「福音とは何か」
マルコによる福音書16章15~16節
牧師:佐 藤 勝 徳
【はじめに】
キリストは、復活後に昇天される前に、非常に重要なメッセージを弟子達に与えられました。それは「全世界に出て行って、全て造られた者に福音をのべ伝えなさい」という、福音の大宣教命令です。では、教会がキリストの命令に従て宣教に心を燃やさなければならない、その「福音」とは何を意味しているのでしょうか。
1、永遠の罪の赦し
福音とは、イエス・キリストの十字架の死と復活に基づく「永遠の罪の赦し」です。では、なぜキリストの十字架の死と復活によらなければ人の罪は赦されないのでしょうか。
①人間の良心の機能と裁き主
人は良心の働きを通して、「罪」は裁かれるべきものだという事を知っています。では、その罪を裁くのは誰でしょうか。罪には、法律違反の罪と道徳的罪と性的罪と霊的罪があります。道徳的罪とは、妬みや憎しみや恨みなどの邪悪な思いの罪があります、また、悪口、陰口、罵倒、侮辱など、人の心を傷つける言葉の罪があります。性的罪は肉体的姦淫の罪と心の情欲による姦淫の罪があります。霊的罪は、創造主を信じない不信仰や偶像崇拝の罪や創造主に従わない不従順の罪があります。人は、創造主の愛によって創造主の僕として創造されたのですが、人は創造主に従う事を否定してきました。これらの、罪を裁く事が出来るのは、全知全能の罪なき聖なる創造主以外にありません。それは、人間の中で、法律違反を犯さない人はあっても、道徳的罪と性的罪と霊的罪を犯さない人は一人もいないからです。その事実は人に裁く資格がない事を教えています。
②人を裁くことが出来るのは全知全能の神のみ
人には人の目に隠れている心の邪悪な罪や言葉の罪、行いの罪を全部知る事は出来ないので、正しく裁くことが出来ません。その全部を知って正しく裁くことが出来るのは全知全能の創造主の神さま以外に存在しません。又、霊的罪も、全知全能の創造主の神は全てご存知ですので、その罪をも正しく裁くことが出来ます。パウロが、エペソ書で教えている通りに、全ての人は、不道徳の罪、性的罪、霊的罪を犯す罪の性質をもって生まれているので、生まれながらにして神の怒りを受けて永遠に滅ぶ運命を背負っているのです(エペソ2:3)。もし、人間が、生まれてから死ぬまで犯す、思いの罪、言葉の罪、行いの罪を創造主の神さまによって「赦されなければ」、必ず呪われて、死後はその霊が苦しみの陰府に落とされます(へブル9:27)。又、最後の審判ではその陰府に落とされた霊は肉体を着せられて永遠に苦しみ続ける闇と熱の火の池に永遠に閉じ込められてしまいます。(黙示録20:11~15)。
③創造主の神さまは人が赦される事を願っている
しかし、創造主の神さまは、全ての罪びとが裁かれてそのような苦しみの中に閉じ込められる事を決して願われません。むしろ、罪が永遠に赦されて苦しみや病や死のない永遠の神の御国へ導かれる事を深く、強く、熱く願っておられる慈しみ深いお方です。旧約聖書で預言者エゼキルは次のように教えています。 ◆「エゼ 33:11 彼らにこう言え。『わたしは生きている──【神】である主のことば──。わたしは決して悪しき者の死を喜ばない。悪しき者がその道から立ち返り、生きることを喜ぶ。立ち返れ。悪の道から立ち返れ。・・』。このエゼキエルのことばは、直接的にはイスラエルへのメッセージですが、今日の全ての人に適用が出来ます。そこでパウロが次のように教えています。 ◆「Ⅰテモ2:4 神は、すべての人が救われて真理を知るようになるのを望んでおられます」と。
④神さまの赦しの計画
1)旧約時代の赦しの計画
