「聖霊降臨の意義と目的」
聖書:使徒2:1~4
 牧師:佐藤勝徳

【はじめに】
 今年も共に五旬節(ペンテコステ)の聖霊降臨を記念して天の父なる神に礼拝をお捧げ出来る恵みを感謝します。約2000年昔、主イエス・キリストが約束された聖霊が降る事を信じて、約120名の主の弟子達がユダヤの祭りである五旬節(ペンテコステ)の日にエルサレムのある場所で、一つに集まって祈り待ち望んでいました。すると、突然、天からが激しい風吹いて来て轟音が響き渡しりました。彼らが集まっていた家全体に、又、エルサレムの都にその轟音が響き渡りました。同時に、火の炎のような分かれた舌が現れて、約120人の弟子達全員の上に留まりました。すると、全員が聖霊に満たされて、御霊によって弟子達は全く知らない他国の言葉である「異言」を語りだしました。彼らは、同時に、深い喜びと平安に満たされ、地上では本来決して味わえない天の御国の喜びに満たされ、心は恍惚とした状態になりました。その為に、五旬節の祭りにエルサレムに来ていた多くのユダヤ人の中には、弟子達を批判して、「朝から甘い葡萄酒を飲んで酔っ払っているとはけしからん」と言って、嘲る人もおりました。それに対して、ペテロは弁明して、この出来事は、預言者ヨエルが「終わりの日」にユダヤ人に聖霊を降すと約束されていた預言が成就したのだと説明しました。又、その聖霊は、ユダヤ人が十字架につけて殺したナザレのイエスが甦って、天から降されたのだと語りました。その結果、約3000人のユダヤ人が罪を悔い改め、ナザレのイエスを旧約聖書が預言しているキリスト(メシヤ/救い主)だと信じて洗礼を受けたのです。以上が、2000年昔のユダヤの春の収穫祭である五旬節に起きた出来事でした。神は五旬節に世界中から集まっていた多くのユダヤ人を救いに導き、ご自身のビジョンである「罪に堕落した世界に神の似姿を回復した人物をエルサレムを通して満たす」という御心の成就の為に、主の弟子たちに「聖霊」を降されました。天からの大風と轟音と共に、舌の形をした炎のような聖霊を弟子達に降し、大きな喜びと異言を与えるという不思議なしるしによって、多くのユダヤ人を救いに導かれたのです。
以上の五旬節の出来事を振り返ると、キリストの生涯が、モーセ律法において教えられている7つの祭りにおいて「型」として預言されていた事が、はっきりと理解ができます。それ故に、モーセ律法の7つの祭りを、我々キリスト者は正しく知って理解をしておく必要があります。それは、聖書の終末論を学ぶ上で欠かせない知識となっています。モーセ律法における7つ祭りは次の通りです。春には①過ぎ越し祭の祭り、②種なしパンの祭り、③初穂の祭り ④五旬節の祭りがあります。秋には①ラッパの祭り ②贖罪日の祭り ③仮庵の祭りがあります。今日はペンテコステに因んで二つの祭りだけを取り上げます。

1、過越し祭の祭り

「◆レビ23:4b【主】の例祭は次のとおりである。 23:5 第一月の十四日には、夕暮れに過越のいけにえを【主】にささげる。」

この祭りは、昔、イスラルの人々が約400年間奴隷として苦しめられていたエジプトから、モーセを通して解放される時の出来事に因んで行われた祭りです。 その出来事は次の通りです。小羊の血がそれぞれの家の鴨居と柱に塗られました。その時に、滅びの天使がやって来てその塗られた血を見るとその家を通り過ぎて行きました。その血が塗られていないエジプト人の家の長男及び動物の初子が滅びの天使によってみな殺されました。パロ王の長男も殺されました。エジプト全土に深い悲しみと嘆きの声が響き渡りました。それで、やっと、頑固なパロはイスラエル人がエジプトから出ていく事を許可したのです。その、大昔の、イスラエルの救いの出来事を記念して、その神の御業を忘れない為に「過越し祭」を守るように神は命じられました。過越し祭は、聖書暦の第1の月(太陽暦では3月~4月)の14日の金曜日に取り行う事が命じられていました。キリストが、十字架でイスラエルと全人類の罪を背負って身代わりの刑罰を受けて、全ての罪を取り除いて下さったのがユダヤの過越し祭の金曜日でした。過越し祭は、キリストの十字架の受難によって、ユダヤ人と全人類を罪から解放するという救いの出来事の型として預言していた祭りであったのです。

