「愛の実践の秘訣⑤」
聖書:Ⅰコリント13章1節~13節
牧 師 : 佐 藤 勝 徳

「Ⅰコリ13:1 たとい、私が人の異言や、御使いの異言で話しても、愛がないなら、やかましいどらや、うるさいシンバルと同じです。13:2 また、たとい私が預言の賜物を持っており、またあらゆる奥義とあらゆる知識とに通じ、また、山を動かすほどの完全な信仰を持っていても、愛がないなら、何の値うちもありません。 13:3 また、たとい私が持っている物の全部を貧しい人たちに分け与え、また私のからだを焼かれるために渡しても、愛がなければ、何の役にも立ちません。 13:4 愛は寛容であり、愛は親切です。また人をねたみません。愛は自慢せず、高慢になりません。 13:5 礼儀に反することをせず、自分の利益を求めず、怒らず、人のした悪を思わず、 13:6 不正を喜ばずに真理を喜びます。 13:7 すべてをがまんし、すべてを信じ、すべてを期待し、すべてを耐え忍びます。13:8 愛は決して絶えることがありません。預言の賜物ならばすたれます。異言ならばやみます。知識ならばすたれます。 13:9 というのは、私たちの知っているところは一部分であり、預言することも一部分だからです。 13:10 完全なものが現れたら、不完全なものはすたれます。 13:11 私が子どもであったときには、子どもとして話し、子どもとして考え、子どもとして論じましたが、おとなになったときには、子どものことをやめました。13:12 今、私たちは鏡にぼんやり映るものを見ていますが、その時には顔と顔とを合わせて見ることになります。今、私は一部分しか知りませんが、その時には、私が完全に知られているのと同じように、私も完全に知ることになります。 13:13 こういうわけで、いつまでも残るものは信仰と希望と愛です。その中で一番すぐれているのは愛です。」

【はじめに】

先週、愛は「礼儀に反する事はしない」と言うパウロの教えから、神様に対して愛礼儀を重んじる事についてお伝えしましたが、今朝はその続きをご一緒に学びたいと思います。

1、約束を信じて深く感謝する

聖書には約3万個の約束の言葉があると言われています。聖書はまさしく、創造主の神さまが罪びとの私たちの祝福の為に、愛の約束に満ちた書です。聖書は創造主の神さまの罪びとの私たちへの約束の書となっています。その為に「旧約聖書、新約聖書」と聖書を二つに分けて神さまの約束を教えています。キリストが十字架に死なれてから、古い時代は終わり新しい時代となりましたので、古い時代において与えられた約束には、新しい時代にも引き継いでいる約束と古い時代に終わった約束もあります。私たちは、どのような約束が与えられているか、綿密に調べて、その約束に対して創造主の神さまに深く喜んで精一杯感謝をささげる事が創造主の神さへの礼儀となります。これまで、皆さんは創造主が与えて下さっている多くの約束を覚えて深く喜び精一杯感謝をささげられて来たでしょうか。全ての約束を知らなくても、知っている約束に関して深く喜び精一杯感謝をささげて神さまへの礼儀を尽くしましょう。ここでは、知っておかなければならない幾つかの重要な約束についてご一緒に学んでおきたいと思います。

聖書の約束の中で最大の約束はメシヤ、救い主を罪に堕落したこの世界に遣わすという約束です。その最初の約束は創世記3章15節に啓示され、エバを誘惑しアダムを罪に堕落させたサタンに向かって教えられた人類への約束です。それは、メシヤは女の子孫から生まれ、悪魔と悪魔の息子反キリストを滅ぼすという約束です。それが人類に示された最初の福音ですので「原始福音」と呼ばれています。「創3:14 神である【主】は蛇に仰せられた。「おまえが、こんな事をしたので、おまえは、あらゆる家畜、あらゆる野の獣よりものろわれる。おまえは、一生、腹ばいで歩き、ちりを食べなければならない。 3:15 わたしは、おまえと女との間に、また、おまえの子孫と女の子孫との間に、敵意を置く。彼は、おまえの頭を踏み砕き、おまえは、彼のかかとにかみつく。」

