「祝福の為に訓練される父なる神」
聖書:ヘブル12:1~12
牧師:佐藤勝徳

「ヘブル12:1 こういうわけで、このように多くの証人たちが、雲のように私たちを取り巻いているのですから、私たちも、いっさいの重荷とまつわりつく罪とを捨てて、私たちの前に置かれている競走を忍耐をもって走り続けようではありませんか。 12:2 信仰の創始者であり、完成者であるイエスから目を離さないでいなさい。イエスは、ご自分の前に置かれた喜びのゆえに、はずかしめをものともせずに十字架を忍び、神の御座の右に着座されました。 12:3 あなたがたは、罪人たちのこのような反抗を忍ばれた方のことを考えなさい。それは、あなたがたの心が元気を失い、疲れ果ててしまわないためです。 12:4 あなたがたはまだ、罪と戦って、血を流すまで抵抗したことがありません。 12:5 そして、あなたがたに向かって子どもに対するように語られたこの勧めを忘れています。「わが子よ。主の懲らしめを軽んじてはならない。主に責められて弱り果ててはならない。 12:6 主はその愛する者を懲らしめ、受け入れるすべての子に、むちを加えられるからである。」 12:7 訓練と思って耐え忍びなさい。神はあなたがたを子として扱っておられるのです。父が懲らしめることをしない子がいるでしょうか。 12:8 もしあなたがたが、だれでも受ける懲らしめを受けていないとすれば、私生子であって、ほんとうの子ではないのです。 12:9 さらにまた、私たちには肉の父がいて、私たちを懲らしめたのですが、しかも私たちは彼らを敬ったのであれば、なおさらのこと、私たちはすべての霊の父に服従して生きるべきではないでしょうか。 12:10 なぜなら、肉の父親は、短い期間、自分が良いと思うままに私たちを懲らしめるのですが、霊の父は、私たちの益のため、私たちをご自分の聖さにあずからせようとして、懲らしめるのです。 12:11 すべての懲らしめは、そのときは喜ばしいものではなく、かえって悲しく思われるものですが、後になると、これによって訓練された人々に平安な義の実を結ばせます。 12:12 ですから、弱った手と衰えたひざとを、まっすぐにしなさい。」
今日は、父の日ですので、父の日に因んで「祝福の為に訓練をして下さる父なる神」の愛を学びたいと思います。

1、父なる神の愛の訓練としての試練(苦難)の恵み
ヘブル書12章11節に「これによって訓練された人々に平安な義の実を結ばせます。」と、教えられていますが。「これによって」と言うのは、イエス・キリストのように、徹底して従順でないキリスト者が、キリストのように徹底して不従順の罪を退けて従順の道を歩むことを願って、懲らしめとしての試練を与えられることです。それがが「これによって」です。その父なる神が与える苦難と言う厳しい試練を父なる神の従順の為の愛の訓練として、善として受けとめて喜び感謝を捧げる者は平安の義のみを結ぶと約束されています。「平安な義の実」というのは、父なる神の訓練によって従順な者となって霊的にも、物質的にも、肉体的にも、あらゆる事で祝福を受ける事を意味しています。
2、旧約時代の聖徒達の信仰
父なる神は、従う者に必ず良き報いとしての祝福を与えて下さるというのが、旧約時代の聖徒達の信仰でした。その信仰が11章で次のように教えています。
◆「ヘブル11:1 信仰は望んでいる事がらを保証し、目に見えないものを確信させるものです。 11:2 昔の人々はこの信仰によって称賛されました。・・ 11:6 信仰がなくては、神に喜ばれることはできません。神に近づく者は、神がおられることと、神を求める者には報いてくださる方であることとを、信じなければならないのです。」
神に近づくとか、神を求めるというのは、創造主の神に聞き従事を意味しています。神に祈り求め聞き従えば、必ず神は祝福をもって報いて下さるというのが旧約の聖徒達が神に示されていた正しい信仰でした。その信仰をもって歩んだ旧約時代の聖徒達の名が11章で多く紹介されています。その一部を以下に紹介したいと思います。
①アベル