2、五旬節(シャブオット(/ペンテコステ)
◆「レビ23:15 あなたがたは、安息日の翌日から、すなわち奉献物の束を持って来た日から、満七週間が終わるまでを数える。 23:16 七回目の安息日の翌日まで五十日を数え、あなたがたは新しい穀物のささげ物を【主】にささげなければならない。」
◆「出 34:22 小麦の刈り入れの初穂のために七週の祭りを、年の変わり目に収穫祭を、行わなければならない。」
五旬節は、ヘブル語で「シャブオット」、ギリシャ語で「ペンテコステ」と呼ばれています。その五旬節は過越し祭の金曜日の次の日の安息日(種なしパンの祭り)の次の日の日曜日(初穂の祭り)から数えて50日目の祭りでした。その祭りにおいて、神さまに収穫した新しい穀物である小麦を捧げる事が必要でした。それが、2000年昔のペンテコステの日に、聖霊によって約3000人のユダヤ人が救われ、霊的収穫物として神に捧げられた出来事を型として預言していたのです。
2000年昔、弟子達が天から降って来た聖霊に満たされ、3000人のユダヤ人が救われ、彼らはキリストによって神に供えられた霊的穀物として神さまに捧げられました。キリストは、人が救われる事を、麦の収穫で例えておられます。(ヨハネ4:35~38)。ペンテコステの日に、聖霊のバプテスマを受けた約120名の弟子達と、救われた3000人のユダヤ人は、キリストが収穫された霊的穀物として神さまに捧げられたのです。ユダヤの祭りである五旬節は、約120名に降り、3000人のユダヤ人が救いに導かれる為の聖霊降臨の出来事の型としての預言であったのす。
この五旬節の祭りには、もう一つの意味をユダヤ人は持たせています。それは、五旬節の日に、モーセ律法が神からイスラエルの人々に授けられたと伝統的に信じられており、ユダヤ人達は、五旬節を収穫感謝と共に、モーセ律法付与の記念日としてもお祝いしてきました。モーセ律法付与されたのが、エジプトを出てから3ヶ月後であったことが出エジプト記19章で次のように教えられています。
◆「出19:1 エジプトの地を出たイスラエル人は、第三の月の新月のその日に、シナイの荒野に入った。19:2 彼らはレフィディムを旅立って、シナイの荒野に入り、その荒野で宿営した。イスラエルはそこで、山のすぐ前に宿営した。  19:3 モーセは神のみもとに上って行った。【主】は山から彼を呼んで仰せられた。「あなたは、このように、ヤコブの家に言い、イスラエルの人々に告げよ。」
2000年昔、五旬節の日に約120名の弟子達に聖霊が降りましたが、それは、神さまが五旬節の祭り定められたその背後に、主の弟子達約120人聖霊を降し、愛する3000人のユダヤ人を一気に救いに導くというビジョンを神がお持ちであったことを意味していまます。使徒2章1節では「五旬節になって」と訳されているギリシャ語は、実は「満ちる」とか「満了する」と言う、「スムプレーロウ」と言う言葉が使われています。そのことばを忠実に翻訳しているのは、私の知る限りではキングジェームスバージョンと言う英訳だけでした。“And when the day of Pentecost was fully come,・・・”
