「祝福の為に訓練される父なる神②」
聖書:ヘブル人への手紙 12章:1節~12節
 牧師:佐藤勝徳

「ヘブル12:1 こういうわけで、このように多くの証人たちが、雲のように私たちを取り巻いているのですから、私たちも、いっさいの重荷とまつわりつく罪とを捨てて、私たちの前に置かれている競走を忍耐をもって走り続けようではありませんか。 12:2 信仰の創始者であり、完成者であるイエスから目を離さないでいなさい。イエスは、ご自分の前に置かれた喜びのゆえに、はずかしめをものともせずに十字架を忍び、神の御座の右に着座されました。 12:3 あなたがたは、罪人たちのこのような反抗を忍ばれた方のことを考えなさい。それは、あなたがたの心が元気を失い、疲れ果ててしまわないためです。 12:4 あなたがたはまだ、罪と戦って、血を流すまで抵抗したことがありません。 12:5 そして、あなたがたに向かって子どもに対するように語られたこの勧めを忘れています。「わが子よ。主の懲らしめを軽んじてはならない。主に責められて弱り果ててはならない。 12:6 主はその愛する者を懲らしめ、受け入れるすべての子に、むちを加えられるからである。」 12:7 訓練と思って耐え忍びなさい。神はあなたがたを子として扱っておられるのです。父が懲らしめることをしない子がいるでしょうか。 12:8 もしあなたがたが、だれでも受ける懲らしめを受けていないとすれば、私生子であって、ほんとうの子ではないのです。 12:9 さらにまた、私たちには肉の父がいて、私たちを懲らしめたのですが、しかも私たちは彼らを敬ったのであれば、なおさらのこと、私たちはすべての霊の父に服従して生きるべきではないでしょうか。 12:10 なぜなら、肉の父親は、短い期間、自分が良いと思うままに私たちを懲らしめるのですが、霊の父は、私たちの益のため、私たちをご自分の聖さにあずからせようとして、懲らしめるのです。 12:11 すべての懲らしめは、そのときは喜ばしいものではなく、かえって悲しく思われるものですが、後になると、これによって訓練された人々に平安な義の実を結ばせます。 12:12 ですから、弱った手と衰えたひざとを、まっすぐにしなさい。」

今朝は、先週に続いて「祝福の為に訓練される父なる神」という事で、メッセージをお伝えします。
1、創造主である父なる神
ヘブル書は、厳しい迫害下にある初代のユダヤ人キリスト者が、その厳しい迫害の苦難によって、父なる神の愛と善に対する信仰を失わない事を願って、ユダヤ人キリスト者に向けて書かれた書簡です。パウロの手紙だという説がありますが、定かではありません。初代教会の指導的な立場にあるユダヤ人キリスト者が書いた事は間違いありません。細かい、モーセ律法の祭儀の事とキリストの十字架の死の事が比較しながら教えています。父なる神が創造主である事を教えながらも、父なる神は御子なるキリストによって万物を創造されたと教えています。
◆「ヘブ1:2ル神は、御子を万物の相続者とし、また御子によって世界を造られました」。
父なる神が御子によって「万物」を創造された事を、ヘブル書の著者は家を建てる建築に例えて教えています。この教えは、万物の存在が、知恵による設計や目的がない偶然によって出来たものでなく、神の知恵による目的と設計に基づいて創造され存在しているという真理を明確に教えています。
◆「ヘブル 3:4 家はそれぞれだれかが建てるのですが、すべてのものを造られたのは神です。」
