「福音の全体像」
聖書:マルコによる福音書16章15~16節
牧師:佐 藤 勝 徳
【はじめに】
先週は、福音とは何かその内容を4つお伝えしました。①永遠の罪の赦し ②国籍が天に移された ③永遠の命の付与と三位一体の神の内住④永遠に朽ちない栄光の体に変えられる4つです。それだけでも、福音の偉大な恵みに圧倒されますが、まだ、私たちは知っておかなければならない福音があります。 1、天上の全ての霊の祝福に与っている 更に会得しておかなければならない福音は第1に、キリストを信じたキリスト者は天に国籍を移され、キリストにあって天の父なる神の右に座し、天に存在している全ての霊的祝福に既に与っている事です。パウロはエペソ書で次のように教えています。「エペ 1:3 私たちの主イエス・キリストの父なる神がほめたたえられますように。神はキリストにあって、天にあるすべての霊的祝福をもって私たちを祝福してくださいました。」。 私は、天にある全ての霊的祝福がなんであるか全てを知っていませんが、キリストを信じている者は、キリストにあって既に天にある全ての霊的祝福に既に与っているとパウロは教えています。つまり、キリスト者は地上にありながら、天上の全ての霊的祝福でいつも祝福されている存在だという事です。イエス様の放蕩息子たとえ話で、自分の放蕩の罪を悔い改めて父の下に帰って来た放蕩息子を、お父さんは自分から走り寄って抱きしめ、その喜びのあまり、その息子に最上の着物、最上の履物、指輪、最上の御馳走、最高の宴会をもって祝福しました。お父さんはあらゆる祝福をもって放蕩息子の期間を歓迎したのです。そのように、私たちの魂の父である創造主の神さまは、キリストを信じた者を大歓迎し、すでに、天にある全ての霊的祝福をもって祝福され、祝福し続けて下さるののです。私たちは空気が私たちを包むように、父なる神の祝福で包まれている事を信じて安んじましょう。
2、聖化の道が備えられた 昨年、ローマ書を通して繰り返し「聖化の道」を学びました。キリスト者は、自分に残存する古い人がキリストと共に死に、共に甦り罪と律法から解放され、キリストが持っておられた同じ神の聖なる性質を持つ者となりました。それによって、私たちの人格が霊なるのキリストが聖霊を働かせて、栄光から栄光へと漸進的に変えられる「聖化の恵み」に、与る者とされました。聖化の道は、キリストと共に自分の内の古き人が死んだ事と、キリストと共に甦って新しき人にされた事を聖霊によって諭され、諭されたその霊的事実を認め続け安んじながら、日々聖霊の導きのささやきの御声に聞き従う事です。それが「聖化の道」です。もう一度、ローマ書8章1節~4節をお読みします。「ロマ8:1 こういうわけで、今は、キリスト・イエスにある者が罪に定められることは決してありません。 8:2 なぜなら、キリスト・イエスにある、いのちの御霊の原理が、罪と死の原理から、あなたを解放したからです。 8:3 肉によって無力になったため、律法にはできなくなっていることを、神はしてくださいました。神はご自分の御子を、罪のために、罪深い肉と同じような形でお遣わしになり、肉において罪を処罰されたのです。 8:4 それは、肉に従って歩まず、御霊に従って歩む私たちの中に、律法の要求が全うされるためなのです。」
3、古い人による優しき人道主義的感情の偽善
①この世界に起きる様々な災いに対する古い人の人道主義的感情の偽善
私たちは、毎日の生活の中で、色々な形で「古い人」が顔をのぞかせます。妬みの感情、憎しみの感情、名誉欲、理想欲、好色的感情、性的貪欲等がその顔です。古い人の顔の中で、それが古い人の顔だと中々見抜けないものがいくつかあります。一つは人道主義や博愛主義です。人道主義や博愛主義の意味は、創造主を否定し、人間中心に物事を考え生活を多なう人間主義の事です。世界に起きる人間や動物が災害や戦争などで苦しむ事は、すべて悪だとして、そのような悪をもたらすものは全て忌み嫌い否定する事です。私たちは、世界に起きている人間や動物を苦しめている出来事を、人道主義と言う、人間の視点ではなく、万物を愛と正義と知恵と力で創造し、保持し、統治されている創造主の視点で見る必要があるのです。古い人は、それが出来ません。自分の人道主義や博愛主義の視点でこの世界に起きる様々な災いを見て、そのような災いをもたらすものを感情で忌み嫌い、意志で否定するのです。これまで、求道者の中で、信仰に繋がらず教会を去って行く人の中で、自分の人道主義の感情から様々な災いを見るので、聖書のいつも神を喜び絶えず神に祈り、神に万事について感謝を捧げなさいと言う、メッセ―ジに躓かれた人がいました。