兄カインに殺害されたアダムとエバの息子アベルは、捧げものにおいて従順でした。
◆「創4:4 アベルもまた彼の羊の初子の中から、それも最上のものを持って来た。【主】はアベルとそのささげ物とに目を留められた。」

②エノク
エノクは生涯365年の内、65歳で子どもを生んだ後300年間いつも従順で神と共に歩みました。
◆「創5:21 エノクは六十五年生きて、メトシェラを生んだ。 5:22 エノクはメトシェラを生んで後、三百年、神とともに歩んだ。そして、息子、娘たちを生んだ。」
③ノア
ノアは、その時代において神の御心に叶った歩みをし、大洪水から家族や動物たちを救うの為に、神さまに示された箱舟を造る事において従順でした。
◆「創 6:8 しかし、ノアは、【主】の心にかなっていた。 6:9 これはノアの歴史である。ノアは、正しい人であって、その時代にあっても、全き人であった。ノアは神とともに歩んだ。」
④アブラハム
アブラハムの元の名は「アブラム」でした。そのアブラハムは神の導きのままに故郷を捨てて旅に出た事、また、約束の子が授けられる事を信じて20年以上待ち望んだ事、神の命令で約束のとして授けられたイサクをモリヤの山で捧げた事で、神への従順を示しました。                                                   ◆「創12:4 アブラムは【主】がお告げになったとおりに出かけた。」
◆「創21:1 【主】は、約束されたとおり、サラを顧みて、仰せられたとおりに【主】はサラになさった。 21:2 サラはみごもり、そして神がアブラハムに言われたその時期に、年老いたアブラハムに男の子を産んだ。 21:3 アブラハムは、自分に生まれた子、サラが自分に産んだ子をイサクと名づけた。」
◆「ロマ 4:19 アブラハムは、およそ百歳になって、自分のからだが死んだも同然であることと、サラの胎の死んでいることとを認めても、その信仰は弱りませんでした。 4:20 彼は、不信仰によって神の約束を疑うようなことをせず、反対に、信仰がますます強くなって、神に栄光を帰し、 4:21 神には約束されたことを成就する力があることを堅く信じました。 4:22 だからこそ、それが彼の義とみなされたのです。」
◆「創 22:1 これらの出来事の後、神はアブラハムを試練に会わせられた。神は彼に、「アブラハムよ」と呼びかけられると、彼は、「はい。ここにおります」と答えた。 22:2 神は仰せられた。「あなたの子、あなたの愛しているひとり子イサクを連れて、モリヤの地に行きなさい。そしてわたしがあなたに示す一つの山の上で、全焼のいけにえとしてイサクをわたしにささげなさい。」 22:3 翌朝早く、アブラハムはろばに鞍をつけ、ふたりの若い者と息子イサクとをいっしょに連れて行った。彼は全焼のいけにえのためのたきぎを割った。こうして彼は、神がお告げになった場所へ出かけて行った」
以上の旧約の聖徒の他、イサク、ヤコブ、ヨセフ、モーセなどの旧約の聖徒達の神に従順であれば祝福されるという真理を信じての従順と言う信仰の在り方がヘブル11章で示されています。その従順の報いとしての祝福を旧約の聖徒達は必ずしも、現世において全て体験しませんでしたが、その祝福を神さまは天において備えられ、また未来において備えられている事が11章全体において教えられています。そのような聖徒達が、初代教会の迫害の試練の中にある、新約のキリストを信じる聖徒に対して、神に従えば祝福されるというその信仰の証人として、雲のように取り囲んで応援していると、12章1節で教えています。                                                        ◆「ヘブル12:1 こういうわけで、このように多くの証人たちが、雲のように私たちを取り巻いているのですから、」
3、絡みつく罪を捨てて