人間の住まいとなる家は、人間の生活を考えて、生活しやすいように、建築家が知恵を絞って、色々と工夫して、それを大工さんたちが建てる事ができるように設計図に表して、建築に取り掛かります。そのように、万物と言うのは、存在し続ける為に、創造主の父なる神さまがご自身の全知と言う完璧な知恵によって設計され、その設計に基づいて神の御子であるイエス・キリストが創造されたのです。万物の一つ一つが非常に精密に緻密に設計されて存在しています。進化論の教えのように、虫1っ匹、石ころ一つとっても知恵の無い、目的もない、設計もない、無い無いづくしの「偶然」の積み重ねによっては、決して存在しえないものとなっています。
◆「ヘブル 3:4 家はそれぞれだれかが建てるのですが、すべてのものを造られたのは神です。」
以上のみ言葉は、万物が偶然の積み重ねで出来たという「進化論」を否定しているみ言葉となっています。

2、創造主はイスラエルの父なる神となられた
万物を愛と正義と完璧な知恵と全能の力を尽くして創造された唯一の真の神であるお方は、人類の多くの民族の中で、唯一イスラエル民族の父なる神となられました。それは、イスラエルを通して、罪によって失われた「神の似姿」を回復した、イエス・キリストのような、愛に満ち罪に厳格な正義に満ちた人物を世界に満たす為でした。          イスラエル民族は、約400年間、エジプトで奴隷として苦しんでいましたが、創造主は、ご自身のビジョン達成に向けて、彼らを数々の奇跡をもって「エジプト」から、モーセによって解放しました。(AD14世紀)13世紀ごろ)。その解放された「イスラエル民族」を神さまは、「わが子」と呼び、ご自身をイスラエル民族の父である事を表明されました。その事がホセア書で教えられています。
◆「ホセ 11:1 「イスラエルが幼いころ、わたしは彼を愛し、エジプトからわたしの子を呼び出した。」
神のビジョン達成の為に、エジプトから解放した「イスラエル民族」がどれほど深く神に愛され尊ばれているか、旧約聖書は繰り返し、創造主のイスラエルへの深い永遠の愛が教えられています。その聖句が沢山ありますが、いくつかご紹介をします。
◆「イザ43:4 わたしの目には、あなたは高価で尊い。わたしはあなたを愛している。」
この聖句は、神のビジョン達成の為に、神の祝福を世界にもたらす為に創造された「イスラエル民族」を創造主の神は、高価で尊い宝石のように愛されている事を教えています。
◆「イザ 44:21 ヤコブよ、これらのことを心に留めよ。イスラエルよ、あなたはわたしのしもべ。わたしがあなたを形造った。あなたは、わたし自身のしもべだ。イスラエルよ、あなたはわたしに忘れられることがない。」
この聖句は、創造主の神の僕として創造された「イスラエル民族」は、創造主によって永遠に愛され忘れられない民族だという事が教えられています。
◆「イザ 49:15 「女が自分の乳飲み子を忘れるだろうか。自分の胎の子をあわれまないだろうか。たとえ女たちが忘れても、このわたしは、あなたを忘れない。49:16 見よ。わたしは手のひらにあなたを刻んだ。あなたの城壁は、いつもわたしの前にある」
この聖句では、神はイスラエル民族に対して乳飲み子を愛する母親のように、胎に宿っている子を愛する身重の女性のように優しく愛している事を教えられています。また、手のひらに刻んで永遠に忘れない存在として愛されている事と、霊的城壁である、スラエルと結ばれた4つの無条件契約の「アブラハム契約」「土地の契約」「ダビデ契約」「新しい契約」で永遠に保護し、愛されている事が教えられています。
以上の、イザヤ書が教える創造主のイスラエル民族を愛する神の愛が、他の預言者によっても繰り返し教えられています。そのイスラエル民族が、創造主によってどれほど高く尊ばれ愛されている事でしょうか。それは、父なる神の御子、イエス・キリストに匹敵する尊い存在として愛されている事を、マタイによる福音書が教えています。
