいけにえをギルガルで献げるので、サウロ王にそこで7日間待つことを命じました。(Ⅰサム 10:8)
18)イスラエルのヤベシュの長老たちは、町を包囲したアンモン人のナハシュに7日間の猶予を求めた。(Ⅰサム 11:3 )
19)ペリシテ人との戦いで死んだサウル王を火葬したヤベシュの住民は、その骨を葬った後7日間断食をした (Ⅰサム31:13)
20)ヨブに間違った事を語ったテマン人エリパズに、他の二人の友人と共にその罪が赦される為にヨブの所で全焼のいけにえとして、雄牛7頭、雄羊7頭をささげる事が命じられた。(ヨブ42:8)
21) 【主】のみことばは土の炉で七回もためされ、純化された銀の様に混じりけのないみことばだと喜ばれている。(詩 12:6)
22)義による神の裁きを覚えて、詩篇の作者は日に7度神をほめたたえている。(詩 119:164)
23)知恵は自分の家を建て、七つの柱を据えたとされている(箴 9:1)
24) 正しい者は七たび倒れても、また起き上がるとされている。(箴 24:16)
25)メシヤ的王国では、祭壇奉献の為に、7日間贖罪のいけにえとしえ雄山羊と傷のない若い雄牛と傷のない雄羊とをささげなければならない事が教えられている(43:25、26)
26)メシヤ的王国において、祭司が身内の死人によって身を汚しときは、身をきよめた後、7日間待って、再び聖所に入って務めが出来る。(エゼキエ44:26)
27)メシヤ的王国でも過越し祭(除酵祭)は7日間である。(エゼ45:21)
28)メシヤ的王国の過越し祭の時に、7日間、全焼のいけにえとしてて傷のない7頭の雄牛と7頭の雄羊を、7日間、毎日、【主】にささげなければならない。(エゼ45:23)
29)メシヤ的王国では、 第7の月の15日の祭りにも、7日間、過越し祭の時の同じようにささげなければならない。(エゼ45:25)
30)バビロンのネブカデネザルが神によって獣の心で生きる期間が7つの時とされている。(ダニ4:16、23)
31)エルサレム再建命令が出てから、君主が来るまでが7週と定められている(ダニ9:25)
32)主の使いが大祭司ヨシュアの前に7つの目のある石を置いた。(ゼカヤ3:9)
33)預言者ゼカリヤは、幻の内に「上部の鉢に7つの管が繋がった7つのともしび皿ある金の燭台」を見た。(ゼカ4:2)
34)全知を行き巡る主の目が7つで表現されている(ゼカ4:10)

以上が旧約聖書において使用されている完全数としての「7」ですが、その旧約聖書に倣って新約聖書、特に黙示録が「7」を完全数として多用しています。以下に新約聖書が「7」を完全数として使用している箇所を紹介したいと思います。

②新約聖書の「7」の使用

1)キリスト在世時代のユダヤでは、人を赦す為の回数は7度と教えられていた。(マタイ18:21~22)
2)ヨハネはアジアにある7つの教会へのメッセージを幻の内に聞かされた。(黙1:4、11)
3)ヨハネは父なる神と子なる神以外に7つの御霊からメッセージをアジアの7つの教会へのメッセージを受けた(黙1:4)、3:1)
4)ヨハネは7つの教会が7つの金の燭台、7つの星が7つの教会のみ使いとして示された(黙1:12、20、2:1、3:1)
5)ヨハネは天の御座の前に燃えている7つのともしびが7つの御霊だと示された(黙4:5)
6)ヨハネは神の右の手で持っておられる巻物が7つの封印で封じらている事を見た(黙5:1、5、6:1、8:1)。
7)ヨハネは天の御座に立っておられる、屠られたと見える小羊に7つの角と7つの目があるのを見たが、その7つの目は全世界に遣わされた7つの御霊だと教えられている(黙5:6)
8)ヨハネは7つのラッパを与えられた神の前に立つ7人のみ使いを見た(黙8:2、6)。
9)ヨハネは、頭上に虹があり、顔が太陽のであり、その足が火の柱の様であるみ使いが叫んだ時に7の雷が各々声を出した幻を見た(黙10:3、4)。
10)ヨハネは7人のみ使いが7つの災害を携えている幻を見た。(黙15:1、6)
11)ヨハネは、御座で神を礼拝している4つの生き物が、神の怒りに満ちた7つの鉢を7人のみ使いに渡すのを見た(黙15:7)
12)ヨハネは7つの鉢は7つの災害だと示された(黙15:8、16:1~21、21:9)