ですから、迫害と言う厳しい試練の中にあっても、「絡みつく罪を捨てて、信仰と従順をもってこの地上の信仰の馳せ場を走りぬきましょう」とヘブル書の著者は勧めました。絡みつく罪と言うのは、私たちをいつも不信仰と不従順の罪に閉じ込めようとする、古い人から湧き起こって来る、様々な邪悪な思いと不信仰な思いの罪です。それらの罪は、まるでツタが絡むように絡んでくる罪ですので、気が付いたらすぐに十字架にかけ、捨て、殺すなければなければなりません。その絡みつく罪をすぐに十字架に委ね、捨て、殺すことをせずにおくと、その罪に縛られて不従順の罪やその他多くの罪を犯す結果を招き、神の祝福から遠ざかってしまうのです。
4、信仰の創始者であり完成者であるキリスト
  キリストは正に、私達が愛と正義に満ちた善なる神を善なる神として永遠に信じる、従えば祝福されるという信仰の創始者なのです。これまで、私は、何度か証をしてきましたが、神さまが善に満ちた愛と正義の神さまだと信じる信仰に最初に導いて下さったのがイエス・キリストでした。孤独と虚無からの解放と嘘のない世界を求めていた18歳から19歳の私を孤独からと虚無から解放し、嘘のない世界に導いて下さったのがキリストであり、十字架のキリストによって神の愛を体験させて頂きました。「明日の事を思い煩うな」といみ言葉、カルバリ山の十字架と言う聖歌、自分に劇薬をかけた友人をキリストによって赦したミス青森と言われた岩谷さんの証、などを通して、創造主が愛に満ちた善なるお方だと信じる信仰に導かれました。ではその信仰がいつも揺るぎなく続いたのかと言うとそうではありませんん。色々な出来事でその信仰が度々揺らいできました。失いはしませんでしたが、不安定になる事は度々でした。私のようにキリスト者の中には、迫害や色々な試練や災いに会うと、その信仰が揺らいでしまう人がいます。その揺らぐ信仰を、支え、守り、絶対に揺るぎない信仰となるように完成をして下さるのが、、キリスト者の心に内住されているイエス・キリストです。キリストは信仰の創始者であり完成者なのです。私にとっても、イエス・キリストは信仰の創始者であり、完成者なのです。愛と正義に満ちた善なる神を揺るぎなく信じる信仰が、キリストの恵みによって段々と完成に導かれつつあると感謝しています。77歳の老人の私に取って何よりも幸せな事は、好きな美味しいまんじゅうを食べる事ではありません。美味しい寿司を食べる事でもありません。大谷選手の大ホームランでもありません。善なる神を善なる神として揺るぎなく信じる信仰からくる喜び平安こそが、私にとっては一番の幸せなのです。主が、その信仰を私に根付かせ、また完成させようと導き助けて下さっているのです。

初代教会の時代、厳しい迫害に見舞われたユダヤ人キリスト者の中には、神の善を信じ切る信仰が揺らいでいる聖徒たちがいました。その揺らいだ信仰を守る為に、信仰を捨てないようにヘブル書の著者は、キリストがその信仰の創始者である完成者だから、そのキリストから目を離さないようにしましょうと、励ましを送りました。キリストも、厳しい十字架の苦難を通りましたが、神の愛と正義をいささかも疑うことなく、その信仰が揺らぐことなく十字架の苦難の先にある喜びを確信して、厳しい十字架の苦難を耐え抜きました。そのキリストを模範として見つめるようにヘブル書の著者は教えました。
私たちが、キリストによって愛と正義に満ちた善なる神を信じる信仰からくる喜びと平安に導かれたのは、実は、どんな罪も不従順も命がけで退けて、神に聞き従い、神が愛と正義に満ちた善なるお方だという事を、日々の生活において、証をするためです。そのような生き方を模範的に示されたのがイエス・キリストでした。しかし、初代の教会の聖徒の兄弟姉妹の中にはまだ、命がけで、血を流してまでも罪を退けるという戦いをした事が無い聖徒がいました。従順であるという事において徹底していない、罪に対して甘い態度示している聖徒が多くいました。それは、初代の教会の聖徒だけの問題ではありません。現代の多くのキリスト者の問題でもあります。父なる神さまは、十字架のキリストによってご自身が愛と正義に満ちた善なるお方だと信じた全ての聖徒が、キリストによって、罪を命がけで退けて、その信仰が完成に導かれ、また、神の栄光をあらわすものとなる事を願っておられます。
5、父なる神の愛の訓練