イエス様が、ユダヤのベツレヘムに誕生された時、ヘロデ大王によって殺害される危機から逃れるために、ヨセフとマリヤに連れられてエジプトに逃避されました。しばらくしてから、ヘロデ大王がなくなったので、ヨセフとマリヤは幼子のイエス様を連れてエジプトから、ユダヤの地に戻られました。その出来事を、マタイは先ほど紹介しましたホセア書11:1の預言の成就だと教えています。
◆「マタ2:15 ヘロデが死ぬまでそこにいた。これは、主が預言者を通して、「わたしはエジプトから、わたしの子を呼び出した」と言われた事が成就するためであった。」
ホセアの11:1の預言の言葉は本来、過去においてイスラエル民族に起こったエジプトからの解放を教えたのですが、マタイは。聖霊の導きによりその預言の言葉は、幼子のキリストがエジプトから導き出される事を預言していたものだと理解していました。その事は、父なる神が独り子なる我が子キリストを愛するのと同じくらい「イスラエル民族」を愛されている事を教えているのです、イスラエル民族の価値は、イエス・キリストに匹敵するものだと、マタイは、私たちに教えているのです。
現代の私たち、また多くのキリスト者は、創造主の神が、イスラエル民族の父として、どれほど深くイスラエル民族を愛されている事か、聖霊によって目が開かれ、更に深く学ぶ要があるように思います。
3、キリスト者が体験する苦難の意味
①罪に厳格なキリスト者にする為に
へブル書の著者は、初代教会のユダヤ人キリスト者が、厳しい迫害下にあって、旧約の預言者たちが教えるイスラエル民族に対して、創造主の神が父として深く愛されている事を忘れてしまっていたので、その事を思い出させようとして、箴言のみ言葉を引用して次のように教えました。
◆「12:5 そして、あなたがたに向かって子どもに対するように語られたこの勧めを忘れています。「わが子よ。主の懲らしめを軽んじてはならない。主に責められて弱り果ててはならない。 12:6 主はその愛する者を懲らしめ、受け入れるすべての子に、むちを加えられるからである。」
初代教会のユダヤ人キリスト者が体験している厳しい迫害の意味は、罪に甘いユダヤ人キリスト者を、罪に厳格なものとなる事を願っての、イスラエル民族の父なる神による愛の訓練、善なる訓練だという事でした。 私達、キリスト者が体験する様々な苦しみの意味は複数ありますが、その意味は、第1に、ヘブル書12章が教えるように、罪に厳格なものとなる事を願っての父なる神の訓練として試練があります。その試練について詩篇では次のように教えられています。
◆「詩 119:71 苦しみにあったことは私にとって幸せでした。それにより私はあなたのおきてを学びました。」
②神の栄光が顕れる為に
1)生まれつき盲人の癒し
キリスト者が体験する苦難の第2の意味は、苦難を通して神の栄光の御業が現れる為です。弟子達は、生まれながら盲人である人を指して、キリストに次のように尋ねました。「先生。彼が盲目に生まれついたのは、だれが罪を犯したからですか。この人ですか。その両親ですか」と。その質問にキリストは次のように返答をされました。「「この人が罪を犯したのでもなく、両親でもありません。神のわざがこの人に現れるためです。」と。この問答は既によくご存じの事と思います。キリストはそのようにお答えになってから、唾で造った泥を彼の目に塗り、シロアムと言う池で洗うように命じられました。当時、生まれながらの盲人を癒すことが出来るのメシヤのみだと、ラビたちは教えていました。そのメシヤがご自分である事をキリストは、その盲人がシロアムの池に行って洗って癒すという奇跡によって示されました。シロアムのは意味は「遣わされた者」です。キリストは、生まれつきの盲人をシロアムの池の水で癒して、ご自身が父なる神によって遣わされた「メシヤ」だと、当時のユダヤ人に悟らせようとされたのです。それが神の栄光の御業でした。どのような栄光の御業の為か、私達は全てを理解する事はできませんが、キリスト者が遭遇する苦難には、ただ神の栄光の御業の為と言う目的のための苦難があるのです。