神さまは罪びとが罪の赦しに永遠に与る為に、救いの御計画を二つお立てになりました。一つは、旧約時代における救いのご計画です。旧約時代の救いのご計画は、創造主の存在を先ず認める信仰です。次に創造主が、約束された事を信じる信仰です。その二つの信仰によって、永遠に罪が赦された代表的な存在がアブラハムです。アブラハムは、創造主を信じる信仰を持っていました。その創造主が夜空に輝く多くの星の様に、アブラハムに多くの子孫を与えると約束されました。その約束をアブラハムは信じましたので、彼は「義と認められた」と、聖書は教えています(創世記15:15~16)。アブラハムが「義と認められた」と言うのは、彼の罪が永遠に赦され、永遠に罪なき義人と認められたという事を意味しています。アブラハムの様に、創造主を信じ、創造主の約束を信じて永遠に罪が赦され、義とされた旧約時代の聖徒の一部が、ヘブル書11章で紹介されています。アベル、エノク、ノア、サラ、イサク、ヤコブ、ヨセフ、モーセ、遊女ラハブ、士師のギデオン、士師のバラク、士師のサムソン、士師のエフタ、ダビデ王、預言者サムエルの名が挙げられています。良く、旧約時代は律法の時代で、律法を守れば義とされると、律法主義が教えられていると言われてきましたが、そうではありません。旧約時代も罪の赦しに預かり、永遠の義人と認められるのは、恵みにより信仰によったのです。創造主を信じる事は誰にも求められていますが、何を信じるのかは人によって異なっていたのです。それが、旧約時代にたてられた神の救いの御計画です。
2)新約時代の赦しの計画
旧約時代が終わった今は、2000年昔に十字架で人類の全ての罪を背負って死なれ、葬られ、三日目にご復活をされたイエス・キリストを、人類の罪を完全に取り除かれた救い主だという事実を認め信じる信仰によって、誰もが全ての罪が赦され、永遠の義人として認められます。それが、新約時代の全ての人の救いを願って立てられた神の救いのご計画です。人間の罪を正しく裁くことが出来る唯一のお方である全知全能の創造主の神さまが、旧約聖書の預言に基いて人間の罪の赦しの為に、神の御子であるキリストに十字架で人類の罪を全部負わせ、身代わりに刑罰を与え、人類の過去、現在、未来の全て罪を取り除かれました。その事実を認め信じてキリストを罪からの救い主だと信じる人は、誰もが永遠に罪が赦され、永遠の義人だと神に認められているのです。あなたは、その信仰をお持ちですか。まだ、お持ちでない人は、今、キリストを罪からの救い主だと信じて下さい。そうすれば、その瞬間に創造主の父なる神は、あなたを永遠に赦し、永遠の義人と認め、決して怒りをもって裁かれないのです。
2、天の御国へ
キリストを救い主と信じて罪赦された人は、その国籍が天に移されます。罪赦された人は、地上にいながら国籍を天に持つのです。パウロが次のように教えています。 ◆「エペ2:19 そこであなたがたは、もはや異国人でも宿り人でもなく、聖徒たちと同じ国籍の者であり、神の家族なのである」。 その同じエペソ書で、パウロは、キリストを信じた者はキリストと共に天の父なる神の右の座に着座したものだとも教えています。 ◆「エペ 2:5bあなたがたの救われたのは、恵みによるのである―― 2:6 キリスト・イエスにあって、共によみがえらせ、共に天上で座につかせて下さったのである。」
ピリピ書でもパウロは次のように教えています。
◆「ピリ3:20 けれども、私たちの国籍は天にあります。そこから主イエス・キリストが救い主としておいでになるのを、私たちは待ち望んでいます。」。
3、永遠の命が与えられる
キリストを信じ罪赦された人には神の永遠の命に与ります。その命は、肉体にでなく、その人の霊に与えられます。ヨハネは次のように教えています。
◆「ヨハネ3:16 神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに、世を愛された。それは御子を信じる者が、ひとりとして滅びることなく、永遠のいのちを持つためである。」。永遠の命は神の命ですので、永遠の命に預かったキリスト者は、神さまとの永遠の愛の交わりの中に生かされるようになります。
4、三位一体の神の内住
信じる人に永遠の命があてえられている事は、同時に、霊なる復活のキリストがその人の霊の中に永遠に内住している事です。なぜなら、聖書は、キリストの事を永遠の命と呼んでいるからです。