イエス・キリストの約120名の弟子達に五旬節に聖霊を降すと言う神の御計画は、最初の五旬節の祭りから約1500年の年月が過ぎ、その長い年月に繰り返しやってきた「五旬節」の日が満了したので、つまり成就の時が来たので聖霊を神は弟子達に降されたのだと、著者のルカは言わんとしているのです。つまり、2000年昔のペンテコステの聖霊降臨は、神さまが、この罪に堕落した世界にエルサレムとイスラエルを通して「神の似姿を回復した人物」で満たすという、そのビジョン達成のために、神が特別に設けられた日であったことを、ルカを私達に教えようとして、「五旬節の日が満ちた」と語りました。パウロは、キリストが母マリヤから誕生した出来事を「時は満ちて」と語って、その出来事が預言の成就であった事を教えています。女からのメシヤ誕生の預言は創世記3章15節から始まりますが、それから約4000年後にメシヤがマリヤから生まれた事で預言が成就したのです。それをパウロは「時が満ちて」と語りました。
◆「ガラ 4:4 しかし時が満ちて、神はご自分の御子を、女から生まれた者、律法の下にある者として遣わされました。
ルカもパウロも、神の預言や御心が長い長い時間をかけて成就された事を「時が満ちて」と言う表現を使ったのです。
2000年昔の五旬節の聖霊降臨は、その型として最初の五旬節の祭り日から、神が歴史を統治し、万物を統治しながら、長い時間をかけて「神の似姿を回復した人物」を罪に堕落したこの地に満たすという、ご自身の壮大なビジョン達成に向けての重要な一里塚として実現されたのです。その事を、先ず、私達はしっかりと理解して、聖霊の実際のお働きを学びたいと思います。
3、なぜ、聖霊はエルサレムに留まっていた弟子達に降ったのか
弟子達は、キリストが天にお帰りになられてから、迫害が厳しいエルサレムを離れないで、何故エルサレムに留まっていたのでしょうか。それは、復活のキリストが約束の聖霊を受けるまでは「エルサレムを離れてはならないと」命じられていた事によります。キリストはエルサレムを通して父なる神がご自身のビジョンを達成していくという、その御心をよくご存知であったので「都に留まっていなさい」と言う命令を弟子達に与えられたのです
◆「ルカ24:49 さあ、わたしは、わたしの父の約束してくださったものをあなたがたに送ります。あなたがたは、いと高き所から力を着せられるまでは、都にとどまっていなさい」。                                      このルカによる福音書の約束をルカは使徒行伝でもう少し詳しく教えています。
◆「使1:4 彼らといっしょにいるとき、イエスは彼らにこう命じられた。「エルサレムを離れないで、わたしから聞いた父の約束を待ちなさい。 1:5 ヨハネは水でバプテスマを授けたが、もう間もなく、あなたがたは聖霊のバプテスマを受けるからです。」
4、聖霊降臨の目的
 弟子達は、迫害が厳しい「エルサレムから一刻も早く離れたい」という自分達の肉の思いを捨てて、キリストの命令に従って「エルサレム」に留まり続けたのです。その命がけの従順の故に、彼らは「聖霊降臨」と言うとてつもない恵みに預かる事ができたのです。キリストは聖霊降臨の約束を「聖霊のバプテスマ」だと教えられました。その聖霊が降る時、心身共に神の力を受け、神の力を着せられ、神の力に覆われて、「エルサレムとユダヤとサマリヤの全土、更に地の果てまでも私の証人となる」と約束されました。聖霊の力に満たされて生きる最も重要な意味は、「キリストの証人」として生かされるという事です。聖霊に満たされる目的は、何か事業や運動や活動を立派に成し遂げて自分の名を上げる為ではありません。あくまでも、イエス・キリストの名が崇められる為の「福音宣教」に命がけで励む者となる為です。その為に神は私たちをいつも聖霊で満たし、聖霊の力で覆いたいと強く熱く願っておられのです。