2)ヨブの苦難
旧約時代において、その苦難を体験したのが、とても信仰深い敬虔なヨブでした。彼についてヨブ記は次のように教えています。「ヨブ1:1ウツの地にヨブという名の人がいた。この人は潔白で正しく、神を恐れ、悪から遠ざかっていた。」と、その彼が一日にして10人の子どもを失い、全財産を失い、おまけに酷い病気に襲われたのです。しかしその厳しい苦難wp体験した事について、ヨブは次のように告白しました。
「1:21私は裸で母の胎から出て来た。また、裸で私はかしこに帰ろう。【主】は与え、【主】は取られる。【主】の御名はほむべきかな。」主は与え、主は取り給う。主の名をふむべきかなあ」と言って、神に感謝を捧げました。又、次のようにも告白しました。「ヨブ 2:7 サタンは【主】の前から出て行き、ヨブの足の裏から頭の頂まで、悪性の腫物で彼を打った。
 2:8 ヨブは土器のかけらを取って自分の身をかき、また灰の中にすわった。 2:9 すると彼の妻が彼に言った。「それでもなお、あなたは自分の誠実を堅く保つのですか。神をのろって死になさい。」 2:10 しかし、彼は彼女に言った。「あなたは愚かな女が言うようなことを言っている。私たちは幸いを神から受けるのだから、わざわいをも受けなければならないではないか。」ヨブはこのようになっても、罪を犯すようなことを口にしなかった。」
以上のように、霊的にも道徳的にも非の打ちどころがなかったヨブは、厳しい苦難を体験しても、それらが神の愛と正義による善意によって起きている苦難だと知っていましたので、創造主の神さまに対して、痛みつつも、苦しみつつも喜んで感謝を捧げたのです。しかし、その信仰が一時揺るぎ、ヨブの友達との押問答が続きます。一時的に神さまに逆らうことばを口にする事もありました。人生を呪ったのです。しかし、しばらくの葛藤の末でしたが、神さまの助けによって最初の信仰を回復させ揺るぎないものとして行きました。新約聖書のヤコブ書の著者は、ヨブの忍耐を称賛し、ヨブに苦難を与えた創造主の神を「主は慈愛に富み、あわれみに満ちておられます。」と讃えました。
◆「ヤコブ 5:11 見なさい。耐え忍んだ人たちは幸いだと私たちは思います。あなたがたはヨブの忍耐のことを聞き、主によるその結末を知っています。主は慈愛に富み、あわれみに満ちておられます。」
3)横田早紀江さんの苦難
理不尽に思える厳しい苦難に出会った時、ヨブの創造主神の絶対的愛と善意を信じ切る信仰の言葉によってどれだけ多くの人が、苦難の中にあって神の愛、神の慈しみ、神の喜ばしき善なる性質を信じる信仰に導かれたか、数知れません。そのお一人が、娘さんである「恵さん」が中学生の13歳の時に、突然姿を消し、後に北朝鮮に拉致される事を知り、、母親としてとても深い心の傷と悲しみを負った「横田早紀江さん」がいます。その時の悲しみを横田さんは次のようにかたっておられるとネットで紹介されていました。「この苦しみから解放されるなら、もう死んでしまいたい。——どんなに号泣し、息も止まれと止めてみても、海辺に行って何度死を思って見ても、悲しい朝はまたやってきます」とネットでインタビューに答えた「横田早紀江さん」の証が以下のように載っていました。                                「そんな頃、たまたま近くにいらした宣教師の家で「聖書の会」が開かれていて、めぐみさんの同学年の男の子のお母さんが出席していた。その方が、早紀江さんに「ヨブ記を読んでね」、と言って聖書を置いて行った。ヨブ記には、「私は裸で母の胎から出て来た。また、裸で私はかしこに帰ろう。主は与え、主は取られる」(ヨブ記1・21)とあった。