メシヤを人類に遣わす為に、神様はイスラエルを選びましたので、メシヤ派遣の約束がイスラエル民族に示されて行きました。創造主は、この世界にメシヤを遣わしてこの世界を救い祝福するために、イスラエル一つの条件契約と4つの無条件契約を結ばれたのです。

2、イスラエルと結ばれた一つの条件契約と4つの無条件契約

①アブラハム契約

第1に「アブラハム契約」です。アブラハム契約は、アブラハム、イサク、ヤコブそしてイスラエルへの受け継がれて来た約束ですが、その条項は4つあります。

1)カナンの地の全土をイスラエル民族に与える
2)メシヤを遣わす
3)イスラエル民族の人口を空の星、海の砂の如く増やす
4)イスラエル民族を通して全世界を祝福する

以上の4つです。メシヤを遣わすという約束は既に成就しましたが、他はまだ実現していません。これからです。

②土地の契約(モアブ契約)

第2に土地の契約です。土地の契約はアブラハム契約の再確認としてモアブの地でイスラエルと結ばれた契約です。その為に「モアブ契約」とも呼ばれています。

③ダビデ契約

第3に、ダビデ契約です。ダビデ規約の条項は4つあります。①ダビデ王朝の約束です。ダビデ王朝の約束とは、イスラルの国が続く限り、ダビデの血統のから王が出るという約束です。②息子ソロモンが王となるという約束です。③ダビデが復活をして再びイスラエルの王となるという約束です。④ダビデの子孫からメシヤが出現しイスラエルを治める王となるという約束です。ダビデ王朝の約束は実現し、ソロモンが王になるという約束も実現しました。又、ダビデの子孫からメシヤが出現するという約束も実現しましたが、メシヤがイスラエルの王となるという約束はまだ実現していません。これからの未来に成就する約束です。

④新しい契約

第4に、新しい契約です。新しい契約条項は二つあります。①イスラエルの地上において犯してきた罪、これから犯すであろう罪が全部永遠に赦されるという約束です。②イスラエル民族の全てが神の律法を守るものとなる為に、イスラエル民族の心に律法が刻印されるという約束です。

⑤モーセ契約

モーセ契約は、十戒を含め全部で613の戒めがあり、守れば祝福、逆らえば呪いという、条件契約となっており、その中で、モーセのような「メシヤ」を遣わすという契約が特別に盛り込まれました(参照:申命記18章15節。)モーセ契約はキリストの十字架の死で終わりましたが、「メシヤ」を遣わすという約束はキリストの出現で成就しました。

3、イスラエルと結ばれた契約に結ばれた異邦人キリスト者

以上の、創造主の神さまがイスラエルと結ばれた一つの条件契約と4つの無条件契約の成就は、イスラエル民族を通して異邦人が神さまに祝福される為でもあるのです。現在、キリストを信じた者は、創造主がイスラエルと結ばれた4つの無条件契約に結ばれ、その祝福の一部に与っています。第1に新しい契約の「罪の赦し」です。また、内住の聖霊の働きでキリストの律法を守れるようになっている事です。第2に、アブラハム契約の「世界を祝福する」という言う契約に与り、キリスト者も世界を祝福するアブラハムの子孫となっている事です。アブラハム子孫になったという事が「霊的イスラエル」になったという事ではありませんのでお気を付けください。聖書の何処にも、キリストを信じた教会が「新しいイスラエルになった」という「置換神学」は教えられていません。置換神学はイスラエルを呪う悪魔の神学ですので気を付けて下さい。