③「7」に関連する完全数
 以上の様に、黙示録では旧約聖書に倣って「7」を神の完全数として使用していますが。旧約聖書、新約聖書で使用されている「7」という完全数に基づいて、7の10倍の70や7の70倍の「490」、「7」の倍数「14」も完全数とされています。

1)70人の最初にエジプトの寄留した時のヤコブの子孫の70
 最所に、使徒行伝ではヤコブの子孫がエジプトに寄留した時の子孫を75人としていますが、創世記、出エジプト記、申命記は「70人」としている。それも、70を完全数にして、ヤコブの歴史を完全に導かれている神を強調したものだと思われます。

「そこで、ヨセフは人をやって、父ヤコブと七十五人の全親族を呼び寄せました。」(使 7:14)
「あなたの先祖たちは七十人でエジプトへ下ったが、今や、あなたの神、【主】は、あなたを空の星のように多くされた」(申 10:22、出エ1:5、創46:27)
2)70人のイスラエルの長老の70
「主は、モーセに仰せられた。「あなたとアロン、ナダブとアビフ、それにイスラエルの長老七十人は、【主】のところに上り、遠く離れて伏し拝め」(出  24:1、9、民11:16、25、エゼ8:11)
3) イスラエルの70年のバビロン捕囚の70
  預言者エレミヤは、イスラエルのバビロンでの捕囚期間が70年だと示されました。
「この国は全部、廃墟となって荒れ果て、これらの国々はバビロンの王に七十年仕える。」(エレ 25:11、12、29:10、ダニ9:2)ゼカ1:12、7:5)
4)ダニエルが見た70週の幻の70
 ダニエルはイスラエルの民とエルサレム対する終末における神の歴史の完全な支配を「70週」で示されました。
「あなたの民とあなたの聖なる都については、七十週が定められている。それは、そむきをやめさせ、罪を終わらせ、咎を贖い、永遠の義をもたらし、幻と預言とを確証し、至聖所に油をそそぐためである。(ダニ 9:24)
5)キリストが選んだ70人の宣教者の70
キリストは宣教の為に12弟子以外に、70人を選んで遣わされています。
「その後、主は、別に七十人を定め、ご自分が行くつもりのすべての町や村へ、ふたりずつ先にお遣わしになった。」(ルカ 10:1、10:17)
6) 7度を70倍せよというキリストの赦しの教え
 キリストはペテロの赦しに関する質問に「7度を70倍するまで赦しなさい」と7と70という完全数を使って教えられました。
「イエスは言われた。「七度まで、などとはわたしは言いません。七度を七十倍するまでと言います」(マタ 18:22)
7)マタイによる福音書のキリストの系図14代の14
 マタイによる福音書では、キリストの系図を14代で纏めていますが、実際の系図では14代以上あります。マタイは完全数「7」の倍である「14」の14代で纏める事で、メシヤをこの世界に送るための神の完全な歴史支配を教えようとしました。

「それで、アブラハムからダビデまでの代が全部で十四代、ダビデからバビロン移住までが十四代、バビロン移住からキリストまでが十四代になる。」(マタ 1:17)

④ 40日40夜と400年
40日40夜とか400年も、神の完全数として扱われています。ノアの大洪水の時に降った雨が「40日40夜」、モーセやキリストが断食した日数が「40日40夜」、イスラエルの人々が荒野を放浪した期間が「40年」、イスラエルの人々がエジプトに奴隷として仕えた期間が400年であったとかという事で完全数にされています。イスラエルがエジプトに在留していた期間は実際は430年でしたが、それが完全数の「400年」で教えられています。

