「永遠の救いの処方箋」
聖書:ヨハネによる福音書3章16節
牧師:佐 藤 勝 徳

それから、イエスは彼らにこう言われた。「全世界に出て行き、すべての造られた者に、福音を宣べ伝えなさい。マルコ16章15節

【はじめに】
赤十字病院をはじめ、病院のマークは白の生地の中に赤い十字が描かれていますが、そのシンボルマークの由来は、キリストの十字架です。日本の多くの人はその事を知らないなではないかと思います。十字架と言うのは、もともと古代ローマが極悪人を処刑する為に考案したものですので、十字架は呪いの象徴でした。しかし、不思議な事に2000年昔に、ユダヤ人のイエス・キリストがユダヤのエルサレムで、十字架でローマの兵隊によって処刑されてからは、救いと勝利のシンボルマークとして使用されるようになったのです。イエス・キリスは十字架で全人類の罪の赦しの為に身代わりの刑罰をお受けになり、その事から、ヨーロッパの多くの国々は国旗に十字をシンボルにしてあしらうようになりました。やがて、病院や緑の安全マークにも十字がシンボルマークとして使用されるようになりました。キリストが2000年昔、ユダヤのベツレヘムにお生まれになった目的を聖書は明確に教えていますは、それは、全人類を罪から救う為です。
◆「マタ1:21 その名をイエスとつけなさい。この方こそ、ご自分の民をその罪から救ってくださる方です。」         
罪から救うというのは、人類の過去現在未来の全ての罪を取り除き、その責任がら解放され赦される事です。その為に、キリストはどうしても全人類の罪を背負って十字架で、全人類の身代わりに罪の刑罰を父なる神様から受ける必要があったのです。では、なぜ、キリストが十字架で全人類の罪を背負って身代わりの刑罰をお受け下さっていなければ、人は罪から解放されないのかを詳しく学びたいと思います。
【聖書が処方する永遠の救いの為の霊的処方箋】
今日のメッセージのタイトルは、「永遠の救いへの処方箋」です。もし、キリストが十字架で私達の罪を得負って身代わりの刑罰をお受け下っていなければ、私達は誰もが、自分の犯した罪の為に、神さまに裁かれて、永遠の火の池に投じられて永遠の苦しみを負わなければならない事になります。永遠の救いの処方箋の「救い」と言うのは、私達が犯す自分の罪の為に、私達は、神に裁かれて永遠に苦しまなければならない定めにありますが、その裁きからの救いを意味しています。病院でのお医者さんによる処方して頂く薬は、この地上での幸福を願っての地上に生きている体の健康の為ですが、キリストによる永遠の救いの処方箋は、永遠の幸福を与える為の霊的処方箋となっています。
1、第1の霊的処方箋。「自分は裁かれて当然の罪びとだと認めよ」と言う教え
聖書の第1の処方箋は、自分は心において、思いにおいて、行いにおいて多くの罪を犯しており、裁かれて当然だという事実を認めよという事です。私達には、良心があります。良心は、私達が罪を犯せば、それは罪だぞと指摘する機能を持っています。その良心の機能を通して、創造主の神さまは全ての人が自分は罪びとで裁かれて当然だと知らされています。聖書はローマ書で私たち罪人の実態を次のように教えています。
◆「ロマ1:29 彼らは、あらゆる不義と悪とむさぼりと悪意とに満ちた者、ねたみと殺意と争いと欺きと悪だくみとでいっぱいになった者、陰口を言う者、 1:30 そしる者、神を憎む者、人を人と思わぬ者、高ぶる者、大言壮語する者、悪事をたくらむ者、親に逆らう者、 1:31 わきまえのない者、約束を破る者、情け知らずの者、慈愛のない者です。 1:32 彼らは、そのようなことを行えば、死罪に当たるという神の定めを知っていながら、それを行っているだけでなく、それを行う者に心から同意しているのです。」次のようにも教えています。◆「ロマ 3:10 それは、次のように書いてあるとおりです。「義人はいない。ひとりもいない。 3:11 悟りのある人はいない。神を求める人はいない。 3:12 すべての人が迷い出て、みな、ともに無益な者となった。善を行う人はいない。ひとりもいない。」 3:13 「彼らののどは、開いた墓であり、彼らはその舌で欺く。」「彼らのくちびるの下には、まむしの毒があり、」 3:14 「彼らの口は、のろいと苦さで満ちている。」 3:15 「彼らの足は血を流すのに速く、 3:16 彼らの道には破壊と悲惨がある。 3:17 また、彼らは平和の道を知らない。」 3:18 「彼らの目の前には、神に対する恐れがない。」