5、聖霊降臨の恵みに与った弟子達の変わりよう
 聖霊のバプテスマに与り、神の力で心身が覆われた使徒行伝のキリスト者達は、以前とはまるで異なる生き方をするようになったのす。次の通りです。
第1に、平安と喜びに満たされて生きるキリスト者になりました                                 弟子達は聖霊による平安と喜びこそが、人の救いの為の「福音宣教」の原動力だという事を体験しました。ペンテコステ日に聖霊降臨の恵みに預かった弟子達はまるで酒に酔っているかのように喜びに満たされていたのです。それは、今まで体験した事が無い神による深い聖なる平安と喜びでした。
◆「使 2:13 しかし、ほかに「彼らは甘いぶどう酒に酔っているのだ」と言って・・」
◆「使 9:31 こうして、教会はユダヤ、ガリラヤ、サマリアの全地にわたり築き上げられて平安を得た。主を恐れ、聖霊に励まされて前進し続け、信者の数が増えていった。」
第2に、「メッセージ」に人を救いに導く力が与えられました。
弟子達は、「従えば人間を獲る漁師します」と言う主の約束通りに、聖霊の力で多くの人々を救いに導く者となりました。五旬節の日、ペテロは1回の説教でなんと約3000人を救いに導き、洗礼へと導いたのです。
◆「使2:40 ペテロは、このほかにも多くのことばをもって、あかしをし、「この曲がった時代から救われなさい」と言って彼らに勧めた。 2:41 そこで、彼のことばを受け入れた者は、バプテスマを受けた。その日、三千人ほどが弟子に加えられた。」
第3に、殉教も辞さない勇者になり、神の奇跡の力に徹底して頼り神のことばを大胆に語る者となりました。
聖霊に満たされた弟子達は、厳しい迫害を受けましたが、その厳しい迫害を喜びながら主に向かって大胆に次のように祈りました。
◆「使徒4:29 主よ。いま彼らの脅かしをご覧になり、あなたのしもべたちにみことばを大胆に語らせてください。 4:30 御手を伸ばしていやしを行わせ、あなたの聖なるしもべイエスの御名によって、しるしと不思議なわざを行わせてください。」
主は彼らの信仰に満ちたその大胆な祈りにお答えになりました。
◆「4:31 彼らがこう祈ると、その集まっていた場所が震い動き、一同は聖霊に満たされ、神のことばを大胆に語りだした。」
◆「使 4:33 使徒たちは、主イエスの復活を非常に力強くあかしし、大きな恵みがそのすべての者の上にあった。」
◆「使5:27 彼らが使徒たちを連れて来て議会の中に立たせると、大祭司は使徒たちを問いただして、5:28 言った。「あの名によって教えてはならないときびしく命じておいたのに、何ということだ。エルサレム中にあなたがたの教えを広めてしまい、そのうえ、あの人の血の責任をわれわれに負わせようとしているではないか。」 5:29 ペテロをはじめ使徒たちは答えて言った。「人に従うより、神に従うべきです。 5:30 私たちの父祖たちの神は、あなたがたが十字架にかけて殺したイエスを、よみがえらせたのです。 5:31 そして神は、イスラエルに悔い改めと罪の赦しを与えるために、このイエスを君とし、救い主として、ご自分の右に上げられました。 5:32 私たちはそのことの証人です。神がご自分に従う者たちにお与えになった聖霊もそのことの証人です。」 5:33 彼らはこれを聞いて怒り狂い、使徒たちを殺そうと計った。・・・・〔議員たちは〕、5:40 使徒たちを呼んで、彼らをむちで打ち、イエスの名によって語ってはならないと言い渡したうえで釈放した。5:41 そこで、使徒たちは、御名のためにはずかしめられるに値する者とされたことを喜びながら、議会から出て行った。 5:42 そして、毎日、宮や家々で教え、イエスがキリストであることを宣べ伝え続けた。」
キリストの福音を迫害下にあって大胆の伝えたのは「使徒たち」だけではありませんでした。一般の信徒の兄弟姉妹も同様でした。その事をルカは以下のように教えています。
◆「使サウロは、ステパノを殺すことに賛成していた。その日、エルサレムの教会に対する激しい迫害が起こり、使徒たち以外の者はみな、ユダヤとサマリヤの諸地方に散らされた。 8:2 敬虔な人たちはステパノを葬り、彼のために非常に悲しんだ。 8:3 サウロは教会を荒らし、家々に入って、男も女も引きずり出し、次々に牢に入れた。 8:4 他方、散らされた人たちは、みことばを宣べながら、巡り歩いた。
第4に、キリスト者同志の交わりを大切にし、互いに深く助け合うようになりました。