キリストがイスラエルの王となるというダビデ契約は、キリストが地上に再臨されて成就し実現される約束です。その約束は預言者が「主の日」或いは「怒りの日」呼んで預言し、黙示録で啓示されている「7年の大艱難時代」後に実現します(参照:イザヤ13:13、エレミヤ46:10)。7年の大艱難時代がいつ始まるか、そのしるしを聖書は教えています。それは、イスラエルがこれから登場する偽の平和のメシヤ反キリストと安全保障条約を結ぶ事です。その出来事が7年の大艱難時代が始まるしるしです(参照:ダニエル書9章27節、イザヤ28:14~22)。今、私たち誰ひとりキリストがいつ地上に再臨されるかは誰も分かりません。しかし、イスラエルが反キリストと安全保障条約を結ぶ事を目撃した人は、その7年後にキリストの地上再臨は実現するという事を断言する事が出来ます。それまでは、誰もキリストの地上再臨の日時については知る事は出来ません。キリストが地上に再臨されて実現される「メシヤ的千年王国」において、私たちキリスト者も、物心両面の大いなる祝福を受けて、愛の実践と喜びに満たされた千年を送るのです。

私たちキリスト者は地上にキリストによって実現されたメシヤ的王国において1コリント13章の定義された愛の全てを十分に完ぺきに実践するのです。何ひとつ罪を犯すことが無いのです。完全に正義を行うのです。何故、そのように言えるのでしょうか。それは、キリストの空中再臨と言う約束があるからです。

4、教会に約束されたキリストの空中再臨

やがて地上再臨されるキリストは、イスラエル民族と結ばれた4つの無条件契約の成就として「メシヤ的千年王国」を実現されます。主の空中再臨は、キリストの花嫁なる教会に対する約束で、それは、非常に重要な約束となっています。その約束がどれだけ重要かは、空中再臨時に起きるキリスト者への恵みの数々を知れば一目瞭然です。その約束の数々を確認しましょう。

①主が空中においでになる約束

まず、主が空中においでになる事はⅠテサロニケ4章17節ではっきりと約束されています。
◆「Ⅰテサ 4:17 次に、生き残っている私たちが、たちまち彼らといっしょに雲の中に一挙に引き上げられ、空中で主と会うのです」。

聖書ははっきりと全てのキリスト者が携挙されて「空中で主と会う」と約束しています。それはとても重大な、教会に対する約束です。キリスト者が全て空中に携挙されますので、それを神学的に「教会携挙」と言います。教会携挙はキリスト者に対する重大な約束です。

②キリスト者の体が贖われる

空中に教会が携挙される前に重大な事が全てのキリスト者に起こります。それは、死んだキリスト者は永遠に朽ちない栄光の体に復活し、生きていてキリストの空中再臨を体験する人は、肉体が永遠に朽ちない栄光の体に変えられる事です。栄光の体と言うのは、罪を犯さない、苦しまない、病気をしない、永遠に死なない体の事を意味しています。その恵みを、体の贖いと言います。霊魂の贖いという、内面の救いはキリストを信じた時に罪が赦され、永遠の命が与えられ、御霊が内住して下さって全てのキリスト者に既に実現していますが、肉体の贖い、体の贖いは、キリストが空中に顕現してくだった時に実現するのです。その重要な約束が幾つかの聖書個所で教えられています。先ずⅠテサロニケ4章16節と17節です
◆「Ⅰテサ4:16 主は、号令と、御使いのかしらの声と、神のラッパの響きのうちに、ご自身天から下って来られます。それからキリストにある死者が、まず初めによみがえり、 4:17 次に、生き残っている私たちが、たちまち彼らといっしょに雲の中に一挙に引き上げられ、空中で主と会うのです。」