◆「1ヨハ1:1 初めからあったもの、わたしたちが聞いたもの、目で見たもの、よく見て手でさわったもの、すなわち、いのちの言について―― 1:2 このいのちが現れたので、この永遠のいのちをわたしたちは見て、そのあかしをし、かつ、あなたがたに告げ知らせるのである。この永遠のいのちは、父と共にいましたが、今やわたしたちに現れたものである――」
パウロは、ユダヤ人キリスト者だけでなく異邦人キリス者の中にもキリストが霊の中に永遠に内住されていると教えています。 ◆「コロ1:27 神は聖徒たちに、この奥義が異邦人の間にあってどのように栄光に富んだものであるかを、知らせたいと思われたのです。この奥義とは、あなたがたの中におられるキリスト、栄光の望みのことです」。 罪が赦された人の霊の中に、キリストが永遠に内住されている事は同時に、聖霊と父なる神が宿っている事を意味しています。それは、御子なるキリストと聖霊と父なる神は共に永遠に一体の関係の中にある三位一体の神であるからです。御霊の内住についてパウロは次のように教えています。 ◆「Ⅰコリ3:16 あなたがたは神の神殿であり、神の御霊があなたがたに宿っておられることを知らないのですか」
◆「Ⅰコリ 6:19 あなたがたのからだは、あなたがたのうちに住まれる、神から受けた聖霊の宮であり、あなたがたは、もはや自分自身のものではないことを、知らないのですか。」
◆「エペ 1:13 この方にあってあなたがたもまた、真理のことば、あなたがたの救いの福音を聞き、またそれを信じたことにより、約束の聖霊をもって証印を押されました。 1:14 聖霊は私たちが御国を受け継ぐことの保証です。これは神の民の贖いのためであり、神の栄光がほめたたえられるためです」と。
父なる神の内住についてはヨハネが次のように教えています。
◆「Ⅰヨハ4:13 神は私たちに御霊を与えてくださいました。それによって、私たちが神のうちにおり、神も私たちのうちにおられることがわかります。 4:14 私たちは、御父が御子を世の救い主として遣わされたのを見て、今そのあかしをしています。 4:15 だれでも、イエスを神の御子と告白するなら、神はその人のうちにおられ、その人も神のうちにいます。」
私たちの為に身代わりの刑罰を受ける為に、私達の全ての罪を背負って十字架にかかり、三日目にご復活をされた神の御子キリストを救い主と信じ、罪赦された全ての人の霊の中に、なんと、愛に満ち溢れた父なる神、御子なるキリスト、聖霊なる神である栄光の三位一体の神が永遠に内住して下さるのです。
5、罪に堕落した死ぬべき体、病むべき体が罪を犯さない、朽ちない、病気をしない栄光の体に変えられる
キリストを信じる信仰により罪赦された人は、罪に堕落した肉体から解放され、永遠に病気をしない、死なない、朽ちない、罪を犯さない栄光の体に与ります。その栄光の体に与るのは、キリストが空中に再臨された時です。先になくなったキリスト者が先にその栄光の体に与り復活します。その次に生きてキリストの空中再臨を体験するキリスト者のからだが一瞬にして栄光の体に変えられます。その事が、Ⅰコリント15章とⅠテサロニケ4章で教えられています。 ◆「Ⅰコリ15:51 聞きなさい。私はあなたがたに奥義を告げましょう。私たちはみな、眠ることになるのではなく変えられるのです。15:52 終わりのラッパとともに、たちまち、一瞬のうちにです。ラッパが鳴ると、死者は朽ちないものによみがえり、私たちは変えられるのです。」
◆「Ⅰテサ4:16 主は、号令と、御使いのかしらの声と、神のラッパの響きのうちに、ご自身天から下って来られます。それからキリストにある死者が、まず初めによみがえり、 4:17 次に、生き残っている私たちが、たちまち彼らといっしょに雲の中に一挙に引き上げられ、空中で主と会うのです。このようにして、私たちは、いつまでも主とともにいることになります。」