②神さまの裁きに対しての古い人の人道主義的感情の偽善
私は、長い間、この世界に起きる様々な災いや、神さまの最後の審判で未信者の人たちが裁かれて火の池に投じられて永遠に苦しみ続けるという、聖書のメッセージをなかなか受け入れられずに来たのです。私たちの、アドベントの多くの教師は、神の裁きによって人が永遠に苦しみ続けるというメッセージに対して、それは、愛のない非情な神を教えていると、反論しています。。私もその一人でした。しかし、今の私は、やがて、裁きによって未信者の人が永遠に苦しむ火の池に投じられるという、神の裁きは聖書の教える正しい裁きだと理解し受け入れております。私は長い間、永遠の苦しみと言う神の裁きに関して、私の人道主義的な感情がついていけない事に苦しみ続けました。私は、その心の苦しみを何度も何度も神さまに訴え続けました。「人が裁きによって永遠に苦しむことがどうして正しい裁きといえるのですか」と。そんな私に、聖霊がある時ささやきました。「それが『「適切』」だと。聖霊は、罪が赦されなかった人が、裁きによって永遠に苦しみ続ける事は、その人にとって神の適切な処分だというのです。私は、聖霊がささやかれた「適切」と言う言葉を繰りかえし繰り返し考えました。神さまは嘘をつかれる方でない事を、聖書の多くの預の成就の事実を通してて知っていましたが、それでも神は嘘がつかれない事についても繰り返し繰り返し考えたのです。そして、聖書全体が神さまをどのようなお方だと教えているのか、更に詳細に繰り返し学び考え続けました。その結果、神さまは愛と正義という善をもって、万事を保持し統治されている事がより良く見えてきたのです。しかし、それでも私の人道主義的な感情は、悲惨極まりない状態で死んでいく人を思うと、そのような悲惨極まりない出来事を許さている神さまは愛のお方なのか。善なるお方なのかという疑問が湧いてきて、素直に神の愛を認めようとしない神に逆らう感情が根強く働いている自分を体験してきました。その神さまに逆らう間違った人道主義的な感情は大変しつこいのです。罪の性質をもって生まれた古い人は、人道主義という優しい感情を起こさせて、神さまに向かって万事を感謝させまいとしているのです。万事を感謝させまいとするのは、実は古い人の顔です。いつも神さまに向かって喜ぶ事、神さまに向かって万事に感謝する事を妨げているのは、古い人から起こって来る人道主義的な優しき心から生じる神さまに逆らう不信仰的な感情や思考によります。
③パレスチナ問題に対する古い人による人道主義的感情の偽善
現在、イスラエルのガザ地区への攻撃で、悲惨な状況に追い込まれているパレスチナの人々の映像を見ると、多くの人の人道主義的な優しい感情が煽られ、パレスチナの人々を悲惨な状況に追いやっているイスラエルを憎み、反ユダヤ主義的な感情が蓄積され、イスラエルへの非難が厳しくなっています。それによって多くの人々が、増々イスラエルに対する偏向報道に流されて行きます。一昨年10月7日のハマスのイスラエルへの恐ろしいテロへの対応の為に、ガザ地区で戦闘を行っているイスラエルに対して、今は、偏向報道が多いので単に人道主義的観点から批判する事は非常に難しい状況です。しかし、私は、イスラエルがキリストを信じて、キリストの「敵を愛する心」で、テロリストに対応してほしいと願っています。ハマスの創設者の息子「モサブ・ハッサン・ユーセフ」がムスムリからクリスチャンになり、イスラエルへのテロを止めたのは、キリストの「敵を愛する心」を、神さまによって与えられた事にあると、その著書「ハマスの息子」で証言しています。古い人の人道主義的感情によるイスラエル批判は慎重でなければなりませんし、中東問題の最も重大な根源的原因である「反ユダヤ主義」の背後に、キリストの地上再臨を妨げイスラエルを絶滅させ、自分が世界の王になろうとする悪魔の策略がある事もキリスト者は決して忘れてはなりません。それを忘れて、古い人の人道主義感情によるイスラエル批判を決してしないようにしましょう。イスラエルは世界を祝福する為に選ばれた選民ですので、創造主の神はイスラエルをどの民族よりも深く愛されています。