神さまによって、罪赦されて、永遠の苦しみという滅びから救われる為の聖書の第1の霊的処方箋は、「自分は裁かれて当然の恐ろしい罪を多く犯している罪びとだという事実認めよ」という教えです。
2、第2番目の処方箋
聖書の教える第2番目の処方箋、それは人間の罪を裁くことが出来るのは、天地万物を創造された愛と正義に満ちた全知全能の神のみであるという教えです。人の罪を裁くことが出来るのは先ず愛と正義に満ちた罪のないお方です。人ではありません。もし、1回でも罪を犯せば、その方は罪を裁く資格はありません。罪のないお方は愛と正義に満ちた創造主の完全な神さまだけです。また、全知でなければ人をさばけません。罪びとの私達がどのような罪を犯したのか全て知っているという全知でなければ、正しく裁くことが出来ません。全知でなければ誤って裁く危険があります。決して誤ることなく完璧な裁きが出来るのは全知の神さまのみです。そのお方は、天地万物を創造された創造主の神様です。また、罪びとを正しく裁くには、その裁きを正しく実行する力が無ければなりません。正しい判決をしても、その判決通りに裁く力と権威が必要です。そのようなお方は、全知全能の創造主以外に存在しません。罪びとを正しく裁く資格と権威をお持ちなのは罪のない、正義と愛に満ちたお方であり、又、全知全能の神さまだけです。そのような神さまが、聖書に啓示されている創造主の神さまです。その事実を認めよという教えが、人が犯した罪が赦され、神さまの裁きから救われる為の第2の霊的処方箋です。
3、第3番目の霊的処方箋
聖書が救いの為に教える第3番目の処方箋は、人を裁く事が出来る神さまは、人を裁くよりも裁きから救われる事を願っておられる優しき愛のお方だという教えを認めよという事です。
人を裁くことが出来る神さまは、罪びとに永遠の救いをもたらす為に、ご自分の御子をキリスト(救い主)として、全世界にプレゼントして下さったお方です。ヨハネ3章16節では「神はそのひとり子を賜ったほどにこの世を愛された」と、神さまはひとり子をプレゼントして下さった父なる神さまだと教えています。永遠の救いの為の第3の霊的処方箋は、全ての人の罪を正しく裁く事が出来る神さまは、ひとり子をプレゼントしてまでも全ての人が罪赦されて裁きから永遠に解放される事を強く願っておられる愛に満ちたお方だという事実を認めよという事です。聖書は、創造主の神さまが罪びとをどのように愛されているか繰り返し教えています。
①イスラエル民族と人類に表された神さまの愛
世界の祝福の為に選ばれているイスラエルの民が、古代国家を形成している時に、偶像崇拝をはじめ、殺人、姦淫、弱者いじめ、不正な裁き、など言葉では表現できないとんでもない罪を犯すようになりました。その罪深いイスラエルに対して、神さまがどれほど彼らを愛されているかを多くの預言者を通して教えられました。
1)エレミヤの預言                                                             預言者エレミヤは罪深いイスラエルに次のように神さまの愛を伝えました。
◆「エレ31:3b【主】は遠くから、私に現れた。『永遠の愛をもって、わたしはあなたを愛した。それゆえ、わたしはあなたに、誠実を尽くし続けた。 31:4 おとめイスラエルよ。』」
2)キリストの教え                                                              罪深いイスラエルへの神さまの永遠の愛は、イスラエルの人だけに注がれているのではありません。人類の全ての罪深い者にも注がれています。キリストがそれを次のように教えられました。