その為に、父なる神は、聖徒を懲らしめる為の苦難満ちた試練を愛の訓練として与えておられると、ヘブル書の著者は教えています。その教えは、旧約聖書の箴言の中で教えられていましたので、へブル書の著者は箴言を引用して次のように教えました。「そして、あなたがたに向かって子どもに対するように語られたこの勧めを忘れています。「わが子よ。主の懲らしめを軽んじてはならない。主に責められて弱り果ててはならない。 12:6 主はその愛する者を懲らしめ、受け入れるすべての子に、むちを加えられるからである。」 12:7 訓練と思って耐え忍びなさい。神はあなたがたを子として扱っておられるのです」                                                        ◆「箴3:11 わが子よ。【主】の懲らしめをないがしろにするな。その叱責をいとうな。 3:12 父がかわいがる子をしかるように、【主】は愛する者をしかる」
神さまが、イスラエルの民に対して父として彼らを愛し訓練されるという教えは、旧約聖書に多く教えられています。父なる神は、イスラエルをあらゆる事で祝福し、世界を祝福する民にしようと、彼らをいつも訓練されていました。罪を退け、神に従えば祝福するという、神の御心を教え続けその為の訓練をされました。
◆「イザ 55:2 なぜ、あなたがたは、食糧にもならないもののために金を払い、腹を満たさないもののために労するのか。わたしによく聞き従い、良いものを食べよ。そうすれば、あなたがたは脂肪で元気づく。
6、旧約聖書が教えるイスラエルの神の特質
 旧約聖書において、イスラエルの神の特質がどのように教えられているでしょうか。出エジプト記34:5~7において、モーセに12の特質を教えられました。創造主の神の特質を知る為に大変重要な聖書個所ですので、ご一緒にお読みしたいと思います。
◆「出34:5 【主】は雲の中にあって降りて来られ、彼とともにそこに立って、【主】の名によって宣言された。 34:6 【主】は彼の前を通り過ぎるとき、宣言された。「【主】、【主】は、あわれみ深く、情け深い神、怒るのにおそく、恵みとまことに富み、 34:7 恵みを千代も保ち、咎とそむきと罪を赦す者、罰すべき者は必ず罰して報いる者。父の咎は子に、子の子に、三代に、四代に。」
①「主」
「主」と言うのは、「有って有る者」と言う絶対者を意味しています。
②二位格の主
【主】と言うのは、神が二位格である事を示していますが、後にそれが三位格の神として啓示されます。
③憐れみ深い神
「憐れみ深い神」とは、いつも、罪深い、又、弱いイスラエルを助け、正しいイスラエルに、清められたイスラエルに、神の力に守られるイスラエルにしようと心を燃やされているお方と言う意味です。
③情け深い神
「情け深い神」とは、イスラエルの苦しみや悲しみをご自分の苦しみや悲しみとされながら、その苦しみや悲しみからイスラエルを解放しようと心を燃やされているお方と言う意味で。
④怒るのにおそい神
「怒るのにおそい神」とは、イスラエルの罪に対してをすぐに怒りをあらわして裁かずに悔いあらためのチャンスを与え待ち続ける忍耐深い神と言う意味です。
⑤恵みに富む神
「恵に富む神」とは、罪深いイスラエルは神さまから良きものを受ける資格や権利が一切ないのにも関わらず、多くの良きもので満たされているお方と言う意味です。
⑥まことに富む神
「まことに富む神」とは、ご自身の愛と正義と言う善なる性質に忠実であり、またイスラエルと約束された「モーセ契約」「アブラハム契約」等の契約に基づいてことをなさるお方と言う意味です。
⑦恵みを千代保つ神
「恵みを千代保つ神」とは、神に忠実なイスラエルの子孫には恵みを千代(長い期間の象徴的表現)及ぼされる恵み深いお方と言う意味です。
⑧咎(過失)を赦す神
⑨そむき(偶像礼拝)を赦す神
⑩罪(故意の道徳的罪)を赦す神
⑪罰すべき者を罰し報いる神
「罰すべき者を罰し報いる神」とは、悔い改めのチャンスである忍耐の時が過ぎても悔い改めない者を必ず裁かれる正義のお方と言う意味です。