④人道主義的偽善をもたらす古い人への対処
古い人は、人間の人道主義的優しさを根拠に、神さまのなさる厳しい災いが伴う正義の御業を全面的に喜ばしき善だと決して認めようとしないのです。もし、あなたが、神さまの裁きに躓いているとすれば、あなたの中の古い人の人道主義的な優しい感情がそうさせている可能性があります。聖書は、この世界に起きる万事の背後に創造主の神さまの愛と正義に基づく善意が働いている事を教えています。その聖書の絶対的な教えに基づいて、神さまの御業を正しく理解しましょう。人道主義的な優しき感情を根拠に神さまとその御業を否定する不信仰や躓きは、古い人による邪悪な思考なのです。そのような邪悪な思考もキリストと共に十字架で死んだものとして否定し続ける必要があるのです。私たちは、何が古き人の顔なのか、見極める事が出来るように祈りましょう。古い人をいつも否定し十字架に委ねて殺しつつ、新しい人としてキリストの様に謙遜と愛と正義に生きるものとされているという、事実に立っ歩む「聖化の道」が与えられている事は大きな大きな恵みの福音です。感謝しましょう。私たちがキリストのような人格に似せられて行く「聖化」の目的は、聖化された私たち異邦人キリスト者を見て、家族や友人がキリストの福音に耳を傾けるようになることです。また、ユダヤ人が妬みを感じて、キリストに関心を持ち救われる為です。 4、万物の所有する所有権が与えられた
①物質的経済的必要性が満たされる道
福音の第3は、キリスト者はキリストにあって万物を所有する所有権が与えられた事です。万物はキリストのもので、そのキリストは父なる神のものです。そのキリストと父なる神が所有されている万物に対して、キリストを信じている者にもその所有権が与えられています。万物を父なる神様と主イエス様と共同所有させて頂いている、キリスト者ない一つ乏しい事はありません。全てが満たされています。全てが満たされているというのは、信仰と祈りによて必要なものがその時その時に与えられる事を意味しています。必要な物が与えられる秘訣は、先ず父なる神とキリストと共に万物の主有権が与えられている事を信じて、安んじる事です。次に、必要な物を祈り求める事です。祈り求めたら、「得た」と信じる事です。そして、日々御霊の導きに聞き従う事です。「Ⅰコリ3:21bすべては、あなたがたのものです。 3:22 パウロであれ、アポロであれ、ケパであれ、また世界であれ、いのちであれ、死であれ、また現在のものであれ、未来のものであれ、すべてあなたがたのものです。 3:23 そして、あなたがたはキリストのものであり、キリストは神のものです。」 「マタ6:32bあなたがたの天の父は、それがみなあなたがたに必要であることを知っておられます。 6:33 だから、神の国とその義とをまず第一に求めなさい。そうすれば、それに加えて、これらのものはすべて与えられます。 6:34 だから、あすのための心配は無用です。あすのことはあすが心配します。労苦はその日その日に、十分あります。」「ピリ4:6 何も思い煩わないで、あらゆる場合に、感謝をもってささげる祈りと願いによって、あなたがたの願い事を神に知っていただきなさい。 4:7 そうすれば、人のすべての考えにまさる神の平安が、あなたがたの心と思いをキリスト・イエスにあって守ってくれます。」
「マル11:22 イエスは答えて言われた。「神を信じなさい。 11:23 まことに、あなたがたに告げます。だれでも、この山に向かって、『動いて、海に入れ』と言って、心の中で疑わず、ただ、自分の言ったとおりになると信じるなら、そのとおりになります。 11:24 だからあなたがたに言うのです。祈って求めるものは何でも、すでに受けたと信じなさい。そうすれば、そのとおりになります。」
②当教会の会堂新築の必要が全て満たされた
私たちは、この新会堂建築の為に、某銀行から多額のお金を借り入れさせて頂きましたが、今年の1月6日によって返済が完了しました。約14年で完済出来ました。この恵みは、私たちが御霊の導きに従って某銀行に借入れをお願いした事にあります。私たちは、物質的経済的心配をする必要は一切ないのです。既に、キリストにあって万物をキリストと父なる神さまと共同所有者にされ、万物の所有権が既に与えられているからです。