1)ノアの大洪水の時に降った雨の日数が40日40夜
「それは、あと七日たつと、わたしは、地の上に四十日四十夜、雨を降らせ、わたしが造ったすべての生き物を地の面から消し去るからである。」(創  7:4、12)
2)モーセが二度目にシナイ山に登った時の日数が40日40夜
「モーセは雲の中に入って行き、山に登った。そして、モーセは四十日四十夜、山にいた。」(出  24:18)
3)モーセやキリストが断食した日数が40日40夜(40日間)
「モーセはそこに、四十日四十夜、【主】とともにいた。彼はパンも食べず、水も飲まなかった。そして、彼は石の板に契約のことば、十のことばを書きしるした。」(出  34:21,申9:9、11,18、25、10:10)
「そして、四十日四十夜断食したあとで、空腹を覚えられた。」(マタ 4:2、ルカ4:2)

4)荒野イスラエルが約束の地の偵察期間が40日
「民13:25 四十日がたって、彼らはその地の偵察から帰って来た。」
「民 14:34 おまえたちが、あの地を偵察した日数は四十日であった。・・」
5)キリストが御復活をされてから、活動された期間が40日間
「使1:3イエスは苦しみを受けた後、四十日の間、彼らに現れて、神の国のことを語り、数多くの確かな証拠をもって、ご自分が生きていることを使徒たちに示された。」
6)イスラエルがエジプトで苦しんだ期間を400年としている
 イスラエルがエジプトに寄留していた期間は430年であるが、400年で纏めているのは、400を神の支配の完全を表わす完全数としている事によるものと思います。
「イスラエル人がエジプトに滞在していた期間は四百三十年であった。」(出  12:40、41)
「そこで、アブラムに仰せがあった。「あなたはこの事をよく知っていなさい。あなたの子孫は、自分たちのものでない国で寄留者となり、彼らは奴隷とされ、四百年の間、苦しめられよう。」(創  15:13、使 7:6)

⑤12
聖書において12という数字が完全数としてどのように使用されているかは既に列記しましたが、1年が12ヶ月であったり、イスラエルを12部族でまとめたり、キリストの弟子が12人であったり、黙示録の新天新地に降りてくて来る新しいエルサレムの城壁の門にはイスラエル12部族の中が刻印された12の門があったり、12人のキリストの使徒たちの名が刻印された12の城壁の土台石があったりしていますが、それは12も聖書記者は神の完全数として使っている事を教えています。

⑥千は神の完全数ではない
岡山英雄牧師も黙示録に使用されている完全数に言及され、「14万4千人を12×12×千で、具体的な人数と言うよりはむしろ象徴的に神の民全体を示している」と解釈されていますが、それは聖書のどこにも教えられていないものです。岡山英雄牧師は聖書の完全数として教えられている12に12をかけて最後になぜ千をかけたのでしょうか。それはおそらく黙示録20章に6回記されている千年王国の千を文字通り字義通りに解釈しない結果、考え出されたものではないかと思われます。「千」を完全数として教えている聖書箇所はないのです。「千」は「万」と並列して多さを象徴的に表わす為、或いは、少ない事の象徴として聖書は使用しています。

◆「Ⅰサム 18:7 女たちは、笑いながら歌い交わした。「サウルは千を討ち、ダビデは万を討った。」(他Ⅰサム21:11、29:5)
◆「黙 5:11 また私は見た。私は、御座と生き物と長老たちとの回りに、多くの御使いたちの声を聞いた。その数は万の幾万倍、千の幾千倍であった」。詩篇も「千」を多さを象徴的に表わす言葉として使用しています。
◆「詩  50:10 林のすべての獣91:7はわたしのもの、丘の上の千々の家畜もわたしのもので」(他参照/詩68:17、84:10、91:7、119:7)。
ペテロ書や詩篇では神のこの世界の時間の捉え方を表わす為事を意味して「千」を使用しています。
◆「Ⅱペテ 3:8 しかし、愛する人たち。あなたがたは、この一事を見落としてはいけません。すなわち、主の御前では、一日は千年のようであり、千年は一日のようです」。
◆「詩  90:4 あなたの目の前には千年も/過ぎ去ればきのうのごとく、夜の間のひと時のようです。」

以上の様に「千」完全数としてではなく「多さを象徴的に表わす数」として使用されている事が分かります。その様に理解できるよう「千の幾千倍」「千年のように」「千々」と表現されています。その表現方法は実際の「千」とは区別する為の表現方法です。黙示録20章の千年王国の「千」は「長さ」を象徴的に表現する仕方でなく「実際」の「千」を意味する表現方法で使用されています。