⑫父の咎を三・四代の子孫に負わせる神                                              「父の咎を三・四代の子孫に負わせる神」とは、父の罪の連帯責任をその子孫には3.4代(短い期間の象徴的表現)で終わらせ、父祖の子孫が裁かれ、苦しむ事を喜ばれないお方と言う意味です。
以上の12の特質をお持ちの神が、イスラエルの父なる神だと旧約聖書は繰り返し教えています。
≪イスラエルの父なる神≫
 世界を祝福する為にイスラエルを造った12の特質をお持ちの創造主の神は、ご自身を彼らの父だと啓示されています。
①モーセへの啓示
◆「申32:6 あなたがたはこのように【主】に恩を返すのか。愚かで知恵のない民よ。主はあなたを造った父ではないか。主はあなたを造り上げ、あなたを堅く建てるのではないか。」
②イザヤの信仰
◆「イザ64:8 しかし、【主】よ。今、あなたは私たちの父です。私たちは粘土で、あなたは私たちの陶器師です。私たちはみな、あなたの手で造られたものです。」
③ダビデの賛歌
◆「Ⅰ歴代29:10 ダビデは全集団の目の前で【主】をほめたたえた。ダビデは言った。「私たちの父イスラエルの神、【主】よ。あなたはとこしえからとこしえまでほむべきかな。」
④イスラエルの孤児の父
◆「詩68:4 神に向かって歌い、御名をほめ歌え。雲に乗って来られる方のために道を備えよ。その御名は、主。その御前で、こおどりして喜べ。68:5 みなしごの父、やもめのさばき人は聖なる住まいにおられる神。」
⑤ダビデの叫び
◆「詩89:26 彼は、わたしを呼ぼう。『あなたはわが父、わが神、わが救いの岩』と。」
⑥ソロモン王の父なる神
◆「Ⅱサム7:14 わたしは彼にとって父となり、彼はわたしにとって子となる。もし彼が罪を犯すときは、わたしは人の杖、人の子のむちをもって彼を懲らしめる。」
⑦エレミヤへの啓示(イスラエルを悔い改めに導き救う父なる神)
◆「エレ31:9 彼らは泣きながらやって来る。わたしは彼らを、慰めながら連れ戻る。わたしは彼らを、水の流れのほとりに導き、彼らは平らな道を歩いて、つまずかない。わたしはイスラエルの父となろう。エフライムはわたしの長子だから。」
⑧預言者ホセアへの啓示(イスラエルをエジプトから解放した父なる神)
◆「ホセ 11:1 「イスラエルが幼いころ、わたしは彼を愛し、エジプトからわたしの子を呼び出した。」
⑨箴言の教え(イスラエルを霊的に厳しく訓練する父なる神)
◆「箴3:12 父がかわいがる子をしかるように、【主】は愛する者をしかる。」
以上のように、旧約聖書においても、創造主はイスラエルの父として、イスラエルを愛して生かして導かれたお方だと教えられています7、キリストの父なる神
イエス・キリストはそのイスラエルの父なる神をご自分の父なる神であり、ご自分はその父なる神と等しい神だと教えられました。福音書と使徒行伝において、キリストがイスラエルの神をご自分の父なる神としてお語りになったのは、約70回あります。マタイによる福音書の山上の説教では、鳥を養い、花を美しく装う優しき父なる神の事を教えられ、また、偽善を忌み嫌い人の目に隠れた善行を喜ばれるお方だと教えました。更に、祈りに答えて下さるお方として、「天にまします我らの父よ」と、喜びと感謝の心で、親しみの情を込めて祈る事を教えられました。また、全ての人に太陽を上らせ、恵みの雨を降らせて下さるお方、全ての人を平等に愛されている良きお方だと教えられました。その神の平等の愛を知っている者として、迫害する者を呪わず、祝福を祈り、敵を愛する事を教えられました。人間の悪い父親でも、パンを欲しがるわが子に石を与えないでしょう。魚を欲しがるわが子に蛇を与えないでしょう。なおさら、天の父なる神は求める者に良いものを下さらないはずは無いと、父なる神の完全な善を教えられました。
キリストは山上の垂訓を通して、モーセを通して教えられた神の特質の多くをしっかりと教えられたのです。
8、キリスト者の父なる神