◆「マタ5:44わたしはあなたがたに言います。自分の敵を愛し、迫害する者のために祈りなさい。 5:45 それでこそ、天におられるあなたがたの父の子どもになれるのです。天の父は、悪い人にも良い人にも太陽を上らせ、正しい人にも正しくない人にも雨を降らせてくださるからです」と。キリストが、「敵をも愛しなさい」と教えられたのは、ご自分を全ての人の為に救い主として遣わされた父なる神が、全ての人を永遠の愛で愛されている証拠に、全ての人に太陽を上らせ、全ての人に恵みの雨を降らせておられるという、事実を知っておられた事によります。あなたの敵をも父なる神さまに愛されて太陽と雨の恵みを授けておられますので、あなたの敵をも愛しなさいとキリストは教えられたのです。敵を愛しなさいと言う教えは、キリスト以外、どの宗教家も、どのような哲学者も教えた事が無い完全な愛の教えです。
3)救われたテロリストの証言
今、イスラエルとハマス、イスラエルとレバノンのヒズボラと言うテロリストとの戦いが毎日のように報道されています。最近、ハマスの
指導者の息子が、キリストの「敵を愛しなさい」と言う言葉に出会って衝撃を受け、キリストを救い主として信じて、キリストから文字通り敵を愛する心が与えられてイスラエルへの武器を捨て、テロリストを止めました。又、同じように、レバノンのヒズボラのテロリストも、キリストの「敵を愛しなさい」の言葉に出会って、キリストを救い主として信じて救われ、文字通り敵を愛する人に変えられ、テロリストを止め、イスラエルへの武器を捨てました。彼らが共通して訴えている事は、中東紛争の終結や世界の平和の為には、キリストによって「敵を愛する心」を持つ以外に無いという事です。キリストを救い主として遣わされた父なる神さまは、全ての罪びとを永遠に愛されている無条件の愛のお方なのです。その、愛が自分にも向けられている事実を認めよという教えが、聖書の、罪からの救いの為に教える為の第3の霊的処方箋です。
4、第4の霊的処方箋
聖書が処方する第4の霊的処方箋は、全ての罪人を永遠の愛で愛する父なる神がプレゼントして下さった、独り子のキリストが唯一の救い主だという事実を認めよと言う教えです。 父なる神さまは、全ての罪びとが、永遠のさばきによる永遠の滅びから救う為に、ひとり子なる神をキリスト(救い主)として遣わされました。そして、そのキリストに十字架で全ての人の罪を負わせて、身代わりの刑罰を与えて、全ての人が罪の責任から解放されました。
≪キリストはなぜ全人類の罪を負って身代わりの刑罰をお受けになる事が出来たのでしょうか≫
①キリストは一度も思いと言葉と行いによって罪を犯さなかった。
全ての人の罪の身代わりに刑罰を受ける資格のあるのは、先ず、その生涯において、思いにおいて、言葉において、行いにおいて一度も罪を犯さない人のみです。そのような人ははこの地上に存在しませんので、父なる神のひとり子なる聖なる神が人となって、罪なき生涯を歩む以外にありませんでした。キリストと約3年間寝食を共にした弟子達は声を揃えてキリストには罪がなかったと証言しています。
1)弟子のヨハネの証言
◆「ヨハ 1:14 ことばは人となって、私たちの間に住まわれた。私たちはこの方の栄光を見た。父のみもとから来られたひとり子としての栄光である。この方は恵みとまことに満ちておられた。」。
2)弟子のペテロの証言                                                         ◆「Ⅰペテ 2:22 キリストは罪を犯したことがなく、その口に何の偽りも見いだされませんでした。2:23 ののしられても、ののしり返さず、苦しめられても、おどすことをせず、正しくさばかれる方にお任せになりました」。