黙示録7章の14万4千人を黙示録が教えるように、イスラエル12部族(12は完全数)の一つの部族から12000人(完全数)完全数が選ばれ、12×12000=14万4千人で、神のアブラハム契約に基づく完全なご計画が示されているのです。  それは、旧約聖書において、12000人がイスラエルの兵士として選ばれている事と関係している事にあります。旧約聖書では12000も完全数として使用され、イスラエルの戦いの為の兵士が意図的に12000人選ばれている事を以下の聖句が教えています。

◆「民 31:5 それで、イスラエルの分団から部族ごとに千人が割り当てられ、一万二千人がいくさのために武装された」
◆「士 21:10 会衆は、一万二千人の勇士をそこに送り、彼らに命じて言った。・・」
◆「Ⅱサム 17:1 アヒトフェルはさらにアブシャロムに言った。「私に一万二千人を選ばせてください。・・」
◆「Ⅰ列王 4:26 ソロモンは戦車用の馬のための馬屋四万、騎兵一万二千を持っていた。」
◆「Ⅰ列王 10:26 ソロモンは戦車と騎兵を集めたが、戦車一千四百台、騎兵一万二千人が彼のもとに集まった。」
◆「Ⅱ歴代 1:14 ソロモンは戦車と騎兵を集めたが、戦車一千四百台と、騎兵一万二千人が彼のもとに集まった。
◆「Ⅱ歴代 9:25 ソロモンは四千の馬屋と戦車、および騎兵一万二千を持っていた。

以上の様に古代のイスラエルでは、兵士を完全数の12000人を選ぶ事が習慣化されていました。イスラエル人々は兵士の数が12000人という事を神の完全数として理解していたのです。黙示録7章は肉の戦いの為でなく、終末時代においてより次元の高い霊的戦い(悪魔や悪霊との戦い)である福音宣教の為に、古代のイスラエルの兵士が12000人選ばれていた事と関連して、イスラエル12部族の一つの部族から完全数の12000人が選ばれ、合計14万4千人を神は今後の終末の時代に選ばれていくのです。黙示録において完全数として使用されている数は、全て旧約聖書に基づいて使用されている事からその様に解釈する事が出来ます。

Ⅲ、岡山英雄牧師の解釈の間違いの理由
1、「旧約聖書にはない列記(リスト)が極めて異例」という理由付けが間違っている
前述していますが、岡山英雄牧師は、黙示録7章のイスラエル12部族の列記(リスト)の仕方が旧約聖書にはないきわめて異例な事だという事を理由に象徴的解釈をされています。岡山牧師のそのような見解はまるで、旧約聖書の列記(リスト)の方法が統一しているかのような印象を与えていますが、既に説明しましたように旧約聖書におけるイスラエル12部族の列記(リスト)の仕方はどれ一つとして同じ列記(リスト)の仕方はないのです。それぞれが特異性をもって列記されているのです。その事実は、黙示録の7章の12部族の列記(リスト)が極めて異例だから、字義通り文字通りのイスラエル12部族ではないという理由付けにならない事を教えています。また、同時にイスラエル12部族の14万4千人を象徴的に解釈する事は間違っている事を教えています。繰り返しますが申命記33章のイスラエル12部族の列記ではシメオン部族が省かれ、黙示録7章のイスラエル12部族では、ダン部族がなぜか省かれています。それは、聖書記者が一つの部族を省いて完全数のイスラエル12部族で列記(リスト)する事に固執している事によります。黙示録の著者であるヨハネもユダヤ人として旧約聖書に基づいてイスラル12部族に固執して12部族で列記(リスト)する為に「ダン部族」を省くように導かれたに過ぎないのです。何故ダン部族が省かれたかについて黙示録は沈黙していますので、私達も沈黙しておくべきです。