以上のⅠテサロニケ4章で約束されている、復活したキリスト者と生きて共に天に挙げられる時の贖われた体の詳細についてはⅠコリント15章でパウロが教えています。その箇所で、贖われた体、救われた体とは「永遠に朽ちない体」だと教えています。
◆「Ⅰコリ15:51 聞きなさい。私はあなたがたに奥義を告げましょう。私たちはみな、眠ることになるのではなく変えられるのです。 15:52 終わりのラッパとともに、たちまち、一瞬のうちにです。ラッパが鳴ると、死者は朽ちないものによみがえり、私たちは変えられるのです。 15:53 朽ちるものは、必ず朽ちないものを着なければならず、死ぬものは、必ず不死を着なければならないからです。 15:54 しかし、朽ちるものが朽ちないものを着、死ぬものが不死を着るとき、「死は勝利にのまれた」としるされている、みことばが実現します。

主の空中再臨時に起きるからだの贖いの約束をパウロは「奥義」だと教えています。奥義と言うのは「旧約時代には示されていなかった重大な神の御心やご計画」を意味しています。旧約時代には教会は存在していませんでしたので、教会携挙の教えも、それに伴うキリスト者のからだの贖いについて天使も預言者も悪魔も誰知らされていませんでした。旧約時代神の胸の内にしまわれていた秘密の御心やご計画を奥義と言い、その奥義をパウロは知らされたので、パウロは「奥義を伝えましょう」と言ったのです。その奥義とは、終わりのラッパの響く中で、先ず死者は朽ちないもの、つまり永遠に朽ちない栄光の体に甦り、次に、生きていて主の空中再臨を体験する私達キリスト者は変えられる、つまり体が永遠に朽ちない体に瞬間的に変えられるのです。

パウロはその体の贖いこそが、内面の救いを受け、「アバ父よ」と呼ぶ御子の霊を受け、神の子となった全てキリスト者への重大な約束であり、それによって神の子として完成される重大な希望だと教えています。パウロはそれを日々希望として歩んでいると証言しています。

◆「ロマ8:23 そればかりでなく、御霊の初穂をいただいている私たち自身も、心の中でうめきながら、子にしていただくこと、すなわち、私たちのからだの贖われることを待ち望んでいます。 8:24 私たちは、この望みによって救われているのです。目に見える望みは、望みではありません。だれでも目で見ていることを、どうしてさらに望むでしょう。 8:25 もしまだ見ていないものを望んでいるのなら、私たちは、忍耐をもって熱心に待ちます。」

以上の罪に堕落した卑しい体が贖われ、栄光の体が与えれるその体は、復活をされた時のイエス・キリストの体と同じ姿だとパウロはピリピ人への手紙3章20節・21節で教えています。

◆「ピリ 3:20 けれども、私たちの国籍は天にあります。そこから主イエス・キリストが救い主としておいでになるのを、私たちは待ち望んでいます。 3:21 キリストは、万物をご自身に従わせることのできる御力によって、私たちの卑しいからだを、ご自身の栄光のからだと同じ姿に変えてくださるのです。」

私たちが主の空中再臨によってたちまち一瞬にして体が永遠に朽ちない体に復活をし、また変えられるという体験をしたとき、キリストを死者から甦らせた父なる神の全能の力を実体験として知り、父なる神の全能の力を全身全霊で賛美するのです。その喜びが宇宙にこだまするのです。

③キリスト者が栄化される

キリストが空中にご再臨された時に与えられるもう一つの大きな大きな恵みは、キリスト者の霊魂が完全にされ、霊魂において二度と罪を犯さない完成された人格者に変えられることです。それを神学的に「栄化」と呼ばれています。栄化された霊魂は、永遠に朽ちない栄光の体に最も相応しい霊魂です。空中に来られた主によって完成された霊魂と完全な朽ちない体が与えられるのです。物心両面とも完全にされ、完成された人格でもって主との深い永遠の交わりに導かれるのです。