キリストは、十字架上で地獄の苦しみを受けている時に、ご自分を罵っている人たちの為に「父よ、彼らをおゆるし下さい」と祈られました。ペテロはその事を知っていましたので、キリストは「罵られてもののしる事をしなかった」と証言しています。
②キリストは人類の代表者
また、罪びとの全ての罪を一人で負う事が出来るのは、罪なき生涯を歩むだけでなく、全ての人の代表者である必要があります。キリストは、その全人類の代表者でしたので、一人で全人類の罪を負う事が出来ました。「Ⅰヨハ 2:2 この方こそ、私たちの罪のための──私たちの罪だけでなく、世全体のための──なだめの供え物です」。全ての人の罪に対する父なる神の怒りをなだめる事が出来るのは、人類の代表者であるキリスト以外にないので、「世全体の為のなだめの供え物」と弟子のヨハネはそのようにキリストを呼びました。又、パウロはキリストが人類の代表者でしたので「最後のアダム」と呼びました。「Ⅰコリ15:45 聖書に『最初の人アダムは生きた者となった』と書いてありますが、最後のアダムは、生かす御霊となりました」。最初のアダムは、人類を代表するアダムとして創造されましたので、彼の犯した罪は全人類が犯した罪となり、全人類がアダムと共に有罪となったのです。そのように、キリストは人類の代表者でしたので、一人で全人類の過去、現在、未来の全ての罪を背負って身代わりに刑罰をお受けになる事が出来ました。キリストは十字架で全人類の全ての罪を取り除きましたので、その事を信じる人々にその救いのみわざが適用されるようになりました。
私達罪びとを、神の裁きによって永遠に苦しみ続けなければならない滅びから、永遠に救って下さるのは父なる神さまがこの世の為にプレゼントして下さった独り子なる神のキリストのみです。
◆「使  4:12 この人(キリスト)による以外に救はない。わたしたちを救いうる名は、これを別にしては、天下のだれにも与えられていないからである」。
キリストは、全人類の代表者となって、罪なき生涯を歩んで下さり、十字架で全人類の罪を取り除かれ、人類の唯一の救い主となって下さいました。その事実を事実として認めよという教えが、永遠の苦しまなければならない滅びから、私達罪びとが永遠に救われる為に神さまが処方された第4の霊的処方箋です。
【おわりに】
以上の、聖書が処方する4つの霊的処方箋、心に受け入れると、その人は、その瞬間に、罪に対する神の怒りから解放され、永遠に苦しみ続けなければならない永遠の滅びから解放され、神の永遠の命に与って、平安と喜びが永遠に続く神の御国へ必ず導かれていくのです。神の永遠の命は神の命ですので、それは神の人格的な命を意味しています。神の命は愛の命です。神の命は正義の命です。神の命は聖なる命です。人が神の永遠の命に与るのは、神の愛と正義の命に生かされて、愛と正義の人として生かされる事を意味しています。 皆様も、聖書が処方する4つの霊的処方箋を心に受け入れて下さり、永遠に苦しみ続けなければならない永遠の滅びから救われて、神の永遠の命を得て、永遠に神の御国で喜びと平安の内に生きる人になっていただきたいと思います。
私達の命は、明日どうなるか誰も分かりません。たちまち消えゆく霧に過ぎませんので、今、生かされているこの時に、永遠の救いを与える聖書の教える4つの処方箋を心に受け入れて下さい。その前に死ねば、そのチャンスを永遠に失います。 今、聖書が処方する4つの霊的処方箋を心に受け入れた方は、永遠の滅びから救われ、神の永遠の命に与りました。ヨハネ3章16節が次のように約束しています。                                  ◆「3:16 神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに、世を愛された。それは御子を信じる者が、ひとりとして滅びることなく、永遠のいのちを持つためである。」
あなたが、キリストを救い主として信じて、永遠の命に満たされて、悩み多き人生において、愛と正義と喜びに満ちて歩まれますように心からお祈りしています。