聖霊の力に覆われた弟子達は、一匹オオカミのように、自分一人で何でもできるとは決して言いませんでした。へりくだって、他のキリスト者の存在があって自分がある、他のキリスト者の悲しみは自分の悲しみ、他のキリスト者の喜びは自分の喜びとして、キリスト者同志の相互扶助の関係を非常に大事にして生きる人になったのです。その事を、以下のみ言葉が教えています。
◆「使 2:44 信者となった者たちはみないっしょにいて、いっさいの物を共有にしていた。 2:45 そして、資産や持ち物を売っては、それぞれの必要に応じて、みなに分配していた。 2:46 そして毎日、心を一つにして宮に集まり、家でパンを裂き、喜びと真心をもって食事をともにし、 2:47 神を賛美し、すべての民に好意を持たれた。主も毎日救われる人々を仲間に加えてくださった。」
◆「使 4:32 信じた者の群れは、心と思いを一つにして、だれひとりその持ち物を自分のものと言わず、すべてを共有にしていた。・・使4:34 彼らの中には、ひとりも乏しい者がなかった。地所や家を持っている者は、それを売り、代金を携えて来て、 4:35 使徒たちの足もとに置き、その金は必要に従っておのおのに分け与えられたからである。 4:36 キプロス生まれのレビ人で、使徒たちによってバルナバ(訳すと、慰めの子)と呼ばれていたヨセフも、 4:37 畑を持っていたので、それを売り、その代金を持って来て、使徒たちの足もとに置いた。」
中国の偉大な霊的指導者の1人であったウオッチマン・ニーは、自分が何かを買い物した時、必ず二人分を買って、他の主にある兄弟の誰かに一つはプレゼントしていたそうです。
今、私達は誰もが、イエス・キリストの十字架の死と葬りと復活の意味を正しく理解した上で、キリストを自分の救い主だと信じる人は、その信じた時点で、永遠に罪が赦され、永遠の義人とされ、永遠の命が与えられ、神の性質が造りこまれて永遠に神の子とされます。更に、その人の霊魂には、父なる神、子なる神、聖霊なる神の「三位一体の神」が永遠に内住されています。父なる神も、子なるキリストも、聖霊によって、御ご自身の愛と喜びと平安と力を、キリスト者に与えて下さいます。ですから、パウロはキリスト者がその魂に結ぶ神の愛、神の平安、神の喜びなどを「御霊の実』だとガラテヤ書で教えています。
◆「ガラ5:22 しかし、御霊の実は、愛、喜び、平安、寛容、親切、善意、誠実、 5:23 柔和、自制です。このようなものを禁ずる律法はありません。」
6、御霊に満たされ、神の力を受け続ける為に
御霊に満たされ、使徒行伝の使徒たちや信徒たちのように、主の証人として、力を受け続ける道は次の通りです。
①主の証人として召されている事を自覚する事
主の証人として、キリストの福音を伝える事が、自分がキリスト者として生かされている第1の理由だとわきまええて、日々福音宣教に心を燃やし、福音宣教のために準備をする事です。その人が、聖霊に満たされ、聖霊の力で覆われて主の証人として生かされていくのです。
②神と神の御業である万事をいつも喜び感謝する事
神のなさる事はいつも、全ての人と万物に対して喜ばしき最善の御業をされている事を信じて、「いつも」神と神の御業の全てを喜びつつ感謝する事です。パウロは、その信仰の生き方に聖霊が働きその信仰の生き方を止めると聖霊の働きはそのキリスト者に対して「消える」と警告しています。つまり、聖霊に満たされ続ける道は「いつも喜び、全ての事に感謝せよと」と言う神さまのみ言葉に「従順である事」です。
◆「Ⅰテサ 5:16 いつも喜んでいなさい。 5:17 絶えず祈りなさい。 5:18 すべての事について、感謝しなさい。これが、キリスト・イエスにあって神があなたがたに望んでおられることです。 5:19 御霊を消してはなりません。」