 私たち異邦人は、愛と正義による善に満ちあふれ、祝福で満たそうといつも心を燃やされいてるイスラエルの父なる神とは無無縁の偶像崇拝者であり、永遠の滅びの道を歩んでいたものです。モーセに示された12の特質をお持ちのイスラエルの神とは無縁のものでした。また、キリストが父呼ばれた父なる神とは無念のものでした。しかし、そのような、私達異邦人も、アブラハム契約、土地の契約、ダビデ契約、新しい契約と言うイスラエルと結ばれた4つの無条件契約のおこぼれに与る事が預言されていました。ローマ書15章でパウロがその事を取り上げてります。
◆「ロマ15:8 私は言います。キリストは、神の真理を現すために、割礼のある者のしもべとなられました。それは父祖たちに与えられた約束を保証するためであり、 15:9 また異邦人も、あわれみのゆえに、神をあがめるようになるためです。こう書かれているとおりです。「それゆえ、私は異邦人の中で、あなたをほめたたえ、あなたの御名をほめ歌おう。」 15:10 また、こうも言われています。「異邦人よ。主の民とともに喜べ。」 15:11 さらにまた、「すべての異邦人よ。主をほめよ。もろもろの国民よ。主をたたえよ。」 15:12 さらにまた、イザヤがこう言っています。「エッサイの根が起こる。異邦人を治めるために立ち上がる方である。異邦人はこの方に望みをかける。」 15:13 どうか、望みの神が、あなたがたを信仰によるすべての喜びと平和をもって満たし、聖霊の力によって望みにあふれさせてくださいますように。」
旧約聖書において、異邦人もキリストを信じて救われ、イスラエルの民と共に創造主の神を父なる神として喜び讃える事が預言されていました。その預言が、異邦人であるあなたやわたしにも成就し、キリストを信じる信仰によって、罪が赦され義とされ、神の性質が造りこまれ、永遠の命が与えられ、アバ父よと呼ぶ神の子の霊である聖霊が与えられて神の子とされました。私達も、イスラエルの父なる神、キリストの父なる神を、私の「父なる神」として、親子の関係の中に導かれ親しみをもって愛の交わりができる者とされたのです。それ故に、新約聖書の中に、創造主の神がキリスト者の父なる神だという事が繰りかえし繰り返し啓示されています。ローマ人への手紙から数えて全部で25回以上啓示されています
◆「ロマ 1:7 ローマにいるすべての、神に愛され、召された聖徒たちへ。私たちの父なる神と主イエス・キリストから、恵みと平安があなたがたにありますように。」
◆「Ⅰコリ 1:3 私たちの父なる神と主イエス・キリストから、恵みと平安があなたがたにありますように。」
◆「Ⅱコリ 1:2 私たちの父なる神と主イエス・キリストから、恵みと平安があなたがたにありますように。」
◆「ガラ 1:1 人々から出たのではなく、人間を通してでもなく、イエス・キリストと、キリストを死者の中からよみがえらせた父なる神によって、使徒とされたパウロと、」
◆「ガラ 1:3 私たちの父なる神と主イエス・キリストから、恵みと平安があなたがたにありますように。」
◆「エペ 1:2 私たちの父なる神と主イエス・キリストから、恵みと平安があなたがたにありますように。」
◆「エペ 6:23 信仰に伴う、平安と愛が、父なる神と主イエス・キリストから、兄弟たちにありますように。」
◆「ピリ 1:2 私たちの父なる神と主イエス・キリストから、恵みと平安があなたがたにありますように。」
◆「ピリ 2:11 すべての舌が「イエス・キリストは主です」と告白して、父なる神に栄光を帰するためです。」
◆「コロ 1:2 コロサイにいる聖徒たち、キリストにある忠実な兄弟たちへ。私たちの父なる神から、恵みと平安があなたがたにありますように。」
◆「コロ 1:3 私たちは、あなたがたのことを祈るときにいつも、私たちの主イエス・キリストの父なる神に感謝しています。
◆「コロ 3:17 ことばであれ行いであれ、何かをするときには、主イエスによって父なる神に感謝し、すべてを主イエスの名において行いなさい。」
◆「Ⅰテサ 1:1 パウロ、シルワノ、テモテから、父なる神と主イエス・キリストにあるテサロニケ人の教会へ。恵みと平安があなたがたにありますように。」
