「福音宣教の情熱に燃えて③」
聖書:マルコによる福音書16章15~16節
牧師:佐 藤 勝 徳

【はじめに】
旧約聖書が預言した通りに、2000年昔、ユダヤのエルサレムで十字架に死に葬られ三日目に甦られたイエス・キリストを、罪からの救い主だと信じる信仰をもっただけで、その人は、7つの福音の恵みに与ります。①永遠の罪の赦しの恵み。②国籍が天に移される恵み ③霊魂への永遠の命の付与の恵みと霊魂への三位一体の神の内住の恵み ④永遠に朽ちない栄光の体に変えられる恵み  ⑤天にある全ての霊的祝福に与る恵み ⑥聖化の道を歩む恵み ⑥万物所有権の付与の恵み ⑦霊的指輪である聖霊の内住の恵み。しかし、福音の恵みはそれだけにとどまりません。まだ、あるのです。それは、キリストが地上にされて実現されるイスラエルを中心としたメシヤ的王国の住民にされる事です。

1、4つの無条件契約
これまで、何度か祝福に満ちたメシヤ的王国についてお伝えしてきましたが、改めてお伝えをしておきたいと思います。イスラエルを中心としたメシヤ的王国の世界は必ず絶対に到来すると確信が出来るのは、創造主の神さまがイスラエル民族と特別に約束された4つの無条件契約を締結された事にあります。その4つの無条件契約は第1に、「アブラハム契約」です。神さまは、その契約をアブラハムとイサクとヤコブと交わされました。創世記で11回もその契約を交わされています。その契約の条項は子孫の増大、約束の土地の付与、世界を祝福する民族となるという3つです。続けて第2に「土地の契約」です。モアブの地で交わされた契約ですので「モアブ契約」とも呼ばれています。(申命記29章30章)。アブラハム契約の条項の一つである約束の土地の付与について申命記で改めて神様がイスラエルと結ばれた契約です。第3は、「ダビデ契約」です。(第二サムエル7章8節~19節、一歴代17章4節~15節)。この契約は神さまがダビデと直接結ばれた契約で、その主な条項は、二つです。一つはダビデが復活してイスラエルの永遠の王となるという約束です。もう一つは、ダビデの子孫からメシヤが出現し、そのメシヤがイスラエルと世界の王になるという約束です。最後に「新しい契約」です。(エレミヤ31章32節~35節)。預言者エレミヤを通して反逆するイスラエルに与えられた約束です。その条項は第1に「永遠に罪が赦される」と言う約束です。第2に、「全てのユダヤ人の霊性が非常に高くなる」と言う約束です。                                                                   2、4つの無条件契約の目的                                                      神さまが、世界に沢山ある民族の中からイスラエルを唯一ご自身の選民とされた目的は、イスラエル民族を通して世界を祝福するという事です。アブラハム条項の一つの中に、イスラエルを通して万民を祝福するという条項がありました。
◆「創12:3b・・地上のすべての民族は、あなたによって祝福される。」◆「創 18:18 アブラハムは必ず大いなる強い国民となり、地のすべての国々は、彼によって祝福される。」 ◆「創22:18 あなたの子孫によって、地のすべての国々は祝福を受けるようになる。」 ◆「創26:4 そしてわたしは、あなたの子孫を空の星のように増し加え、あなたの子孫に、これらの国々をみな与えよう。こうして地のすべての国々は、あなたの子孫によって祝福される。」◆「創28:14 あなたの子孫は地のちりのように多くなり、あなたは、西、東、北、南へと広がり、地上のすべての民族は、あなたとあなたの子孫によって祝福される。」
①メシヤ的王国の祝福
1)戦争が一切ない平和な世界となる