2、イスラエル14万4千人が童貞である事をどう説明するのか
イスラエル12部族14万4千人が、実際にイスラエルの童貞の青年だと黙示録は教えています。
◆「黙14:1 また私は見た。見よ。小羊がシオンの山の上に立っていた。また小羊とともに十四万四千人の人たちがいて、その額には小羊の名と、小羊の父の名とがしるしてあった。 14:2 私は天からの声を聞いた。大水の音のようで、また、激しい雷鳴のようであった。また、私の聞いたその声は、立琴をひく人々が立琴をかき鳴らしている音のようでもあった。 14:3 彼らは、御座の前と、四つの生き物および長老たちの前とで、新しい歌を歌った。しかし地上から贖われた十四万四千人のほかには、だれもこの歌を学ぶことができなかった。 14:4 彼らは女によって汚されたことのない人々である。彼らは童貞なのである。彼らは、小羊が行く所には、どこにでもついて行く。彼らは、神および小羊にささげられる初穂として、人々の中から贖われたのである。」
黙示録がイスラエル12部族から選ばれた14万4千人が、「童貞」だとはっきりと教えている事から、岡山英雄牧師の「神の民全体を意味する」という象徴的解釈は間違っている事を明白です。神の民全体の中には女性も多くおられるからです。もし、男性を表す「童貞」という言葉、男女の区別なく「神の民全体」だという理解は、文法や文脈を無視した無茶苦茶の理解だとしか言いようがありません。聖書のどこにも、そのような解釈を支持する箇所はありません。童貞はどのように考えても「男性だけ」を意味する言葉です。14万4千人の童貞の青年を「神の民全体」(男女混合の新しいイスラエルであるキリストの花嫁なる教会)を意味しているという象徴的解釈をあり得ないのです。岡山英雄牧師と同様に、イスラエル「14万4千人」をキリストの花嫁なる教会だと象徴的に無茶の解釈する牧師や神学者の中にいますので、その一部を以下に紹介しておきます。
◆「この群れは、未婚の男子のみの数とする事は出来ない。そこで、4節を象徴的に解釈しキリストの花嫁である男女の霊的純潔さを示すと考えるのが最も良い」(キリスト者学生会出版局発行注解書、監修:舟木順一、1953年英国I・V・Fより刊行された「新聖書註解書」の翻訳/P1216)
◆「旧約聖書では、偶像崇拝はしばしば霊的姦淫として描かれた(ホセア書)。彼らが「童貞なのである」というのは、象徴的に理解するのが一番良く、異教の世界に関わっていないという事である。」
(いのちのことば社発行、BIBLEnabi/P2162)
以上の様に神学者や牧師方の中で、イスラエル14万4千人の「童貞」の青年をキリストの花嫁なる教会だと象徴的に解釈する有力な神学的根拠を二つあげています。一つは、パウロが、キリスト者の男女を合わせて、霊的にキリストの花嫁なる教会として教えている事です。
◆「Ⅱコリ 11:2 私は神の熱心をもって、あなたがたのことを熱心に思っています。私はあなたがたを清純な処女として、一人の夫キリストに献げるために婚約させたのですから。」
もう一つは、昔、イスラエルの人々の偶像崇拝の罪が霊的姦淫として預言者たちが厳しく断罪してきた事実です。
◆「ホセ 1:2 【主】がホセアに語られたことのはじめ。【主】はホセアに言われた。「行って、姦淫の女と姦淫の子らを引き取れ。この国は【主】に背を向け、淫行にふけっているからだ。」(他/: エレ 13:27)

以上の二つの神学的根拠による「童貞」をキリストの花嫁なる教会と解釈する事が、聖書的の様に思えますが、聖書の教えとは全く異なるのです。それは、聖書は童貞は男性、花嫁なる教会は男女混合の霊的女性として扱っているからです。 パウロが、教会をキリストの花嫁なる教会と教えている事から、「童貞」を男女の区別なく偶像崇拝から離れて霊的純潔を保っている「キリストの花嫁なる教会」だと象徴的に解釈する事の問題点は、童貞は「青年男性」を意味していることばですので、それを、「霊的女性」を意味する「キリストの花嫁なる教会」に重ねて象徴的に解釈する事は明らかに間違っているのです。もし、イスラエル14万4千人を、男を知らない純潔な「処女」だと啓示されていれば、それこそ、14万4千人は「キリストの花嫁なる会」を象徴しているという解釈も成立するでしょう。しかし、イスラエル14万4千人を黙示録の著者が「男を知らない処女」と言わず「女によって汚れていない童貞」だと教えている事は、イスラエル14万4千人を「キリストの花嫁なる教会」だと、象徴的に解釈させないための神の知恵を教えているのです。