では、栄化について聖書はどのように教え約束しているのでしょうか。先ずロマ8章29節と30節で教えられています。
◆「ロマ8:29 なぜなら、神は、あらかじめ知っておられる人々を、御子のかたちと同じ姿にあらかじめ定められたからです。それは、御子が多くの兄弟たちの中で長子となられるためです。神はあらかじめ定めた人たちをさらに召し、召した人たちをさらに義と認め、義と認めた人たちにさらに栄光をお与えになりました。」
パウロはこの御言葉により、キリスト者に対する神の救いのご計画は、天地造られる前から神の子として選ばれていたという予定に基づいて、神の子として召命された事、また義と認められた事、さらに、栄光から栄光へと漸進的にキリストの姿に変えられて行く聖化のゴールが「栄化」であること教えています。ここでは「栄化」が過去形で語られるほど、将来の栄化の約束が「確実なものである」と強調されています。

キリスト者を栄化する事は天地が造られる前からの神の御計画であった事パウロはエペソ1章4節で教えています。
◆「エペ 1:4 すなわち、神は私たちを世界の基の置かれる前から彼にあって選び、御前で聖く、傷のない者にしようとされました。」
パウロは主の空中再臨の時に栄化が実現される事を祈っています。
◆「Ⅰテサ 3:13 また、あなたがたの心を強め、私たちの主イエスがご自分のすべての聖徒とともに再び来られるとき、私たちの父なる神の御前で、聖く、責められるところのない者としてくださいますように。」
◆「Ⅰテサ 5:23 平和の神ご自身が、あなたがたを全く聖なるものとしてくださいますように。主イエス・キリストの来臨のとき、責められるところのないように、あなたがたの霊、たましい、からだが完全に守られますように。5:24 あなたがたを召された方は真実ですから、きっとそのことをしてくださいます。」
使徒ヨハネは、空中においでになったキリストを全てのキリスト者は見るので、その時に全てのキリスト者はキリストに似る者となると教え約束しています。
◆「Ⅰヨハ3:2 愛する者たち。私たちは、今すでに神の子どもです。後の状態はまだ明らかにされていません。しかし、キリストが現れたなら、私たちはキリストに似た者となることがわかっています。なぜならそのとき、私たちはキリストのありのままの姿を見るからです。」

キリストが空中に再臨されたなら、体の贖いと救いの完成としての「栄化」が約束されていますので、初代のキリスト者は、主の空中再臨を切に待ち望む信仰が火のように燃えていたのです。その信仰姿勢こそが、空中再臨を約束され、体の贖いと栄化の約束を与えておられる神への真の礼儀の姿です。主の空中再臨を待望する火がいつも心の中に燃えながら、歩む事が創造主の神さまへの愛の礼儀です。初代教会の人たちが主の空中再臨が今日かも知れないと思い、「主よ。来てください!」と日々告白しながら、それを挨拶用語にしながら再臨待望信仰を燃やして日々の信仰生活を歩んでいたのです。その「主よ、来てください」と言う言葉が「マラナ・タ」でした。Ⅰコリント16章22節を、私たちが礼拝で使用している新改訳聖書では「主よ、来てください」と翻訳されていますが、原語は「マラナ・サ」で、アラム語をギリシャ語で発音したものです。

「主よ、来てください」 「マラナ・タ」と日々口にしながら初代のキリスト教徒は空中に来られる主を今日か今日かと切に待ち望んでいたのです。

④キリストの空中再臨に関する教え

1)父の家に備えが出来たら迎えに来る

では、その空中再臨をキリストはどのように教えておられたのでしょうか。それはヨハネ14章で、父の家に住まいを備えたら迎えに来るという約束で、空中再臨を教えておられます。

◆「ヨハ14:2 わたしの父の家には、住まいがたくさんあります。もしなかったら、あなたがたに言っておいたでしょう。あなたがたのために、わたしは場所を備えに行くのです。 14:3 わたしが行って、あなたがたに場所を備えたら、また来て、あなたがたをわたしのもとに迎えます。わたしのいる所に、あなたがたをもおらせるためです。」