以上の約束の成就の為に、他の全ての契約が交わされたのです。イスラエル民族を通して全世界が祝福されるメシヤ的王国の最大の祝福は、イスラエルと世界の王となられるキリストによって、戦争が一切ない平和な世界となる事です。                                                             ◆「イザ2:4 主は国々の間をさばき、多くの国々の民に、判決を下す。彼らはその剣を鋤に、その槍をかまに打ち直し、国は国に向かって剣を上げず、二度と戦いのことを習わない。」メシヤ的王国の実現前に存在していた、核爆弾は全て完全に無くなります。原爆の犠牲となった広島や長崎の人々の念願である核なき世界を、キリストが実現されます。戦争の為の、戦闘飛行機や戦車やミサイルやドローンやその他の全ての武器弾薬が無くなります。また、軍事訓練を受ける兵学校も全てなくなります。兵士や兵隊、軍人は一人存在しなくなります。戦争が無いという意味の平和が完全に実現するのです。
2)自然界の平和
もう一つの平和も実現します。それは、自然界の平和です。肉食動物が全て草食動物になり、毒のある蛇などが全て無毒となり、人間と動物、動物と動物の間に争いが完全になくなり、野獣と家畜、幼子とコブラや蝮などが仲良く楽しく遊び暮らすたいへん愉快な楽しい世界となります。◆「イザ11:6 狼は子羊とともに宿り、ひょうは子やぎとともに伏し、子牛、若獅子、肥えた家畜が共にいて、小さい子どもがこれを追っていく。 11:7 雌牛と熊とは共に草をはみ、その子らは共に伏し、獅子も牛のようにわらを食う。11:8 乳飲み子はコブラの穴の上で戯れ、乳離れした子はまむしの子に手を伸べる。 11:9 わたしの聖なる山のどこにおいても、これらは害を加えず、そこなわない。【主】を知ることが、海をおおう水のように、地を満たすからである。」 ◆「イザ65:25 狼と子羊は共に草をはみ、獅子は牛のように、わらを食い、蛇は、ちりをその食べ物とし、わたしの聖なる山のどこにおいても、これらは害を加えず、そこなわない」と【主】は仰せられる。」
また、イスラエルの荒野や世界の荒野に水溢れる川が多くなり、美しい花が咲き乱れ、美味しい果実が実る木が多くなり、緑豊かな美しい自然を一年中楽しめる世界となります。それは、エデンの園が回復したかのような世界です。メシヤ的王国を体験した人は、最初にアダムとエバの為に造られたエデンの園がどのように美しい者であったか体験的に知るのです。◆「イザ 35:6 そのとき、足の萎えた者は鹿のように飛び跳ね、口のきけない者の舌は喜び歌う。荒野に水が湧き出し、荒れ地に川が流れるからだ。」◆「イザ 43:20 野の獣、ジャッカルや、だちょうも、わたしをあがめる。わたしが荒野に水を、荒れ地に川を流れさせ、わたしの民、わたしの選んだ者に飲ませるからだ。」◆「イザ 35:1 荒野と砂漠は喜び、荒れ地は喜び躍り、サフランのように花を咲かせる。」 ◆「エゼ 36:35 このとき、人々はこう言うだろう。『あの荒れ果てていた地はエデンの園のようになった。廃墟となり、荒れ果て、破壊されていた町々も城壁が築かれ、人が住むようになった』と。
また、穀物や果実などの豊作の約束、魚類の大漁の約束も預言されています。穀物など畑の産物は、神さまにメシヤ的王国で定められている仮庵の祭りの時に、エルサレムに上京する事を拒否したエジプト以外は、不作になることなく、毎年豊作の恵みに与り、飢餓で苦しむ人はキリストに逆らったエジプトの人々以外はいなくなります。そのエジプトもキリストの厳しい裁きを受けて、反逆の罪を悔いあらためた後は、他の国々と同じように祝福されて行きます。人間の健康状態は驚くほど良好です。幼くして死ぬ人はいません。癌によって50歳60歳で早死にする人はいません。病気で早死にする人は、キリストをメシヤ的王国の王として認めない不信仰な人々のみです。しかしそのような不信仰な人々も100歳まではいのちが保証されています。100歳で死ぬ人は早死にだと言われます。自然災害や事故で100歳まで死ぬ人は一人もいません。4つの無条件契約が実現したメシヤ的王国の、イスラエルの全ての人々の人格はキリストのように謙遜と愛と正義に満ち溢れた人格者となります。