◆「Ⅱテサ 1:1 パウロ、シルワノ、テモテから、私たちの父なる神と主イエス・キリストにあるテサロニケ人の教会へ。」
◆Ⅱテサ 1:2 私たちの父なる神と主イエス・キリストから、恵みと平安があなたがたにありますように。」
◆Ⅱテサ 2:16 どうか、私たちの主イエス・キリストと、私たちの父なる神、すなわち、私たちを愛し、永遠の慰めとすばらしい望みを恵みによって与えてくださった方ご自身が、・・」
◆「Ⅰテモ 1:2 信仰による、真のわが子テモテへ。父なる神と私たちの主キリスト・イエスから、恵みとあわれみと平安がありますように。」
◆「Ⅱテモ 1:2 愛する子テモテへ。父なる神と、私たちの主キリスト・イエスから、恵みとあわれみと平安がありますように。」
◆「テトス 1:4 同じ信仰による、真のわが子テトスへ。父なる神と、私たちの救い主キリスト・イエスから、恵みと平安がありますように。」
◆「ピレモ 1:3 私たちの父なる神と、主イエス・キリストから、恵みと平安があなたがたにありますように。」
◆「Ⅰペテ 1:2 父なる神の予知のままに、御霊による聖別によって、イエス・キリストに従うように、またその血の注ぎかけを受けるように選ばれた人たちへ。恵みと平安が、あなたがたにますます豊かに与えられますように。」
◆「Ⅱペテ 1:17 この方が父なる神から誉れと栄光を受けられたとき、厳かな栄光の中から、このような御声がありました。「これはわたしの愛する子。わたしはこれを喜ぶ。」
◆「Ⅱヨハ 1:3 父なる神と、その御父の子イエス・キリストから、恵みとあわれみと平安が、真理と愛のうちに、私たちとともにありますように。」
◆「ユダ 1:1 イエス・キリストのしもべ、ヤコブの兄弟ユダから、父なる神にあって愛され、イエス・キリストによって守られている、召された方々へ」。
9、万事と父なる神
イスラエルの父なる神は以上の12の特質をおもちであり、そのお方がいつも善にして善をなす「善なる神」だと詩篇では教えられています。
◆「【口語訳】詩  119:68 あなたは善にして善を行われます。あなたの定めをわたしに教えてください。」
旧約聖書も新約聖書も一貫して教えている事は、創造主の神は善にして善を行われる善なる神だという事です。神の愛、神の正義、神の聖、神の知恵、神の力その他神の性質、特質、本質も含めてすべ永遠に善そのもののお方です。神が善そのものという事は、無私無欲のお方であり、被造物の全ての為に、どうする事が最善なのかを知っておられ、その最善をなそうといつも心を燃やしておられるお方だという事です。それが神の栄光です。そのお方こそが、永遠に喜ばしきお方、褒め称えるべきお方、愛すべきお方、跪いて、手を叩いて、楽器を打ち鳴らして、礼拝をお受けになる相応しい聖なる名をお持ちのお方です。その聖なる名が崇めれる事が神の栄光です。そのお方が神と呼ばれるお方で、永遠に善そのものであるその方以外に神と呼ばれるものは存在していないのです。私たちが、神の栄光の為に生きるというのは、そのお方の名が崇められ賛美される為に生きるという事です。
神が、善そのもののお方であり、永遠に不変のお方だという事を、ヤコブ書では次のように教えられています。
◆「ヤコブ 1:17 すべての良い贈り物、またすべての完全な賜物は、上からのものであり、光を造られた父から下って来るのです。父には、移り変わりや、天体の運行によって生じる影のようなものはありません。」
パウロは、神が愛に満ちた善なるお方だという事をテモテ2章4節次のように教えています。「Ⅰテモ 2:4 神は、すべての人が救われて、真理を知るようになるのを望んでおられます。」
10、キリストを信じるユダヤ人と異邦人キリスト者を霊的に訓練する為