2)一人は取り去られ、一人は残る

主の空中再臨で全てのキリスト者が携挙されるので、地上に異常な事が起きる事をキリストは教えられました。それはひとりは取り上げられ、一人は残るという現象です。夜、寝床では、キリストを信じている者は上げられる信じていない人は残り、朝、食事の準備していると一人のキリストを信じている者は引き上げられ、信じていない人は残り、昼、畑仕事している人のひとりのキリスト者は天に引き上げられ、信じていない人は残るという事をキリストは教えられました。それは明らかに、空中再臨によって全てのキリスト者つまり教会が天に携挙される時に地上に起きる異常な出来事です。その聖書の教えに従って作られた映画がニコラス・ケイジ主演の「レフトビハインド」です。レフトビハインドの意味は「後に残される」とか「取り残される」です。では、そのキリストの御言葉を読んで見ましょう。

◆「マタ 24:40 そのとき、男が二人畑にいると一人は取られ、一人は残されます。」
◆「マタ 24:41 女が二人臼をひいていると一人は取られ、一人は残されます。」
◆「ルカ 17:34 あなたがたに言いますが、その夜、同じ寝床で人が二人寝ていると、一人は取られ、もう一人は残されます。」

キリストは昼と夜と朝に、一人は取り去られ一人は残ると教えられました。それによって、キリストの空中再臨は、ある地域では朝であり、ある地域では昼であり、ある地域では夜にと、丸い地球全体の規模で起こる事を教えらました。

3)携挙されるのは誰か

では、キリストの空中再臨の時に、誰が携挙されるのでしょうか。キリスト教会では大きく見解が二つに分かれています。一つの見解は、栄化までいかなくてある程度「聖化された人」だという教えです。聖化が携挙の条件だというのです。聖化された人を勝利者だとウオッチマン・ニーは教えています。有名なウオッチマン・ニーは携挙されるのは全てキリスト者でなく聖化された黙示録で「勝利者」と呼ばれている一部のキリスト者だと教えています。先日、東京の再臨待望教理セミナーの講師をされた「有馬平吉牧師」によりますと、戦前、ホーリネスと呼ばれるグループでは、その教えがとかれたので、主が来られた時に取り残されては大変だと、聖化を必死に求める叫びの祈りが盛んに捧げられ、再臨信仰が熱狂的になってしまったと、日本の教会の再臨待望信仰の歴史の反省点を教えられていました。

確かに、黙示録では「勝利者のキリスト者」が教えられていますが、勝利者のキリスト者になる事が携挙の条件だとはどこにも黙示陸でも教えられていません。

では、どのようなキリスト者が携挙の恵みに与るのでしょうか。それはキリストを信じて罪が赦され永遠の命が与えられ聖霊を内住させている真のキリスト者です。聖霊の内住こそが、真のキリスト者である証であり、それが、携挙に与る保証だとパウロははっきりと教えています。

◆「Ⅱコリ 1:22 神はまた、私たちに証印を押し、保証として御霊を私たちの心に与えてくださいました。」
◆「Ⅱコリ5:1 私たちの住まいである地上の幕屋がこわれても、神の下さる建物があることを、私たちは知っています。それは、人の手によらない、天にある永遠の家です。 5:2 私たちはこの幕屋にあってうめき、この天から与えられる住まいを着たいと望んでいます。 5:3 それを着たなら、私たちは裸の状態になることはないからです。 5:4 確かにこの幕屋の中にいる間は、私たちは重荷を負って、うめいています。それは、この幕屋を脱ぎたいと思うからでなく、かえって天からの住まいを着たいからです。そのことによって、死ぬべきものがいのちにのまれてしまうためにです。 5:5 私たちをこのことにかなう者としてくださった方は神です。神は、その保証として御霊を下さいました。」
◆「エペ 1:14 聖霊は私たちが御国を受け継ぐことの保証です。このことは、私たちが贖われて神のものとされ、神の栄光がほめたたえられるためです。
教会時代はペンテコステで始まり、教会が主の空中再臨の時に携挙される事で終わります。それ以後、地上に残された人レフトビハインドの人たちが、キリストを信じて救われても、教会の一員になる事は無いのです。それ以後のクリスチャンを聖書は聖徒と表現しています。教会携挙後、やがて主の日と呼ばれる神のイスラエルと人類の不信仰に対する激しい怒りとして裁きが地球に注がれ、地球は荒れにあれ、自然は3分の2が破壊され、3分の2の人口が失われます。その、大艱難の時代が7年続きますが、キリスト者はその怒りに合う事が無いとパウロは教えています。
◆「Ⅰテサ5:9 神は、私たちが御怒りに会うようにお定めになったのではなく、主イエス・キリストにあって救いを得るようにお定めになったからです。」