その、大変高い霊性と品格を持ったイスラエルを通して神さまの祝福が世界に川のように流れて行くのです。そのような、理想的な世界を、キリストは「父の国」と呼ばれました。その「メシヤ的王国」の到来を告げる知らせを福音を「御国の福音」とキリストは呼ばれました。キリストが全世界に出て行って全て造られた者に福音を宣べ伝えなさいと言われたもう一つの福音が「メシヤ的王国」という、御国の到来です。キリストを信じた全てのキリスト者はその御国の福音にも与っているのです。主の空中再臨の時に、永遠に朽ちない栄光の体に変えられて天に導かれた全てのキリスト者は、メシヤ的王国を実現する為に地上に再臨されるキリストに随伴し、キリストは実現されたメシヤ的王国の住民となります。永遠に朽ちない栄光の体をもって、世界を祝福するイスラエルの人々と共に、世界を祝福する為に、キリストにお仕えするのです。それも、キリストが私達に信じるものの希望として与えて下さった福音です。黙示録20章では、そのメシヤ的王国は、1000年間だと預言されています。どうでしょうか。皆さんにとって、今の罪に堕落した世界、戦争や犯罪が多い世界、自然災害が多い世界、気候温暖化で大変住み難い場所となった世界が、間もなく、聖書の預言通りに確実にメシヤ的王国になる事を絶対的に信じて、希望となり喜びとなっているでしょうか。もし、メシヤ的王国の到来があなたの福音、あなたの希望、あなたの喜びとなっていなければ、その福音を伝える事はできません。今日、日本の多くの教会が、その福音、その希望、その喜びを失っています。その最大の理由は、キリスト教初期の有名な教父と呼ばれる神学者が構築した「置換神学」の影響によるものです。イスラエルはキリストを十字架で殺したので、選民の資格をうしない、神はイスラエルと結ばれた4つの無条件契約を彼らからはく奪して、新しい霊的イスラエルである教会に置き換えられた、と言うのが置換神学です。18歳で、ギリシャの有名な神学校の校長になったオリゲネスがその「置換神学」を教会に広め、その後、告白や神の国や三位一体論などの本を書いた神学的に大変優秀で、現代においても多くの牧師方や神学者に多大な影響を与え続けている「アウグスチヌス」がその神学を教会に根付かせたと言われています。今日の多くの聖書注解を見ると、その影響が根強く残っているのが分かります。私達のアドベント教団の多くの牧師が、米国のアドベント神学者から置換神学を学んで来ました。私の神学校のノートを読み直してみますと、「未来主義の否定」と言う神学用語で「置換神学」を教えていた事が分かります。つまり、イスラエルはキリストを十字架で殺したので、祝福としての未来は無いという事です。私のノートだけでなく、米国アドベント神学者の本の中にもその事が教えられている事を後に知りました。最近では、岡山英雄牧師が書いた「小羊の王国」と言う本の中で、イスラエルの普遍性という事を説き、キリストを信じて救われたユダヤ人と、キリストを信じて救われた異邦人とで構成される教会を通して、イスラエルに約束された契約が実現して行くと教えています。その教会にイスラエルが吸収されて普遍化し、イスラエルを吸収した教会が普遍的イスラエルだと教えています。その教えでは、神様が、イスラエルと結ばれた4つの無条件契約は、普遍的イスラエルとなった教会を通して実現して行くのであって、イスラエル民族そのものを通して実現してくのではないという事です。その考えを最も適切に表しているのが、黙示録7章に登場する、14万4千人のイスラエ民族の未婚の青年男子を通して、世界的リバイバルが起きると言う預言を、未婚の青年男子の14万4千人のイスラエル文字通り字義通りに受け止めないで、それを教会だと解釈している事です。置換神学的イスラエル論、普遍的イスラエルと言うイスラエル論で、キリストが教えられたメシヤ的王国の到来を告げる「御国の福音」が完全に拒否されているのです。