多くの人は、自分の思い通りにならなかったり、自分の欲望が否定されたり、自分の人道主義精神と合わない悲し事や苦しい事や、酷い事があると、ヨブの妻のように「神を憎み否定する」という、古い人から湧き起こる不信仰の罠に陥ってしまいます。私は、そうした古い人から湧き起こって来る神を憎んだり、軽蔑したり、不信仰な思いになる自分がいる事をいやというほど、示されてきましたが、その克服の為に、これまで神さまの助けを繰り返し祈ってきました。私は、そのような古い人から湧き起こって来る不信仰な悪い思いに打ち勝って、素直にいつも神さまを喜び、神さまの全ての御業を喜ぶために、そのような悪い思いを起こさせる古い自分がキリストとも十字架で死に、いつも神を喜び、神の全ての御業を喜ぶものにされているという、キリストのきよめの御業に立ってその事を宣言し続けてきました。また、その信仰に立って、安んじて、毎朝、私は跪いて、両手を天に挙げ、心を尽くして力を尽くして「父よ、感謝します! あなたが全力を尽くして万物を創造し、全力を尽くして万物を保持し、全力を尽くして燃える心を持って、『メシヤ的王国』を実現する為に、世界の歴史を統治され導かれている事を感謝します。そして、私も神の栄光の為に今日も全力を尽くして生かして下さり感謝します。今日一日、全力を尽くしてあなたにお仕えできるように、導き助けて下さい。イスラエルに祝福がありますように!」と祈ります。夜寝る前にも跪き、両手を上げて心を尽くして「父よ、今日の一日を感謝します。全力尽くして今日も私を愛して下さり有難うございました。三度の食事を有難うございました。」と祈って、その日体験した主な出来事を感謝し、その日一日生かされた事への感謝の祈りを捧げます。そのように、私は跪いて両手を上げて、心を尽くして力を尽くして神さまに感謝するようになってから、全ての出来事が、私には、神さまからの宝石のように思えるようになったのです。そうすると、その信仰からくる喜びと平安が聖霊によって増し加えられ、神の力が私を覆うっている事を知るようになりました。
③神のビジョンを喜んで共有する
最後に、もう一つ聖霊の力に満たされる道をお教えしたいと思います。それは、神の「神の似姿を回復した人(キリストのような人物)」を、エルサレムとユダヤ人とエルサレム神殿を通して地に満たすという、神のビジョンを自分にとって喜ばしき重要な最高最善のビジョンとして喜んで受け入れて、その神のビジョンが実現するように、エルサレムの平和の為に、熱心に祈り続ける事です。その人は、聖霊に満たされ続けていくのです。
【終わりに】
既にお伝えしましたが、キリスト者の霊魂には、三位一体の神である父なる神と御子なるキリストと聖霊なる神が内住されています。しかし、父なる神も、キリストもご自身の御心を、聖霊によって実現されて行きます。私たちが直接触れる神は「聖霊」です。父なる神とキリストは聖霊によって私たちに触れ、力を与えておられます。それ故に、キリストは聖霊を「別の助け主」と呼ばれました。聖霊に触れる事は同時、父なる神とキリストに触れている事になるのです。ですから、キリストは、まだ、聖霊を体験していいない弟子たちに、「あなた方は聖霊を知っている」と教えられました。
「ヨハ14:17 その方は、真理の御霊です。世はその方を受け入れることができません。世はその方を見もせず、知りもしないからです。しかし、あなたがたはその方を知っています。その方はあなたがたとともに住み、あなたがたのうちにおられるからです。」
キリスト者の聖霊による福音宣教の目的は、地上にキリストのような人物を満たすという神のビジョンがこの地上に実現する事にあります。あなたが、福音宣教に燃え、「古きわたし」はキリストと共に十字架で死に、キリスト共に「新しきわたし」になり、キリストのように聖く生きる者とされていると言う「キリストの聖めの福音」に立って、いつも神を喜びながら万事に感謝しつつ熱心に祈り、神のビジョンを自分のビジョンとして喜んで受け止める時に、あなたは父なる神から「私の友」、「私の証人」、「私の僕」と呼ばれる特権に与るのです。あなたが「神の友」、「神の証人」、「神の僕」として日々献身をされ、日々聖霊に満たされ、日々聖霊の力で覆われて、使徒行伝の聖徒のような生き方が日々できるようにお祈りします。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

2025年度/米子復活教会

父の日の礼拝の御案内

 

今年も、父の日に因んで以下の通りに礼拝を、創造主である天の父なる神さまにおささげをします。

人間の父親が、ご自身の愛と正義と善を反映する存在となるように願って、一人ひとりの父親を創造されました、創造主の愛と正義と善を学びながら、全ての父親が創造主の助けによって、父親としての本分を果たせる父親になれるよう祈りたいと思います。御多忙の事とは思いますが、以下の礼拝に是非お出かけくださいますようにご案内申し上げます。

 

6月15日(日)午前10時30分~

米子復活教会(米原6丁目1-13)