又、旧約の預言者たちがイスラエルの偶像崇拝を「霊的姦淫」だと教えたのは、イスラエルは神様にとって「霊的な妻」であったからです。姦淫とは「夫」或いは「妻」のある身でありながら、他の男性や他の女性と性的関係を持つ事です。黙示録14章のイスラエル14万4千人の「童貞」の青年は、「夫のある女性と関係持っていない」という事でなく、純粋に女性による汚れから身を守った「童貞」だと教えられているのです。なのに、旧約聖書の神の霊的妻の立場(霊的女性の立場)にあるイスラエルが偶像 (霊的他の男性や夫を象徴する)との霊的姦淫の罪の教えをもって、黙示録14章のイスラエル14万4千人の「童貞」の青年を霊的姦淫である「偶像崇拝」から離れて純潔を保っているキリストの花嫁なる教会だと象徴的に解釈するのは間違っているのは明らかです。キリストの花嫁なる教会は「キリスト」を夫として与えられている身ですので、偶像崇拝と言う「霊的姦淫罪」(貪欲は偶像崇拝である)を今日も犯す可能性は十分あります。長いキリスト教の歴史の中で、花嫁なるキリスト教会もどれだけ多くの霊的姦淫である「偶像崇拝の罪」を犯してきた事でしょう。キリスト者が霊的姦淫(貪欲になる)可能性は、「栄化」の恵みに与るまで続くのです。それ故に、イスラエル14万4千人の童貞の青年を偶像崇拝(貪欲に囚われない)「聖なる神の民全体」「聖なるキリストの花嫁なる教会全体」を指すと、象徴的に解釈する事は明らかに間違っているのです。

3、アブラハム契約
では、イスラエル14万4千人は誰を意味しているのでしょうか。それは字義通り文字通りに、間違いなく14万4千人のイスラエルの「童貞の青年」を意味しています。その聖書的根拠は、第1にイスラエルと結ばれた「アブラハム契約」にあります。アブラハム契約の条項の中には「イスラル民族を通して世界を祝福する」事が含まれています。終末の時代、イスラエル民族14万4千人がアブラハム契約に従って、異邦人世界の大リバイバルと言う祝福の為に用いられる事を、黙示録7章は教えているのです。その大リバイバルで救われ、殉教していった全世界の多くの異邦人聖徒の事が幻の内にヨハネは示されました。
◆「黙7:9 その後、私は見た。見よ。あらゆる国民、部族、民族、国語のうちから、だれにも数えきれぬほどの大ぜいの群衆が、白い衣を着、しゅろの枝を手に持って、御座と小羊との前に立っていた。 7:10 彼らは、大声で叫んで言った。「救いは、御座にある私たちの神にあり、小羊にある。」 7:11 御使いたちはみな、御座と長老たちと四つの生き物との回りに立っていたが、彼らも御座の前にひれ伏し、神を拝して、 7:12 言った。「アーメン。賛美と栄光と知恵と感謝と誉れと力と勢いが、永遠に私たちの神にあるように。アーメン。」 7:13 長老のひとりが私に話しかけて、「白い衣を着ているこの人たちは、いったいだれですか。どこから来たのですか」と言った。 7:14 そこで、私は、「主よ。あなたこそ、ご存じです」と言った。すると、彼は私にこう言った。「彼らは、大きな患難から抜け出て来た者たちで、その衣を小羊の血で洗って、白くしたのです。 7:15 だから彼らは神の御座の前にいて、聖所で昼も夜も、神に仕えているのです。そして、御座に着いておられる方も、彼らの上に幕屋を張られるのです。 7:16 彼らはもはや、飢えることもなく、渇くこともなく、太陽もどんな炎熱も彼らを打つことはありません。 7:17 なぜなら、御座の正面におられる小羊が、彼らの牧者となり、いのちの水の泉に導いてくださるからです。また、神は彼らの目の涙をすっかりぬぐい取ってくださるのです。」
へブル書12章では、地上の旅路を終えて天に導かれた新約の聖徒の事を「長子の教会」と呼んでいます。又、旧約の聖徒の事を「全うされた義人の霊」と呼んでいます。(ヘブ12:23)。ヨハネが「あらゆる国民、部族、民族、国語のうちから、だれにも数えきれぬほどの大ぜいの群衆が、白い衣を着、しゅろの枝を手に持って、御座と小羊との前に立っていた」と幻の内に見た全世界の聖徒達は「花嫁なる教会」とは呼ばれず「大ぜいの群衆」と呼ばれています。それは、それらの群衆は教会時代が終わった後に救われた聖徒達だという事を意味しています。終末時代における教会時代がいつ終わったかという問題は、より複雑な課題ですので、後で論じたいと思います。