「主は娘をこのような私のもとに与えてくださった方であるし、取られることもあるのだ」と気づかされ、何か意味があるのだな、と早紀江さんは感じました。そして、見えることにばかり気を取られているようなこれまでの自分の生き方ではなく、見えないけれども、ものすごく大きな魂の世界の言葉ではないかと、受け止めたのです。この経験を通して早紀江さんは、人のいのちを支配している神がおられることを知り、人知を超えた神の視点に目をむけるようになります。特にヨブ記の「あなたは、神の深さを見抜くことができようか。全能者の極限を見つけることができようか。それは天よりも高い。あなたに何ができよう。それはよみよりも深い。あなたが何を知り得よう。」(ヨブ記11:7、8)は、彼女の心に深く刻まれます。早紀江さんは、『人類の及ばない所のあなたの存在は、この世の悲しみ、苦しみ、全てを飲み込んでおられることを信じます。めぐみの悲しい人生も、この小さなものには介入できない問題であることをしりました』と証をされています。その結果、楽しいことも辛いことも、すべて受け入れなければならないのではないか、と理屈抜きで感じるようになりました。それから必死でヨブ記を読み、自分はまだヨブほどの苦しみは受けていない、もしかしたら、自分もヨブの友人たちのように、ヨブのように苦難に遭っていないのに、ヨブをいさめたりするような人になっていたかもしれない、という思いになった。早紀江さんは、人間なら誰もが持ち合わせている原罪に気づかされたのあろう。その後は、ローマ書、ヨハネによる福音書、詩編などをずっと読み、打ち砕かれ、それでも希望を与えられた。 早紀江さんは、その都度必要な御言葉によって養われ、導かれてきた。『めぐみを返してください』、という祈りに神はまだ応えてくださらない。しかし、失踪後20年たって北朝鮮にいると分かったことは、大きな祈りの応えであった。その後、拉致されていた五人が帰国、これも、神様からの時にかなった祈りの応答だった。また、めぐみさんの娘(横田早紀江さんの孫)と、更に、ひ孫(当時10か月)にまで会えた。「その都度、必要な御言葉が与えられる聖書は、どんな宝よりも、お金よりも、どんな素晴らしいものよりも、確実で平安で 温かく、善に向けて歩ませてくださる。その言葉を信頼して一生を終えることができるということを、一番幸せだったと感謝しています」と、横田早紀江さんはインタビューに応えた。」
4、異邦人キリスト者の父なる神
 私たち異邦人キリスト者は、キリストを信じるまでは、祝福で満たそうといつも心を燃やされいてるイスラエルの父なる神とは無縁の偶像崇拝者であり、永遠の滅びの道を歩んでいたものです。しかし、そのような、私達異邦人キリスト者も、イスラエルと結ばれた4つの無条件契約である「アブラハム契約」、「土地の契約」、「ダビデ契約」、「新しい契約」のおこぼれに与る事が許されたのです。
旧約聖書は、異邦人もキリストを信じて救われ、イスラエル民族と共に創造主の神を父なる神として喜び讃える事を預言しています。その預言が、あなたやわたしにも成就し、キリストを信じる信仰によって、罪が赦され義とされ、神の性質が造りこまれ、永遠の命が与えられ、アバ父よと呼ぶ神の子の霊である聖霊が与えられて神の子とされました。私達も、イスラエルの父なる神、私の「父なる神」として、親子の関係の中に導かれ親しみをもって愛の交わりができる者とされたのです。それ故に、新約聖書の中に、創造主の神がキリスト者の父なる神だという事が繰りかえし繰り返し啓示されています。ロマ人への手紙から数えて全部で25回以上啓示されています。
1)キリスト者の父なる神についての聖句
◆「ロマ 1:7 ローマにいるすべての、神に愛され、召された聖徒たちへ。私たちの父なる神と主イエス・キリストから、恵みと平安があなたがたにありますように。」