今、私たちの教会は人数的には多くありませんが、神さまに100名収容で来る教会を与えて下さいと祈りながらことを進め、約15年の祈りの末に神さまがそれを実現してくださいました。私たちの父は、あらゆる祝福で満たそうといつも私たちの為に心を燃やされています。この会堂が神を愛しキリストを愛して礼拝する聖徒で溢れさせようといつも心を燃やされているのが祝福の神さまです。パウロは次のように教えています。「Ⅰテモ6:15 神は祝福に満ちた唯一の主権者、王の王、主の主、」。私たちの父は、キリストが例え話で教えて下さった、放蕩息子を喜んで迎え、晴れ着を着させ、最上の履物を与え、最上の御馳走を振る舞い、盛大な祝宴をして帰還した放蕩息子を祝福しました。キリストはその例え話で、そのお父さんが、放蕩息子に指輪をはめさせたた事を教えておられます。指輪と言うのは、当時、その人の身分を証明しました。また、その人の父親が持っている財産を自由に使う事が出来る為の実印の役割がありました。それは、お父さんの財産の所有権が与えられた事を意味していました。映画ベン・ハーがローマの奴隷船の奴隷となりますが、ガレー船の戦闘でローマの隊長アリウスを救った事で、アリウスの養子になりました。その時に、アリウスがベン・ハーに指輪をはめさせました。その指輪は、ベン・ハーがアリウスの息子であるという身分を証明しました。又、アリウスの財産をその指輪を使って自由に使う事が許されている事を証明していました。ベン・ハーの見どころに一つである馬が引く戦車競技の時に、ベン・ハーは多額のお金を掛け宿敵メッサラと契約を交わします。その契約の時、ベン・ハーはその指輪を契約の板に刻印する場面があります。ベン・ハーは指輪によって、アリウスの財産を自由にできたのです。「ルカ15:22 ところが父親は、しもべたちに言った。『急いで一番良い着物を持って来て、この子に着せなさい。それから、手に指輪をはめさせ、足にくつをはかせなさい。 15:23 そして肥えた子牛を引いて来てほふりなさい。食べて祝おうではないか。 15:24 この息子は、死んでいたのが生き返り、いなくなっていたのが見つかったのだから。』そして彼らは祝宴を始めた。」
【終わりに】
キリストを信じた者は、父なる神から霊的指輪をはめられ、祝宴の中に生かされているのです。キリストを信じたというだけで、どれ程父なる神さまがお喜びなのか、キリストは放蕩息子を迎えた父親を例えにして教えて下さっているのです。神の子であるという身分を証明し、父なる神とキリストと万物の共同所有者にされている事を証明する霊的指輪があなたの指にはめられているのです。それは、内住の御霊です。パウロは次のように教えています。「エペ 1:13 この方にあってあなたがたもまた、真理のことば、あなたがたの救いの福音を聞き、またそれを信じたことにより、約束の聖霊をもって証印を押されました。 1:14 聖霊は私たちが御国を受け継ぐことの保証です。これは神の民の贖いのためであり、神の栄光がほめたたえられるためです。」
私たちが情熱をもって伝える福音は、第1に罪の赦しです、第2に国籍が天に移された事です。第3に永遠の命が与えられて神の子とされ、三位一体の神が内住して下さっている事です。第4に、主が空中に再臨された時に、罪に堕落した朽ちる体が永遠に朽ちない、永遠に罪を犯さない、永遠に病気をしない栄光の体に必ず変えられる事です。第5に、天にある全ての霊的祝福に既に与っている事です。第6に、聖化の道が与えられている事です。第7に、父なる神とキリストと万物の共同所有者にされ、神の子の身分と万物の所有権を証明する霊的指輪が指にはめられている事です。
パウロは以上の福音の全体像を聖霊によってしっかり心に刻印していましたので、彼は、その福音をキリストの命令に従って宣教する為に、何でもすると心を燃やしました。「Ⅰコリ 9:23 私は福音のためにあらゆることをしています。」 参照:「Ⅰコリ9:23 福音のために、わたしはどんな事でもする」(口語訳聖書)。
あなたも、パウロのように福音宣教に心を燃やしてお仕えする為に、これまで学んで来た「福音の全体像」をしっかりと心に刻印する事が必要です。聖霊様に助けを求め、福音の全体像を心に刻印して頂き、深い平安と喜びの中に生きつつ、福音宣教に心を燃やし、福音宣教の為に知力と体力と時間とお金を神さまに捧げましょう。