イスラエルを通して世界を祝福するというアブラハム契約が教えられている聖書個所は以下の通りです

①アブラハムとの契約
「創12:3 地上のすべての民族は、あなたによって祝福される」。「創 18:18 アブラハムは必ず大いなる強い国民となり、地のすべての国々は、彼によって祝福される。
「創 22:18 あなたの子孫によって、地のすべての国々は祝福を受けるようになる。あなたがわたしの声に聞き従ったからである。」

②イサクとの契約
「創 26:4 そしてわたしは、あなたの子孫を空の星のように増し加え、あなたの子孫に、これらの国々をみな与えよう。こうして地のすべての国々は、あなたの子孫によって祝福される。」

③ヤコブとの契約
「創 28:14 あなたの子孫は地のちりのように多くなり、あなたは、西、東、北、南へと広がり、地上のすべての民族は、あなたとあなたの子孫によって祝福される。」

4、イスラエルを通して世界は祝福されてきた
 以上の契約は、神がアブラハムとイサクとヤコブと結ばれた「アブラハム契約」によってイスラエル民族が世界を祝福する民族となるという事が明確に約束されています。その契約はこの地上が続く限り永遠の契約である事を旧約聖書と新約聖書が一貫して教えています。その、約束の一部が既に実現してきました。

①イスラエル民族を通して「救い主・キリスト」が誕生した。
キリストがイスラエル民族を管として、父なる神により世界の祝福の為にこの世界に送られてきた事に優る祝福はありません。
②約40人のイスラエルの人々を通して「聖書」が与えられた。
ルカによる福音書や使徒行伝の著者であるルカは「異邦人」と解釈されてきましたが、その根拠は「ルカ」という名前がユダヤ人の名前でなく「異邦人名」だからという事です。しかし、当時世界において、また現代もそうですが、多くのユダヤ人は異邦人名とヘブル名と両方を持っている事が多いのです。ルカが異邦人名だから「異邦人」だとは限らないのです。彼も「ヘブル人名」を持っているユダヤ人だと考える事が出来るのです。その様に考える事が出来る有力な聖書的根拠があります。それはパウロが、「神の言葉はユダヤ人に委ねられている」と教えている事です。「ロマ 3:1 では、ユダヤ人のすぐれたところは、いったい何ですか。割礼にどんな益があるのですか。 3:2 それは、あらゆる点から見て、大いにあります。第一に、彼らは神のいろいろなおことばをゆだねられています」と。パウロは神のことばが彼らに「委ねられていた」と過去形でなく「委ねられています」と現在形で教えている事です。それ故に、旧約聖書だけでなく、新約聖書もユダヤ人に啓示されたものだと言えるのです。
③ユダヤ人の約120名の弟子達により教会が誕生した
また、ペンテコステの日に花嫁なるキリスト教会が誕生し最初にスタートしたのも全て約120名のユダヤ人の弟子達からでした
④キリストの地上再臨は終末のユダヤ人の信仰によって実現する
この世界にキリストの地上再臨が実現するという祝福もユダヤ人の信仰にかかっているのです。ユダヤ人がメシヤを公式的に招く言葉「主の名によって来る者に祝福あれ」と叫ばなければ、キリストの地上再臨はないのです。キリストの地上再臨と言う祝福もユダヤ人を通して実現するというのがキリストの約束です(マタイ23:39)。その他、色々な祝福がイスラエルを通してこの世界に与えられてきました。
⑤現在も多くのユダヤ人が世界に多くの貢献をしている
現在人口が1300万人から1400万人というわずかなユダヤ人の中より2012年の時点で180人のユダヤ人がノーベル賞を受賞し、世界に貢献してきたと言われています。その一例に、1943年に結核を治す「ストレプトマイシン」を発見したのがアメリカの微生物学者セルマン・アブラハム・ワクスマンでした。彼はユダヤ人です。20世紀最大の頭脳と言われた物理学者のアインシュタインもユダヤ人です。日本の人口はイスラエルと比較して約8倍ですが、2012年の時点でノーベル賞の受賞者はその約10分の1の19人だと言われています。「実は知らなかったイスラル1」の著者である川端光生牧師(東京栄光キリスト教会)は、ユダヤ人が様々な分野で世界にどのように貢献したかを調べられた結果、「紀元70年、ローマに滅ぼされ国を失って以来、世界中で迫害に遭ってきましたが、彼らほど世界に貢献してきた民族はないと言っていいと思います」と断言されています。(「実は知らなかったイスラエル1」P14)。