神は、イスラエルを通して、全ての人が救われる事を願って、救い主イエス・キリストをユダヤ人として私達全てのもの為に遣わされました。イエス・キリストは、十字架でイスラエルと全人類の罪を負って身代わりに刑罰を受けて、罪からの贖いの御業をなし、神さまが全人類に対して愛に満ちた善なる神だと示されました。その十字架の犠牲の愛こそが、罪人の我々に、神が善そのものだと信じる信仰を再び私たちに聖霊によって生み出したのです。                人類は、罪に堕落して、善なる神を善なる神として心から喜び愛して讃える礼拝の心を失ってきました。全ての人が、罪(アマルティア)の下に置かれ支配され奴隷となり、偶像崇拝者となり、多くの恐ろしい罪を犯す存在となってしまいました。しかし、それでも、憐れみ深い愛と正義に満ちた善なる父なる神は、全ての人に太陽を上らせ、恵みの雨を降らせ、自然の恵みを通してご自身の愛と正義と知恵と力の聖なる神聖である善をあらわしてこられました。又、特別にイスラエルを選んで、創造主である善なる父なる神としてご自身の事を世界に示されてきました。その憐れみの最たる出来事が、イエス・キリストが十字架で全人類の罪を背負って身代わりの刑罰を受けるという救いの御業でした。      ◆「Ⅰテモ 2:5 神は唯一です。また、神と人との間の仲介者も唯一であって、それは人としてのキリスト・イエスです。 2:6 キリストは、すべての人の贖いの代価として、ご自身をお与えになりました。これが時至ってなされたあかしなのです。」

神の善なる御業の中に、この地上に起こる災害、苦難、戦争、病気、けが、事故等様々な災いも含まれています。それらの災いには、悪魔や悪霊共が悪意によって引き起こす災いや、人間の過失や故意による失敗や罪によって起こる災いも含まれています。神はそのような災いが起きる事を許可されながら、それらを善とされて神の善きご計画を進めておられます。災いには、悪魔や悪霊共や人間が起こす災いだけでなく、神が積極的に創造される災いも含まれています。1つの災いの中には、そうした悪魔や悪霊共や人間のなす悪による災いと神の創造される善なる災いがふくまれていますが、そうした複雑な災いをすべて、イスラエルと全ての人間や被造物に取って善として与えておられるのです。私達はそうした善なる災いの意味を全て理解できませんが、その一つは、ヘブル書が教えるように、全てのキリスト者を霊的に訓練する為です。
11、神のビジョン
 創造主の父なる神のビジョンは、この世界に、ご自身の愛と正義と憐れみと恵みと言う聖なる性質をあらわす人物、つまり神の似姿を回復したキリストのような人格に変えられた神の子たちでいっぱいにする事です。その為に、エルサエムを選び、イスラエルを選び、エルサレム神殿を建て、キリストに十字架で全人類の罪を負わせて、救いの道、聖化の道を設けられました。 キリストを信じて、神の子とされた全てのキリスト者が、血を流すほどに徹底して罪を退ける神の子となる為に、父なる神は罪に甘いキリスト者を懲らしめる為に厳しい苦しみと痛みとは伴う試練を与えて訓練されているのです。その父なる神の厳しい訓練は当座は喜ばしい事とは思いませんが、痛みつつも喜び感謝して受け入れていれば、後で「平安な義の実を結んでいる」自分に気が付く時が来るのです。
【終わりに】
◆父たちよ
では、最後にキリスト者である父親の役割についてお伝えします。父親は、配偶者の妻と共に重大な霊的使命が課せられています。それは、わが子を神の似姿である新しい人へと救いに導くことです。わが子がキリストを信じてキリストのような人格者になる為の「聖化に道」を歩むように導き、罪を敵として退け、従順の道を歩むようにわが子を神に聞き従って訓練する事です。それが、キリスト者の父親の重大な霊的使命です。良い父はわが子に対する責任を放棄せず、子どもたちが責任ある大人になるよう養育します。子どもを主の薫陶によって教え、義に満ちて正しい生活を送るように訓練し、子どもの必要を満たさなければなりません。さらに、良い結果を期待して、時には子どもに厳しい罰を与えることも必要です。キリスト者の父親は、父なる神が自分を訓練して下さるように、父なる神と共に自分の子どもたちを訓練し、子どもが神と人とに仕える人生を送り、神の善き報いを多く、受け祝福された人生を送るように、祈りつつ育てなければならないのです。
◆「エペ6:4 父たちよ。あなたがたも、子どもをおこらせてはいけません。かえって、主の教育と訓戒によって育てなさい。」