◆「Ⅰコリ 1:3 私たちの父なる神と主イエス・キリストから、恵みと平安があなたがたにありますように。」
◆「Ⅱコリ 1:2 私たちの父なる神と主イエス・キリストから、恵みと平安があなたがたにありますように。」
◆「ガラ 1:1 人々から出たのではなく、人間を通してでもなく、イエス・キリストと、キリストを死者の中からよみがえらせた父なる神によって、使徒とされたパウロと、」
◆「ガラ 1:3 私たちの父なる神と主イエス・キリストから、恵みと平安があなたがたにありますように。」
◆「エペ 1:2 私たちの父なる神と主イエス・キリストから、恵みと平安があなたがたにありますように。」
◆「エペ 6:23 信仰に伴う、平安と愛が、父なる神と主イエス・キリストから、兄弟たちにありますように。」
◆「ピリ 1:2 私たちの父なる神と主イエス・キリストから、恵みと平安があなたがたにありますように。」
◆「ピリ 2:11 すべての舌が「イエス・キリストは主です」と告白して、父なる神に栄光を帰するためです。」
◆「コロ 1:2 コロサイにいる聖徒たち、キリストにある忠実な兄弟たちへ。私たちの父なる神から、恵みと平安があなたがたにありますように。」
◆「コロ 1:3 私たちは、あなたがたのことを祈るときにいつも、私たちの主イエス・キリストの父なる神に感謝しています。
◆「コロ 3:17 ことばであれ行いであれ、何かをするときには、主イエスによって父なる神に感謝し、すべてを主イエスの名において行いなさい。」
◆「Ⅰテサ 1:1 パウロ、シルワノ、テモテから、父なる神と主イエス・キリストにあるテサロニケ人の教会へ。恵みと平安があなたがたにありますように。」
◆「Ⅱテサ 1:1 パウロ、シルワノ、テモテから、私たちの父なる神と主イエス・キリストにあるテサロニケ人の教会へ。」
◆Ⅱテサ 1:2 私たちの父なる神と主イエス・キリストから、恵みと平安があなたがたにありますように。」
◆Ⅱテサ 2:16 どうか、私たちの主イエス・キリストと、私たちの父なる神、すなわち、私たちを愛し、永遠の慰めとすばらしい望みを恵みによって与えてくださった方ご自身が、・・」
◆「Ⅰテモ 1:2 信仰による、真のわが子テモテへ。父なる神と私たちの主キリスト・イエスから、恵みとあわれみと平安がありますように。」
◆「Ⅱテモ 1:2 愛する子テモテへ。父なる神と、私たちの主キリスト・イエスから、恵みとあわれみと平安がありますように。」
◆「テトス 1:4 同じ信仰による、真のわが子テトスへ。父なる神と、私たちの救い主キリスト・イエスから、恵みと平安がありますように。」
◆「ピレモ 1:3 私たちの父なる神と、主イエス・キリストから、恵みと平安があなたがたにありますように。」
◆「Ⅰペテ 1:2 父なる神の予知のままに、御霊による聖別によって、イエス・キリストに従うように、またその血の注ぎかけを受けるように選ばれた人たちへ。恵みと平安が、あなたがたにますます豊かに与えられますように。」
◆「Ⅱペテ 1:17 この方が父なる神から誉れと栄光を受けられたとき、厳かな栄光の中から、このような御声がありました。「これはわたしの愛する子。わたしはこれを喜ぶ。」
◆「Ⅱヨハ 1:3 父なる神と、その御父の子イエス・キリストから、恵みとあわれみと平安が、真理と愛のうちに、私たちとともにありますように。」
◆「ユダ 1:1 イエス・キリストのしもべ、ヤコブの兄弟ユダから、父なる神にあって愛され、イエス・キリストによって守られている、召された方々へ」。
2)キリスト者が創造主の「神の子」であることを教える聖句
 異邦人キリスト者が、キリストを信じた結果「神の子」となった事を教える聖句が以下の通り数多くあります。