⑥黙示録の新天新地に降りてくる都は、イスラエルの都エルサレムに因んで「新しいエルサレム」と呼ばれている
黙示録の新天新地では天から降りてくる新しいエルサレムの城壁の門にはイスラエル12部族名が永遠に刻まれています。又、その土台にはキリストの使徒達である12人のユダヤ人の名が永遠に刻まれています。それは、神がアブラハム契約に基づき、創造主の神が、世界はユダヤ人を通して祝福されて来たイスラエルの神である事を新天新地の住民が永遠に忘れない為です。イスラエルは世界に神の祝福をもたらす唯一の選びの民族ですので、終末において祝福の神を証する神の僕として、今後も大いに用いられるのです。「イザ43:10 あなたがたはわたしの証人、──【主】の御告げ──わたしが選んだわたしのしもべである。」

終末の時代における、神の証人であり、神の僕であるイスラエル12部族から選ばれた文字通り字義通りイスラエル民族の童貞の青年14万4千人によって、全世界に最大の祝福であるキリストの福音がパウロの如く熱心に宣教がなされ、異邦人世界に神の祝福として大リバイバルを神が起こされるという解釈は、アブラハム契約に基づくものです。岡山英雄牧師が、イスラエル14万4千人を色々と理由づけされて「神の民全体(教会)」だという象徴的解釈に陥ってしまったのは、イスラエル民族と結ばれたアブラハム契約を無視してきた結果によるのです。
もちろん、異邦人キリスト者も神の憐れみにより、信仰による義を与えられたアブラハムの霊的子孫として、アブラハム契約の「世界を祝福する」という条項の約束に限ってそのおこぼれに与っている事は間違いありません。しかし、だからと言って、異邦人キリスト者を黙示録7章のイスラエル12部族14万4千人の中に含める事は絶対に許されないのです。異邦人のキリスト者が世界を祝福するという使命は、ユダヤ人との比較では大変小さいものなのです。その事を忘れて、異邦人が傲慢にならないようにパウロは警告しています。「ロマ 11:20 そのとおりです。彼らは不信仰によって折られ、あなたは信仰によって立っています。高ぶらないで、かえって恐れなさい。」

【終わりに】
もし、神がアブラハム契約に基づいて、イスラエル民族を過去現在未来の世界、又、千年のメシヤ的王国の世界、更に新天新地の神の国においてに祝福を注ぐ為に他の諸民族とは区別されて特別に用いられないならば、神は「嘘つきの神」となります。黙示録の新天新地に降りてくる「新しいエルサレムの都」の中に異邦人諸国の神の民(諸民族)が入る時、イスラエル12民族名が刻印されている12の城壁の門を通って入るのです。それはイスラエル民族に祝福されながら「新しいエルサレムの都」に入る事を意味しているのではないでしょうか。

神が「アブラハム」「イサク」「ヤコブ」たちに、「あなたの子孫」というイスラエル民族と結ばれた契約は、イスラエル民族を通して実現しなければ神はアブラハムに、イサクに、ヤコブに嘘をついた「嘘つきの神」となります。

以上の、私の見解に何か問題があれば、是非御意見をお聞かせ頂ければ感謝です。以下のいずれかのメールアドレスをお使い下さればと思います。

naksk.yonago@gmail.com
katsunori.sato@yonago-revival.church