7年の大艱難時代の終りにキリストが、イスラエルと約束されたアブラハム契約、土地の契約、ダビデ契約、新しい契約の成就として「メシヤ的千年王国」を実現されます。そのメシヤ的千年王国が如何に祝福された王国かはこれまで何度か、お伝えしてきましたので、今朝は省略しますが、永遠に朽ちない栄光の体と栄化された霊魂を与えられ、天に挙げられた全てキリスト者は地上に再臨されるキリストに随伴し、その王国の住民となってキリストに仕えるのです。完璧な体、完璧な霊魂、完璧な人格で、罪を一つも犯す事なく、完璧にキリストに仕えながら、メシヤ的王国の住民として物心両面の祝福に完璧に預かりつつ、メシヤ的王国の多くの人々の僕としてコリント13章で定義された永遠の愛を完璧に発揮して仕えるのです、キリスト者が、コリント13章で定義された愛を100%実行するのは天の御国とメシヤ的千年王国と黙示録21章の新天新地の神の国においてです。

キリストの空中再臨が無ければ、誰も栄光の体に与る事は出来ません、又、霊魂が完全になりキリストと自分と他のキリスト者との完璧な交わりの喜びは実現しません、又、主の地上再臨が実現しません。メシヤ的千年王国に住む事は出来ません。主の空中再臨が如何に重要な約束かお分かりでしょうか。初代の教会の人たちは、キリストがなぜ私はすぐに来ると、主の空中再臨に心を燃やされていたかその理由について、聖霊によって目が開かれて諭されていました。それは、キリストが十字架にかかられた時に抱いておられたあの命がけの熱情の愛で、救われた全てのキリスト者の神の子としての完成を意味する、体の贖いと栄化の恵みに、何としても早く与らせて、永遠の喜びと幸いの中に導きたいという熱い熱い熱情を抱いておられた事です。そのキリストの燃えるような熱情に初代教会の人々は聖霊によって触れて「マラナ・タ」と「主よ、来てください」と叫ぶようになったのです。

私たちは、主の空中再臨待望の信仰と地上再臨待望の信仰を日々燃えて私はすぐに来ると約束されたキリストに向かって「アーメン主イエスよ来たりませ」「マラナ・タ」と日々告白しながら歩む事が、空中再臨と地上再臨を約約束された天の父なる神さまと主へのとても重要な愛の礼儀なのです。その神への礼儀を実践する秘訣は「私は神を愛し神への礼儀を守るものとされている」という、きよめの福音に堅く立つ事です。その信仰に聖霊が働き、聖霊によってアーメン、主よ。来たりませ!」と叫ぶ事が出来るようにして下さるのです。その上で、空中再臨が如何に驚くべき大いなる恵みなのか聖霊によって諭されるように祈る事です。

全部で祈りましょう。主の空中再臨と地上再臨の約束がどれほど素晴らしい約束か、また、キリストが私たちを愛して、一刻も早く栄光の体と栄化の恵みを与えようと心を燃やされていることか、聖霊によって目が開かれ、諭されるように祈りましょう。全員で祈りましょう。ラインで参加者もその場で祈ってください。しばらく祈りの時を持ちます。