旧約の預言者たちが預言している「メシヤ的王国」をおとぎ話、神話だとして一蹴しているのです。そうした、神学が横行する中で、私達は、旧約の預言者やキリストが教えられた「父の国」である「メシヤ的王国」の到来を福音として、希望として、喜びとして受けとめて、その福音を、これまで学んできました7つの福音と共に、熱心に霊に燃えて伝える事が求められています。罪びとの私たちが必ず死ぬという事を、私達は絶対的な事実として知っています。それと、同じくらいの絶対的確信をもって、「メシヤ的王国」の到来を信じなければ、「御国の福音」を福音として熱心に伝える事は出来ないでしょう。私達が死ぬという事を絶対的に確信しているように私たちの福音であり、希望であり、喜びである「メシヤ的王国」の到来に対して絶対的確信を持てるように、聖霊様の助けを祈りましょう。また、今日死ぬかもしれないという切迫感、又、今日主の空中再臨があるかもしれないという切迫感も、福音宣教に情熱を燃やして生きる秘訣です。その二つの切迫感があると、聖霊は、その人に働きかけて、今を逃すともう福音を伝えるチャンスがないかもしれないと迫り、福音宣教のために用いて下さるのです。
神さまは全ての人が救われる事を願っておられますが、その救いとは何でしょうか。それは、神の栄光の為に、神を愛して、神の僕としてお仕えする立場の回復です。人は、神さまに、神の僕として神の栄光の為にお仕えする為に愛をもって創造されました。創1:28 神は彼らを祝福された。神は彼らに仰せられた。「生めよ。ふえよ。地を満たせ。地を従えよ。海の魚、空の鳥、地をはうすべての生き物を支配せよ。」と言う祝福の命令で示されています。しかし、人類はあだむにあってつみに堕落し、神を愛し、神にお仕えする事から離れ、自分の欲望と思いのままに生きるようになりました。その反逆している立場から、もう一度神を愛して喜んで神さまにお仕えする僕の立場に回復させる事が救いの意味です。その為に、神への反逆と全ての罪が赦される必要があるのです。そこで、神は、キリストを信じる信仰によって罪が赦され、神の僕の立場を回復させて下さったのです。福音と言うのは、神に反逆している立場から、神を愛して喜んで神にお仕えする神の僕の立場が与えられる事を意味しています。その福音に与るように、宣教するのが福音宣教です。福音宣教の事は、農夫が畑に種をまく例えで教えられています。私達が福音を伝える事は種まきを意味しています。どこでその種が芽を出すかは分かりませんが、私達の蒔いた種がどこかで芽を出し、救われる人を起こすのです、福音宣教は、魚を獲る漁師の働きに例えられています。海はこの世界を表し、この世界と言う海の中にある魚は、まだ救われていない人を表しています。キリストは、弟子たちに人間を獲る漁師にすると約束されました。福音宣教は、魚を獲る為に投げる網や、福音と言う餌の着いた釣り竿を生みに投げ入れる事です。また、福音宣教は、人々を神に捧げる祭司の役割を意味しています。◆「ロマ 15:16 異邦人のためにキリスト・イエスに仕える者となったからです。私は神の福音をもって、祭司の務めを果たしています。それは異邦人が、聖霊によって聖なるものとされた、神に喜ばれるささげ物となるためです。
-私達が、燃えるような情熱をもって宣教しなければならない福音、それは第1に、永遠の罪の赦しです。その罪の赦しは私達を神の4つの怒りから解放しました。現在の不信仰な人々への神の怒り、死んだときの神の怒り、主の日と呼ばれる7年の大艱難時代の神の怒り、最後の審判における神の怒り。第2は、国籍が天に移された事です。キリストにあって私たちは、父なる神の右の座に座しました。私達は、地上にいながらにして霊的事実として父なる神の右の座にキリスト共に着座しているのです。私達は、全知全能の愛と正義に満ちた偉大な父なる神さまと最も親しいものとなっているのです。米国のクリスチャン作家チャド・ゴンザレスの病の癒しの体験をお伝えしたいと思います。そのチャド・ゴンザレスは50代だと思います。