6、メシヤ的王国と黙示録の新天新地の神の御国へに導かれる
キリストを信じて罪赦された人は、天の御国だけでなく、この地上にエデンの園が回復したかのような美しい平和なメシヤ的王国と言う神の御国に導かれます。メシヤ的王国は、イスラエルと結ばれた「アブラハム契約」「土地の契約」「ダビデ契約」「新しい契約」の成就として、キリストが地上に再臨された時に実現します。メシヤ的王国はイスラエルを中心とした地上の神の御国です。その後、黙示録21章に預言されている、先の天と地が無くなり、月も太陽も海もなくなった新天新地の神の御国へ導かれます。
7、全ての人は神に創造された神の愛の作品である
キリストは以上の多くの恵みが伴う罪の赦しの福音を、「すべて造られた者にのべ伝えよ」と弟子達に命じられました。では、何処で誰に対して福音を宣教すべきなのでしょうか。
①全世界
第1に、全世界の何処においても出て行って、積極的に福音を宣教する事が命じられています。政治体制が自由主義であろうと、共産主義であろうと、ムスリムであろうと、横暴な君主国家であろうと、軍事国家であろうに関わらず、出て行って福音を宣教する事が命じられています。その、キリストの命令に従って、殉教をも辞さないで、どれほど多くのキリスト者が出て行って福音宣教に励んで来たでしょうか。その為には、聖霊の導きと力が絶対に必要です。福音宣教は肉の力でなく、あくまでも聖霊の力でなされて行く必要があります。私たちは、福音宣教に熱心で倦むことなくお仕えする為には、いつも聖霊に満たされておく必要があります。聖霊の満たしの為に必要なのが、神様と神の全ての御業をいつも喜び賛美を捧げる事です。同時に、聖霊の導きに日々聞き従う事です。それが、キリスト者が聖霊に満たされ続ける秘訣です。
②創造主に造られた者
では、誰に福音を宣教するのでしょうか。それは、創造主の神さまによって創造された全ての人です。現代の世界において多くの人は、自分が聖書に啓示されている創造主によって自分が母の胎内で創造された事を認めていません。しかし、福音を宣教する者は、その事を確信しておく必要があります。生まれた赤ちゃんは、最初は母乳で育ち、やがて離乳食を食べるようになります。赤ちゃんの口には、最初は歯がありません。もし、最初から歯があればどうでしょうか。お母さんはかまれていたくて顔をゆがめてしまうでしょう。そうならないように、お母さんが安心しておっぱいを吸わせる事が出来るように、赤ちゃんの口には最初は歯がないのです。しかし、お母さんのおっぱいだけでなく、色々な栄養を取らなければなると、乳歯が少しずつ生え出て、離乳食を口にすることが出来るようになります。歯は、見事に、食事が出来るように緻密に規則正しく並んでいます。そうした、全ての赤ちゃんの口と歯は、何の計画も設計もしない偶然によって勝手に出来たでしょうか。それとも、創造主の神さまによって計画され設計されて出来ているでしょうか。私は、どう考えても、計画も設計もない偶然によって勝手に出来たとは考えられません。赤ちゃんの口と歯は、聖書が教えるように、赤ちゃんを創造された神さまが計画し設計されたので、うまくできているのです。私たちは、全ての人が創造主の愛と知恵とご計画によって創造された神さまの愛の作品であるのです。それ故に母の胎内で神さまに造られた全ての人に、「福音」を伝えるようにキリストは命令されたのです。
先に福音を信じて「永遠の罪の赦し」に預かった者は、造られた全ての人が、キリストが愛の犠牲によって準備して下さった「福音」を信じるように、キリストの命令に従って祈りつつ、時が良くても悪くても、聖霊の導きにより、聖霊の力に押し出されて「福音」を宣べ伝えましょう。
私は、日々買い物の時に店員さんに福音文書を渡すように努めています。また、郵便局、レストラン、ガソリンスタンドなど、色々な機会に出会う方々に福音文書を渡すように努めています。お互いに主の大宣教命令に従って、十字架にかかり三日目にご復活をされたキリストの「罪の赦しの福音」を宣教しましょう。