◆「ヨハ 1:12 しかし、この方を受け入れた人々、すなわち、その名を信じた人々には、神の子どもとなる特権をお与えになった。」
◆「ロマ 8:14 神の御霊に導かれる人はみな、神の子どもです。」
◆「ロマ 8:16 御霊ご自身が、私たちの霊とともに、私たちが神の子どもであることを証ししてくださいます。」
◆「ロマ 8:19 被造物は切実な思いで、神の子どもたちが現れるのを待ち望んでいます。」
◆「ロマ 8:21 被造物自体も、滅びの束縛から解放され、神の子どもたちの栄光の自由にあずかります。」
◆「ロマ 9:8 すなわち、肉の子どもがそのまま神の子どもなのではなく、むしろ、約束の子どもが子孫と認められるのです。」
◆「ロマ 9:26 あなたがたはわたしの民ではない、と言われたその場所で、彼らは生ける神の子らと呼ばれる。」
◆「ガラ 3:26 あなたがたはみな、信仰により、キリスト・イエスにあって神の子どもです。」
◆「ピリ 2:15 それは、あなたがたが、非難されるところのない純真な者となり、また、曲がった邪悪な世代のただ中にあって傷のない神の子どもとなり、」
◆「Ⅰヨハ 3:1 私たちが神の子どもと呼ばれるために、御父がどんなにすばらしい愛を与えてくださったかを、考えなさい。事実、私たちは神の子どもです。世が私たちを知らないのは、御父を知らないからです。」
◆「Ⅰヨハ 3:2 愛する者たち、私たちは今すでに神の子どもです。やがてどのようになるのか、まだ明らかにされていません。しかし、私たちは、キリストが現れたときに、キリストに似た者になることは知っています。キリストをありのままに見るからです。」
◆「Ⅰヨハ 3:10 このことによって、神の子どもと悪魔の子どもの区別がはっきりします。義を行わない者はだれであれ、神から出た者ではありません。兄弟を愛さない者もそうです。」
◆Ⅰヨハ 5:2 このことから分かるように、神を愛し、その命令を守るときはいつでも、私たちは神の子どもたちを愛するのです。」

【終わりに】
憐れみ深い、慈しみ深い、恵み深い創造主であるイスラエルの父なる神は、「神の似姿を回復した、キリストのような人格者」を罪に堕落したこの地上にみたすというビジョン実現の為に、イスラエルをご自身の子として選ばれ、彼らを今も父として肉親以上の父に優って、親しみを込めて愛し続けておられ、彼らにいつも最高善のみを体験させておられます。そのイスラエルのように、神はご自身のビジョン実現のために、キリストを信じたキリスト者をご自身の子として下さり、いつも肉親の父以上に、霊の父として親しみをもって愛し続け、苦しみや悲しみも含めていつも最善のみを体験させておられるのです。
神の与えて下さる苦難をいつも最善として信じて、苦難を忍び通して旧約時代の聖徒のように、ヨブのように、初代の迫害下にあった聖徒のように、これまでの新約時代の多くの聖徒のように、横田早紀江さんのように、私達も、苦難を含めて、すべての出来事は、その意味が全て分からなくても、神の善意によって起こっている最善の出来事だと信じて、喜んで感謝を捧げましょう。そのような聖徒に聖霊が働き、その人格が「栄光から栄光へと主と同じ姿に変えられ」、罪に厳格な聖徒へと引き上げられて行くのです。そのような異邦人の聖徒を通して、神はイスラエルの人々を救いに導き、又、多くの人々を救いへと導かれるのです。横田早紀江さんの御主人も早紀江さんの信仰の影響を受け、亡くなる少し前にキリストを信じて救われ洗礼に導かれました。またその他多くの人々が横田早紀江さん信仰の証により、救いに導かれています。私達も、いかなる苦しみや試練に遭遇しても、揺るぎなく万事に感謝して、神の栄光の御業の為に多くの人々の救いの為に用いられる者とされましょう。