ある時、経済的問題で思い煩っている時に、シャワーを帯びているとからだ中にできものが出来突然呼吸困難に襲われました。すぐにチャドの夫人が自動車で病院へ救急搬送しました。病院に着くと、病院に入る前にチャドは妻に10分だけ待ってくれと言うのです。10分たって治っていなければ病院に入ると言い、自分がキリストと共に父なる神の右に座していること想像で思い巡らしました。父なる神に病気を癒して下さいと祈ったのでなく、ただ、自分が父なる神の右に座している事を思い巡らし、想像の中で父なる神に触れました。すると、その時に、父なる神から自分に力が流れてくることを感じました、その瞬間、呼吸困難は無くなり、正常になったというのです。これまで、色々な癒しの体験を聞いて来ましたが、父なる神の右の座に座している事を想像で思い浮かべていると父なる神から力が注がれて癒されたという体験談は初めて聞きました。私達の国籍が天に移され、私達がキリストと共に父なる神の右の座に座しているという霊的事実を確信して、その事を思い浮かべる事は、癒しの力だけでなく、その他必要とする父なる神の力が与えられる秘訣の一つだと改めて教えられました。聖書は繰り返し、主に信頼する者は失望に終わる事が無いと約束されています。私達がキリストと共に父なる神の右の座にざしていることは、全知全能の父なる神が必要な力を直接与えて下さると信頼して良い事を意味しています。キリストの福音は、父なる神の力をキリストや聖霊を通してでなく、直接体験させる事も可能したのです。私達がキリストと共に父なる神の右の座に座した目的な、父なる神を直接に体験する為なのです。福音の第3は永遠の命の付与と共に、三位一体の神が霊の中に永遠に内住して下さった事です。三位一体の神が、自分の頭のてっぺんから足のつま先まで共にいて下さることを確信して、その事を深く思い巡らし、三位一体の神さまをハレルヤ!と喜び賛美する時を充分に持ちましょう。福音の第4は、罪に堕落した肉体が永遠に朽ちない栄光の体に復活をしたり、変えられる事です。福音の第4は、天に国籍を持ち、天の父なる神の右の座にキリストと共に座している者として、天上の全ての霊的祝福に与り、覆われている事です。福音の第5は、古き人はキリス共に十字架で死に、キリストと共に甦り、キリストの徳で満ち溢れ、既にキリストのように謙遜に満ち、キリストのように愛に満ち、キリストのように正義に満ちている者とされている事です。その事実に深く安んじましょう。それが「聖化の道」です。キリストのように私たちの人格が栄光から栄光へと変えられるという「聖化の道」は、キリストにあって、キリストのように謙遜なものとされ、愛と正義に満ちたものとされているという、霊的事実を想像し十分安んじる事です。それが、キリストに留まる事です。キリストにとどまっていると、聖霊によって、キリストにある自分を傍らに見るようにして下さるのです。キリストに留まるというのは、キリストにある事実を事実として創造し十分安んじる事ですが、もう一つは、キリストに生きていただくように内住のキリストに自分を委ねる事です。先日、ある事で、私の心に少々思い煩いが生じました。その時、聖霊は私にガラテヤ書2章20節のみ言葉をささやいて下さいました。「私が生きているのではなく、キリストが私のうちに生きておられるのです。」。私が2000年昔にキリストと共に十字架で死に、キリスと共に甦って新しい人となったという事は、地上において、自分が生きるのでなく、内住のキリストに自分に代わって生きて頂くことを意味しています。主はその事を改めて悟らせて下さって、私は、すぐに思い煩いをすて、キリストに代わって生きて頂く為にキリストに全てを委ねる事が出来ましたその結果、思い煩いから解放され、安心して対処が出来ました。私達が、キリストにあって共に死に、共に甦ったのは、こ「の地上において、もはやわたしが生きるのでなく、キリストが私の内において代わって生きて下さることを信じて、委ねる」ためです。キリスト者の思い煩いの主な原因は、自分が生き、自分が物事を対処しようとしている事にあります。その思い煩いから解放されるには、自分がキリストと共に死んで、共に甦ってキリストに委ねて生きるものとされているという事実に立って、自分が生きる事を止めて、キリストに生きていたくようにキリストに委ねる事です。それも、キリストにとどまっている事になります。私達はキリストに留まると、私が命であり真理であり道であると言われたキリストが代わりに生きて下さるのです。キリストは、私達に代わって十字架で死んで下さったように、私達に代わって生きて下さるお方なのです。キリストに留まり、キリストに代わって生きて頂くことが「聖化の道」です。福音の第6は、キリストにあって万物の所有者になった事です。福音の第7は、神の全ての祝福を自由にできる霊の指輪がキリスト者一人ひとりにはめられている事です。それは、内住の聖霊です。福音宣教に情熱を燃やして、積極的に福音を伝える人の足を、パウロは「立派な足」だと、称賛しています。「良いことの知らせを伝える 人々の足は、なんとりっぱでしょう。」(ロマ10:15)。このみ言葉は、パウロはイザヤ書を参考にして語っています。イザヤ書では、イスラエルの平和の為に「神がシオンの王となる」という事を伝えるもの足が立派だと教えられています。つまり、神であるメシヤ、つまりキリストが、メシヤ的王国のイスラエルの王となって、イスラエルに平和をあたえると告げげる者の足をイザヤは美しい立派な足だというのです。
「イザ52:7 良い知らせを伝える者の足は山々の上にあって、なんと美しいことよ。平和を告げ知らせ、幸いな良い知らせを伝え、救いを告げ知らせ、「あなたの神が王となる」とシオンに言う者の足は」と。
私達が異邦人が、イスラエルの人々や多くの人々に「メシヤ的王国」の到来を告げる時に、私達の足は「立派な足」だと神さまから賞賛を受けるのです。
また、罪の赦しをはじめ7つの福音を伝える者の足は、神さまから「立派な足」だと称賛を受けるのです。最後に福音宣教の原則をお伝えしたいと思います。
これまで学んで来ました、福音は先ず、ユダヤ人を優先して伝える事が、福音宣教の原則です。パウロは、異邦人の為の福音宣教者に召されましたが、不思議な事に、伝道旅行でアジアやギリシャ地方に福音を宣教する時に、異邦人に福音を伝える前に、その町々に住んでいるユダヤ人に必ず最初に福音を伝えているのです。例外はありません。彼は聖霊の導きで、福音を優先的にユダヤ人に宣教する事を教わっていたのです。ですから、ローマ書でも、福音はユダヤ人をはじめ信じる全ての人に救いをもたらす神の力だと語っています。福音はユダヤ人をはじめと、パウロは福音が優先的にユダヤ人に伝えられるべきことを教えているのです。私たち地域にもし、ユダヤ人の方々が住んでいれば、先ず、そのユダヤ人に優先的に福音を伝える必要があるのです。もし、私たちの住んでいる地域に、ユダヤ人が住んでいなくても、どこかでユダヤ人に出会、日本が通じれば、キリストの十字架の死と葬りと復活による罪の赦しの福音を伝える準備をしておく必要があります。また、常に優先的にユダヤ人がキリストの福音によって救われるように祈る事も必要な事です。それは、神の御心に叶っていますので、聖霊はその人に祈りに答えてユダヤ人を救いに導かれるのです。
の大宣教命令に従って福音を積極的に伝えていくには、日々自分が福音に生かされている事が大前提です。その為に、キリストを信じた自分がどのような福音に与っているのか聖霊によってしっかりと魂に刻印して頂き、日々その事を想像の中で深く、強く思い巡らす事です。クリスチャン作家のチャド・ゴンザレスは、ブドウの幹であるキリストに父なる神の力によって自分が枝としてしっかりと繋がっている事を想像の中で深く思い巡らすと、キリストの命と力が自分に流れ込んでくると、体験を語っています。8つの福音に生かされている事を喜びながら、今週一週間、あなたの足が福音を宣教する「立派な足」だと神さまから賞賛を受ける足となりますように祈りしましょう。